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江戸時代の時刻の表記について、夜昼それぞれ六つに分け(一刻二時間)零時から、九ツ、八ツ、七ツ、六ツ、五ツ、四ツという風に表していますが、なぜ一から六あるいは六から一というようにしないのでしょうか。もっと言えば、現代の時刻表示のように零からはじめるとか。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● 匿名回答1号

確かに不思議ですよね。
4から始まるというわけではなくて、4で終わるわけですが・・・。

「易」によると「九」が縁起が良いといことのようで、
捨て3つの鐘って考えると、ま、合点がいったとはいかなくても、なるほどそんなもんかと思いませんか?
http://kijidasu.com/?p=23651&page=2

今の太陽暦も、もともと3月から始まって2月で終わるから2月が半端だとか、年度は4月から始まるとか、バスケットの背番号も4からですね。たまたまなんでしょうけど。そもそも「0」という概念は不思議ですし、数は「ある」「ない」では始まらないので「2」以上の概念がないと数は生まれなかったでしょうし。一、二、三で「四」で書き方変わりますし。


匿名回答3号さんのコメント
バスケットボールの背番号は、明確な理由があります。 審判はファールをした選手の背番号を指で表現しますが、1?3 まではフリースローのカウントで指で表示することがあるために紛らわしいからです。

匿名回答1号さんのコメント
江戸時代の時を刻む鐘も「3つまで」空打ちのようにして、 9回〜4回で時刻を刻んでいたようで、 だから、空打ちが1回なら、2つから9つまで分けた可能性があったんでしょうね。 (もちろん、12つでもいいんでしょうけど、両手の指からすると、ま、10以内なんでしょうね)

2 ● 匿名回答2号

十二支っていう干支の考え方がこの時代の時刻表記の元になっています。
大元は陰陽五行説よりも更に古い。
江戸時代よりも遙か昔に成立した暦や時刻のシステムです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%94%AF

子の刻とか、丑三つ時などと時代劇に出てくるでしょう。
半ば宗教的な考え方で時間を表現していたんですね。

なお、十二支が成立した当時にはゼロの概念はありませんでした。
由ってゼロアワーは表現しません。


3 ● 匿名回答3号

「暦と時の事典」(内田正男著)です。
これによると、平安時代の延喜式に既に、子と午の時には九つ、丑と未の時には八つ、寅と申の時には七つ、卯と酉の時には六つ、辰と戌には五つ、巳と亥には四つ太鼓を鳴らすと決められていたそうです。
ですから、子や午を九つと呼ぶ呼び方は、この太鼓の数のよったものだろうと書いてあります。
そして、「九つ・八つ・・・・」と逆に数えることについても解説してあります。
一から九までの数字で、奇数は陽数と言われていて、陽数の最大の数が九です。そこで九と一を掛けた九から始まり、次いで九に二を掛けて十八の十を除いた八を取り、九に三を掛けた二十七から二十を除いて七、九に四を掛けた三十六から三十を除いて六、九に五を掛けた四十五から四十を除いた五、九に六を掛けた五十四から五十を除いた四 というふうに順に決まったということのようです。
ただし、この説が、最も有力ですが、他の説もあり確かなこととは言えないとも書いてあります。

明六つは日の出の時刻ではありません! : 気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録

ブログ主の勝手な妄想ではなく、いちおう書籍を根拠にしている話。
諸説あるということですが。
「明け」とか「暮れ」が付くようになったのは江戸時代だそうな。

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