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人によって苦手な音があるのはなぜですか?

黒板を引っかく音や陶器がこすれる音など、人によって苦手な音があると思うんですが、これってなぜそうなっているんでしょうか?
特にどういう進化のプロセスを経てこうなったのかに興味があります。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:科学・統計資料
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● 匿名回答1号

どうしてそうなるんだかよく分かっていないみたいですよ。
http://jp.sciencenewsline.com/articles/2012101217540013.html


2 ● 匿名回答2号


神鳴 ? 春に嵐、夏いかづち、秋の雷鳴、冬かみなり ?

〔春〕

…… 宝生流十五代の宗家宝生彌五郎に江戸開府以来第六回という勧進
能が聴許され、その日は将軍家慶も上覧される予定で、江戸中は前評判
で湧いた(略)いよいよ興行当日。将軍上覧の時刻が近ずくや空に黒雲
がひろがり、雷鳴がおこる。長谷川 一夫&加藤 雅彦(津川 雅彦)。
http://movie.walkerplus.com/mv23585/
── 伊藤 大輔・監督《獅子の座 19530603 大映》

〔夏〕

── 上前 淳一郎《狂気 ? ピアノ殺人事件 197807‥ 198210‥ 文春文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4167248034
近隣騒音殺人事件 19740828 神奈川県平塚市

〔秋〕

http://q.hatena.ne.jp/1230884660#a884236(No.3 20090103 00:59:48)
実録深窓物語 ? ♪もしもピアノが聞こえたなら ?
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050916 子供にピアノを習わせる理由

〔冬〕

…… 楽器以外の好きな音を伺った。「雷」 稲妻が走り雷鳴が轟くと
ワクワクして豪雨の中へ飛び出したくなるという。大自然が奏でる一瞬
の『フォルティシモ』は、強く激しく潔く生きてきたこの人に、まさに
似合いの音楽なのだろう。── 《向田 邦子 19770200 家庭画報》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19790612 巌本真理弦楽四重奏団音楽葬


匿名回答3号さんのコメント
なんだこれ?

匿名回答2号さんのコメント
追録ピアノ美談 ? 天才は、忘れた頃に語られる ? …… (武満 徹は)ピアノを買う金がなく、町を歩いていてピアノの 音が聞こえると、そこへ出向いてピアノを弾かせてもらっていたという。 (芥川 也寸志を介してそれを知った黛 敏郎は武満と面識はなかったに もかかわらず自分のピアノを貸し与えた) ── (Wikipedia) ── 河合 隼雄《あなたが子どもだったころ 198806‥ 光村図書出版》対談集 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4895280543 …… 耳はもっとも保守的な器官なんです。人は繰りかえし聴いた音楽 を、最上のものと思いこむ慣性があります。 ── 服部 公一《ちょっと昔の邦人作品 20021203 22:45 NHK 視点・論点》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20161228 傾老の夢は夜ひらく

3 ● 匿名回答4号

> 人によって苦手な音があると思うんですが、これってなぜそうなっているんでしょうか?

苦手な仕事、苦手なデザイン、苦手な音、苦手な相手、苦手な科目、苦手な運動が、ヒトによって異なるのは、ままあることです。
同じ人物でも、苦手であったものがソウでもなくなったり、特に苦手ではなかったものが苦手になったりという変化もあります。
個人別ではなくて、ある程度の集団でも、その人々の生活環境や文化状況が違うと、快不快の受け取り方は異なることがあるのは知られています。
https://science.srad.jp/story/16/07/14/192207/
http://bossanovaday.hamazo.tv/e4688242.html
https://youtu.be/7vmoP-kE-bQ
音を検知するのは一次聴覚野ですが、記憶には扁桃体が関係します。
不協和音というのはうねるよう音で音の高さや大きさの検知に一次聴覚野は多くの活動をせざるを得ないし、その過程で扁桃体と信号のやりとりが活発になります。
不協和音ではなくて、言語でも日常ほとんど聞かない言語を外国人が側でしゃべっていると、自然に聞き流せずに、??と聞き耳を立てるような無意識の反応が起きるのはそそうした事情です。ホワイトノイズや単純な繰り返し音、聞き慣れた音では脳の一次聴覚野や扁桃体はそれほど活性化しないのに、不規則に構成が変化し同定しにくい音、聴き取りにくい低周波や高周波の音も同定しにくい音です。
脳が単純に認知しやすい音ではないことが、一次記憶と情動に深い関係をもつ扁桃体を盛んに刺激してしまうことが、バックグラウンドにあって、社会的あるいは文化的になされた(心理学で言う)学習で、快/不快を切り分けることになるのでしょう。
個人的に慣れてしまったり、職場や生活環境にそうした音が頻繁に流れていれば単純なバックグラウンドになってしまい不快には感じなくなるし、音楽経験によって快/不快の認知や価値観が変われば不快から快にも変化するのでしょう。
f:id:hathi:20170303003623j:image:w700


ADHDなどを抱えているヒトは、普通のヒトに比べて音に敏感で、苦痛に感じる音が多いことが多いそうです。 学習の成果として「この種の音でも」不快に感じなくなるというコントロール能力が高まるようです。
もっとも、特定個人から圧迫を受けた経験が特定の恐怖を引き起こし、その特定個人の顔や声、匂いを感じるとそれで不安や恐怖を引き起こすこともあるので、学習は(生活に都合が良い方向にだけ働く)のではなく、(生活に不都合を起こす方向にも働く場合もある)ということなのだと思います。

不快音は、はるか昔の人間の先祖が身の危険を音で察知していたときの学習成果が遺伝的に現在の我々にも組み込まれたというのは、根拠のない想像だと思います。

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