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徳川家康は、なぜ当然のように天下人になったのか
一般的な歴史では、関ヶ原の戦いの後、徳川家康は、当然のように天下統一をしているようなのですが、疑問があります。
もともと、関ヶ原の戦いは、豊臣政権の内部での権力闘争でしかなかったはずであり、徳川家康も、関ヶ原の戦い以前には、
「豊臣家打倒」
などとは、全く言っていませんでした。
豊臣家内部の権力闘争に打ち勝ったというだけなのに、なぜ、徳川家康が、「当然のように」日本全体を統一する政権をつくってしまえのかが不思議でなりません。

今日の私たちは、実際の歴史を知っているので、疑問をもたないかもしれませんが、当時の人々からすれば、関ヶ原の戦いに勝ったからといって、
「だから家康が天下人」
という意識は、まだなかったのではないか、と思うのですが、なんで、家康が天下人ということになっていったのでしょうか?

●質問者: yoshida39
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● たけじん
●100ポイント ベストアンサー

関ヶ原の戦いは、秀吉がいなくなったのに元側近であるだけで指示や命令を下す三成一派と、それに反目する勢力の争いという図式。
カリスマを失った烏合の衆が、右往左往しているのであるから、求心力のある人物が出てくればそれに従うという素地はできていたわけです。
三成にはそのような求心力はなく、根回しのじじぃに勝てるわけがありません。

家康は、虎視眈々と機会をうかがっていたのであって、天下なんかいらないとは思っていなかったはず。ただ、表に出さない(しかし、裏工作はしっかりと)という狡猾さがあっただけです。関ヶ原前に「天下を取る」などと言おうものなら、烏合の衆は西により、布陣する前から東軍の敗戦は決まってしまっていたでしょう。「君たちの不満を、あいつらにぶつけよう」というスローガンで、かろうじて同じ方向を向いているのが東軍なのですから。

しかし、西軍敗走を目の当たりにすると、西軍は「家康に負けた」と思うし、東軍も「家康に従ったから勝った」という空気になるのが当然。

この空気を読むという現代に通じることこそ、家康を将軍に押し上げる土台なのです。

実際、関ヶ原の開戦前の布陣は、西軍が勝つのが当たり前(現代の軍隊関係者の見解も同じ)であり、合戦を制したのは「家康の側に着いた方がいいのかも」と思わせる空気だけなのですから。(この空気を作った家康は、日本史でも傑出した人物)

この空気を作る能力によって、関ヶ原の大勝に後押しされて、すでに天下人になっている空気を作り出してしまいます。少なくとも仕切りは俺、という家康を前に、無視できる武将はいないわけで(西軍の武将は既に力尽きてますよね)、この時点で「事実上の天下人」になっています。

あとは、豊臣家がいなくなれば、形骸化された(家康より上の)権力の象徴も消えるわけです。それ以上、天下人になる手間は必要ありません。→用意周到とは、このことを言うのでしょう。

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