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幕末活躍した公家大名や侍たち(家臣の言いなりになっていただけの人がおれば除きます)で、最初は過激な主張(外国人は追い払え、斬り殺せ、条約は破棄せよ、など)をしていたが、その後、現実路線穏健路線に変わった人も多いですけれど、最初から現実的な対応を主張していた人と言えるような人は誰と誰でしょうか(欧米列強と戦争すると負ける可能性が高く、大変危険であると見据えていた現実的な人々)。

たとえば、有名どころでは、たぶん、勝海舟や、橋本左内あたりが、そういう現実派だったろうと思います。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

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1 ● 匿名回答1号

現実もなにも、当時は現在進行形でしかなく。
その未来から過去を眺めるような思考で歴史を見てはいけませんよ。
歴史を肯定してしまうと間違える元です。


2 ● 匿名回答3号

幕府側でもよければ、井伊直弼や松平忠固など。

アメリカが来て口では「攘夷!」と言いつつ、早くから西洋の技術を取り入れていた鍋島直正は現実主義者といえばそうかも。


匿名質問者さんのコメント
ありがとうございます。 井伊直弼侯や松平忠固侯ですね。 お話しを伺い、福山侯の阿部正弘伊勢守はどうなのだろうか、と思いました。水戸斉昭の意見を聞いたりしていますが、開国論を表明して進めていくのは、幕閣の中の自分の立場を考えると危険すぎるので、そうしただけで、彼自身は、心の中では、開国止む無しであったのかもしれないと思いました。 鍋島侯は、そうですね。現実主義な感じです。 島津斉彬侯はどうであったか、途中で急死したので、なんともわかりにくいですが、気になりました。 越前侯も、橋本左内と横井小楠をブレーンにするくらいですから、現実主義的な人なのかな、と。

匿名回答3号さんのコメント
わたしのイメージですが、松平忠固は信念のまま開国を受け入れた人、井伊直弼は信念は置いておいて大老として開国を受け入れた人。 阿部正弘は行き当たりばったりなイメージです。(ペリーが来る前から対策しておいてほしかった) 島津斉彬や松平慶永は一橋派としての国内の政治的な立場があったので、開国か攘夷かは二の次のような。 開国・攘夷と言っていても、心の底からそう思っている人もいれば、立場が言わせてる人もいたんだと思います。
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