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紫衣事件というのがありますが、紫衣は禅僧だけに下賜るということになっていたのでしょうか。事実上といいますか、制度で決めたのでしょうか。
それを貰っていない僧侶は、皆、黒衣だったのでしょうか(金地院崇伝でも、黒衣)。お坊さんは、僧侶になると、すぐ黒衣で、さいごまで通すのでしょうか。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

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1 ● 匿名回答1号

> 紫衣は禅僧だけに下賜るということになっていたのでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E8%A1%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

古くから宗派を問わず高徳の僧・尼が朝廷から賜った。


> それを貰っていない僧侶は、皆、黒衣だったのでしょうか

そもそも色で階級を表すのは中国や日本など大乗仏教の国だけで、
小乗仏教の国では皆サフラン色の法衣を着ていますし。

現代の例なので当時とは意味合いが異なるかもしれませんが、
黒は修行僧の着衣だったはず。

http://www.tais.ac.jp/faculty/department/buddhist_denominational_studies/blog/20130114/24354/

黒衣は主に「僧階(僧侶の位)」を持っていない僧(大正大学では学部生)や修行する僧侶が着る衣で、「僧階」を持つと中央の学生のような色のついた衣を身に纏うことが許されます。


> (金地院崇伝でも、黒衣)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A5%E5%BF%83%E5%B4%87%E4%BC%9D

その権勢の大きさと朝廷の権威を喪失させ天皇を退位させるなど目的を達成する為の強引とも思える政治手法により、世人から「黒衣の宰相」「大欲山気根院僭上寺悪国師」と称された。

黒は黒でも腹黒い方の黒のようですね。
絵画からは緋色の袈裟を纏っているように見えます。


匿名回答1号さんのコメント
追記 >> 後陽成天皇から紫衣を賜る[1]。 << ともあるので金地院崇伝が黒衣を纏っていたという事はないと思われます。

匿名質問者さんのコメント
ありがとうございました。お返事遅れて申し訳ありません。黒衣の宰相の「黒衣」というのも、世間での悪名であって、僧としての衣の色の話ではないということ、ご教示頂きありがとうございました。また、後陽成天皇から紫衣を賜っているという指摘も頂き有難うございました。 ご紹介のサイトでわかりましたが、いろいろな色の衣があるということが分かりました。 紫衣と黒衣だけではないということも分かりました。 また、このご紹介頂いたサイトにて、 それぞれ階級を、僧位、いや、僧官でしょうか、 によって、衣に違いがあるという風に理解しました。 そこの写真では、僧正が「紫色の衣」のようですが、大僧都が「藍色の衣」のようです。 大僧都の地位も、天皇から授けられるとは思いましたので、紫衣事件でいう「紫衣」と、僧官に従う衣の色の話は別の話のようなのか、実に難しい話だと思いました。

2 ● 匿名回答2号

お坊さんは、僧侶になると、すぐ黒衣で、さいごまで通すのでしょうか。


→おほけなく浮世の民に覆ふかなわが立つ杣に墨染の袖
という百人一首の歌が有名ですが、普通のお坊さんは清貧を体現するため墨染ですね。
家光自身も政府の会計を縮小するため墨染を着た将軍です。

町医者が白衣を着るのと同じようなものでしょう。
えらい病院の院長は天皇から衣を賜ることもあったのですが、清貧とはとてもいえないでしょう。

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