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西ローマ崩壊後、カトリックは、なぜ生き残れたのか
ローマ帝国が崩壊したあとのヨーロッパは、今日の基準から見れば、治安も悪く、暴力的で、相当ひどいところだったと思いますが、
その中で、武力をもたないカトリック教会が生き残れたことが不思議でなりません。
なぜ生き残ることができたのでしょうか。

●質問者: yoshida39
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● adlib
●50ポイント

ローマの窮日 ? それでも月は昇り、日が沈む ?

多くの人々は理屈ぎらいで、地動説や進化論を認めないからでしょう。
わたしも不思議に思い、約廿冊の本を読み、下記の年譜を編みました。
歴代ローマ教皇(法王)00670629-20130313

http://d.hatena.ne.jp/adlib/00670629
http://d.hatena.ne.jp/adlib/09991231
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19030720

…… もし聖ペテロまたは聖パウロのようなクリスト教の使徒がヴァテ
ィカンの法王宮を再訪することができるとしたら、彼等はおそらく「こ
の壮大な宮の中にこのような不思議な儀式で崇められている神様の名は
何というのか」と質問することであろう。オクスフォードまたはジュネ
ーヴでは、彼等の経験する驚きはもっと少ないであろう。しかもクリス
ト教会の教義問答を精査し、彼等自身の書いたものや彼等の先生(すな
わちクリスト)の言葉に関する正教派注解者連の注解を研究することは
やはり彼等の免れることのできない職務であろう。しかし、トルコ人の
聖ソフィヤの会堂は美しさと大きさとが加わっていても、教祖マホメッ
トの手でメディナに建立された素朴な聖堂をそのまま代表する。回教徒
らは、その信仰と礼拝の対象を人間の感覚及び想像力の水平線に引きお
ろす誘惑に儼として一律に踏みこたえた、「余は一つの神とその神の使
徒マホメットとを信ず。」これが回教の単純不易な教義である。神の霊
的肖像はどのような可見的偶像にも引きおろされたことが未だかつてな
いのである。── 《ローマ帝国衰亡史(八)19580405 岩波文庫》P181
http://booklog.jp/users/awalibrary?keyword=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E8%A1%B0%E4%BA%A1%E5%8F%B2&display=front
── ギボン/村山 勇三・訳《ローマ帝国衰亡史(全十冊)19510110-19920928 岩波文庫》

…… ギボンは銀行づとめを辞めてから《ローマ帝国衰亡史》を書いた。
http://q.hatena.ne.jp/1126175035#a399433(No.7 20050929 22:44:39)
時よ止まれ ? 若き友への9ヶ条 ?

…… 19961023 進化論容認(ただし人間の精神は神の創造物)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050402
カトリックの落日 ? 歴史的秋分 ?

…… わたしは、約二十年前から、ローマ暦に興味を抱いて、ひととお
りの文献に目を通しましたが、いちばん読みやすく、面白かったのは、
下記の二冊(シーザーからドミティアヌス帝まで十二人の伝記集)です。
── スエトニウス/国原 吉之助・訳《ローマ皇帝伝
? カエサルたちの伝記(上)19860905-19881121 岩波文庫》P178
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2829641.html(No.6 20070314 04:26)
http://booklog.jp/users/awalibrary?keyword=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D%E4%BC%9D&display=front

…… 杉井六郎先生、八十五歳のお誕生日によせて(20080614)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080613
プルタルコス英雄伝 ? 邦訳比較表 ?


2 ● meefla
●50ポイント ベストアンサー

複数の要因・要素が絡んだ問題だとは思いますが、フランク王国 の存在が大きかったと考えます。

おっしゃるように、西ローマ帝国の崩壊は西ヨーロッパのカトリック教会勢力にとって存亡の危機と言えるイベントでした。

ローマ教会は西ローマ帝国滅亡後、イタリアがオドアケルの国、東ゴート王国、ランゴバルト王国というゲルマン人諸国の支配を受けた。これらのゲルマン諸国は文化面ではローマ化していったが、信仰面では異端とされるアリウス派を信仰していたため、ローマ教会は苦境に立たされた。

ローマ=カトリック教会

ゲルマン諸国の中にあって、フランク王国は初代の王、クローヴィスがカトリックに改宗し、その後もカトリック教会を保護しました。

この改宗はゲルマン民族諸王の中で初めて行われたカトリックへの改宗であった。一方西ゴート族やヴァンダル族はすでにキリスト教に改宗していたが、その宗派はアリウス派であった。当時のガリア住民は大部分カトリックであったため、クロヴィスのカトリック改宗はガリア領内のローマ系市民との絆を強化するものであった。

クロヴィス1世 - Wikipedia

フランク王国を足掛かりにしてアリウス派のカトリックへの改宗が進み、後のカロリング朝 カール大帝(シャルルマーニュ) の時代には西ヨーロッパ世界のほとんどがフランク王国=カトリックとなったわけです。

カールは征服した各地に教会や修道院を建て、その付属の学校では古代ローマの学問やラテン語が研究された。(中略)さらに住民をキリスト教のアタナシウス派(カトリック教会)に改宗させてフランク化もおこなった。

カール大帝 - Wikipedia

もしフランク王国がなかったら、西ヨーロッパではカトリックではなくアリウス派が主流になっていたかもしれません。

ご参考になれば幸いです。

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