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イルハン国の初代のフレグには正妻が複数いたのでしょうか。側室が複数ならば納得できるのですけれど。それとも、複数の正妻とは、死亡による先妻⇒後妻の関係、または、離縁による先妻⇒後妻の関係なのでしょうか。正妻は本来ひとりではないか、と思ったための質問なのでよろしくお願いします(或いは、「正妻は2人」、「正妻は4人まで」、などと決まっていたのかもしれませんが)。
下記に示すサイトで、
后妃として
ドクズ・ハトゥン
グユク・ハトゥン
クトイ・ハトゥン
オルジェイ・ハトゥン
イェスンジン・ハトゥン
と5人も載っていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%B0

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

> イルハン国の初代のフレグには正妻が複数いたのでしょうか。

たぶんそうです。

『集史』フレグ・ハン紀 日本語訳
http://archive.fo/H7WSi
> 彼の第一の妃はドクズ・ハトゥンであった。
> 彼女の死はフレグ・ハンより後であり

とあります。
恐らく、専用のオルドを与えられたのが后妃で、
オルドを与えられなかった他の妻たちは側室という扱いなのだろうと考えます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%AB
> オルジェイ・ハトゥン[3] - フレグ妃。引き続きアバカが娶りオルドを引継ぐ。

オルド
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%89


2 ● 匿名回答2号

・フレグハンの母は、モンゴルにキリスト教を広めた王様の娘でクリスチャン。
・正妻ドグズもクリスチャン。バグダットの戦いに同行し夫に、(今まで通り住民を虐殺するにしても)キリスト教徒は殺すなと進言、夫フレグハンはそれを守ったため、キリスト教諸国から非常に評判がよくなった。またその時代の使節もドグズを妻に迎えたフレグがキリスト教国を立国しようとしているとキリスト教国へアピールした記録が残っている。
・その他の妻はかわるがわるフレグの子を産んでいるがドグズは子を産んでいない。ドグズは夫フレグと同じ年(年齢ではなく、西暦上の年)に死んだ。
・フレグハンは外交用政略結婚としてのキリスト教式結婚と、内政向けに血筋を残すモンゴル式結婚をつかいわけていた可能性がありそうです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Hulagu_Khan
https://en.wikipedia.org/wiki/Doquz_Khatun

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