「五代友厚」についてテレビで紹介ありましたが、大阪に貢献した財界人ということです。画面に映った、お墓を見ると、正五位勲四等(?)だったかと思います。財界人としては、東の渋沢栄一氏が、『正二位勲一等子爵』になったのに、差が大きいと思いました。
五代友厚氏は、明治維新の中心の薩摩藩出身で、政府高官にも知己が多いですね。さらに、明治政府に仕えていた時期もあるので、その点でも、渋沢氏とも同じ。
五代氏が、栄典で少し冷遇されていたのではないのか、なにか理由があるのではないか、と邪推しました。明治政府に知己が多いので、逆にいろんなことがあったのでしょうか。どんな理由が考えれれるでしょう。事情通の方、よろしくお願いします。