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イングランド王エドワード1世(プランタジネット朝)は、ノルマン征服前の王朝にエドワード懺悔王が居たにもかかわらず、エドワード1世となってます。イングランドの歴史では、ノルマン征服前の王朝と、ノルマン王朝以後の王朝を、別物として区別する面があるんでしょうか。またそれはなぜなんでしょう。

チューダ朝のエリザベス1世に対し、ウインザー朝(ハノーバー朝)のエリザベス2世と、連番でとおっていますし、歴代の王でヘンリー国王も、プランタジネットから、チューダ朝に至るまで連番となっています。それなのに、ノルマン征服前の王朝とは別物なのだろうか、と思いましたので、ここで質問させてください。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

エドワード懺悔王がエドワードI世ではない理由
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7395995.html

No.3の回答によると、ノルマン朝のウィリアム征服王が現在のイギリス王室の開祖で、
それ以前の王朝は血の繋がりがないという事のようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A01%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)

イングランドを征服し(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン朝を開いて現在のイギリス王室の開祖となった。

のように、他の記述からも裏付けが取れます。

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