死ぬほど嫌でも生きていれば、そのうち楽しいことにめぐりあえる可能性がある。
死んでしまえば残るのは死ぬほど嫌な生を生きた思い出だけ。楽しい可能性は0%で固定される。
よって生きているほうが勝率がはるかに高い。
少なくとも、他人が他人の生き死にに関して無責任なことを指示するのはタブーとされます。
結果に対して責任を負えないし、負う立場にないのです。
現状維持で生きながらえさせる方向の書き込みをする方が多いかと思われます。
あとは、自分で周囲の他人の生き様から学ぶしかないでしょう。
同世代ばかりでなく、90歳とかの高齢者がどうしているかとか見てみたらどうでしょうか?
こればかりは、他人から教わるより、自分で見て考えるしかないです。
死ぬ事は犯罪に等しいとあえて言わせて頂きます。
それは、私も過去に死にたいと思うほど酷い状況に陥ったことがありました。誰も助けてもくれませんでした。
持病もあり、誰も助けてもくれない人間に嫌気がさしたりしました。
でも、私は、まともに自分の身体を傷つけ、命をなくす勇気はなかったのです。死ぬほど痛いですからね。
あなたさまは、自分が嫌いかのように言っていますが、私もそうでした。
でも、必ずあなたを好きになってくれる人はこの世にいますよ。
今はつらいかもしれませんが、光を信じて生きてください。宜しくお願い致します。
ですが、私は、現実に死ぬことはできませんでした。
様々な回答がなされていますが、納得いくものはありましたか?
適切な回答が得られない場合は大概、設問が間違っています。
1何かに苦しんで本気で死を考えているのか
2全く理由が無いのに本気で死を考えているのか
3全く理由が無い、と思っているが実際は自分では気づかない部分で何か理由があって本気で死を考えているのか
または、
4自殺の是非について哲学や宗教的観点からの知見を得たいのか。
最低限この4つくらいは区別して質問しないと明確な答えは得られません。
ちなみに、4形而上の自殺の是非についてはあなたが日本国民である限り、誰にも止めることはできません(自民党の改憲草案が可決されたら別かもしれませんが)。しかし、1?3のように本気で死を考えているのであれば自殺を肯定すると自殺幇助罪に問われますし後味も悪いため、肯定できかねます。