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江戸時代の寺の創建と衰退について
江戸時代は寺請制度で寺が急増したとのことですが、その状況などを知りたいです。
江戸時代に400石程度の武士が菩提所(一種の氏寺)を作り、その寺が現在も曹洞宗などの寺として残っているケースがありますが、そのような菩提所を設け維持した一家(一種の開基檀那)が没落あるいは転封に伴い転地した場合など、寺は経営維持出来ず、無住化することが多かったのでしょうか。
江戸時代にも既に無住になった寺が数多くあったように思うのですが、ある宗派あるいはある地域で寺の内、無住、留守居、住職が居る寺の状況を調べたものはありますか。
寺請制度が出来たとき、もともと開基檀那として自家の菩提寺を持っていた武士や公家達、あるいは自家の墓を持っているが僧まで抱えてはいない中下級の武士たちとその使用人達は、寺請の寺をどう選んで寺請証文を得ていたのでしょう。
江戸時代でも人口移動はあるのですが、人口減少や地域衰退で寺が経営的に成り立たなくなって無住あるいは廃寺状態になったときには、その地域の農漁民樵夫猟師などはどうしていたのでしょうか。

●質問者: hathi
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
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質問者から

安産、豊作、雨乞い、病気平癒、道中安全、商売繁盛、火災厄避け、芸事上達など何かを祈願や祈祷する時、あるいは観光や娯楽を兼ねて○○参り、巡礼などにいく場合には、死者の葬儀催行を依頼する僧や寺とは別ということが普通の状態でしょう。
そうすると、中世までの葬制(死後すぐに行う葬の風習後には、遺体は放置し特別のことをしない=僧に頼む必要がない&葬儀を僧の役割とは僧も考えてはいないのが当然)からの断絶が激しすぎると思います。17世紀に寺請が強制されても、多くの人は寺請は住民登録と徴税、検挙の制度と考えていて、宗教や信仰などとは無関係と考えていたのでしょうか。

寺格でいうと本寺?末寺?門徒寺(のような寺?)の末寺が寺請の寺になっていたようですが、末寺の下位に格付けられる寺に葬儀などを頼んでいた人達、修験者のいる寺、祭礼の寺、巡礼とか寺巡り用の寺、宿場にある寺、御利益があることと祈願者の賽銭を主な収入源としていた寺では、人別帳も、寺請証文も関係ないということだったのでしょうか。


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