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標題音楽とは標題を表す音楽ですが、バッハの作曲含めた器楽曲の宗教音楽というのは標題音楽には含まれるのでしょうか。マタイ受難曲などキリストの意味合いを含めた題がついていますが、これは標題と言える音楽と言って良いのでしょうか。詳しい方、ご教示くださいませ。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:書籍・音楽・映画
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号
ベストアンサー


聖俗併呑 ? 教会音楽 vs 商業音楽 ?

受難曲は、バッハ以前以後に、数十人も作曲している合唱と管弦楽に
よる宮廷礼拝堂での朗誦が目的です。異教徒にも切符を売るコンサート
形式になったのは、20世紀以降の現象です。

バッハ自身はプロテスタント(新教徒)なので、カトリック(旧教徒)
の伝統的なミサ曲や受難曲に一線を劃すべきところ、雇主の政教的立場
に準じて、さまざまの革新的な試みに成果を挙げたとみられます。

標題音楽は、ヴィヴァルディの協奏曲“四季”や、メンデルスゾーン
の序曲《フィンガルの洞窟》から、リヒャルト・シュトラウスの交響詩
“ツァラトゥストラはこう語った”や“家庭交響曲”まで、何でもあり。

宗教音楽は、作曲者以前に題名があり、標題音楽は作曲者みずからが
命名するものです。作曲者の知らぬところで“未完成”のニックネーム
や“運命”に対する“革命”が、すっかり定着したケースもあります。

…… 死と現実の、二つの世界をつなぐ黒い河に浮かぶ白鳥の歌。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/18881103
聖俗同穴 ? 官能と諦観 ?


匿名質問者さんのコメント
丁寧な回答をありがとうございます。 wiki引用で申し訳ないのですが "バッハのマタイ受難曲 (Matth?us-Passion) は新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にし、聖句、伴奏付きレチタティーヴォ、アリア、コラールによって構成された音楽作品である。" とあります。 例として上げられた「四季」、「フィンガルの洞窟」など、 標題音楽は、作曲者自らが音楽を通じて題材を聞き手に伝える、 という点を踏まえた場合、 キリストの受難を音楽で表現した点においては 標題音楽の範疇に含まれることはないのでしょうか。 私の標題音楽という言葉に対して、理解がズレているようでしたら 何卒、ご解説いただければ幸いです。

匿名回答1号さんのコメント
受難曲は、聖書に題名と台本と台詞が出来上っています。 作曲家は、聖書に書かれていない音楽だけを担当します。 いわゆる標題音楽は、作曲家の自由な題材で書かれます。 この問題の重要な点は、十六世紀以後に楽譜が完成したので、最初は カトリックが飛びつき、遅れてプロテスタントも最重要視しました。 その最先端に、バッハのような大天才が出現したのです。 もちろん、どのようにも論じることはできますが、バッハにとっては、 一連の宗教音楽が職業的ノルマで、その他の作品はサイドワークでした。 メンデルが神父を勤めるかたわら、遺伝の法則を発見したように……。

匿名質問者さんのコメント
引き続き解説していただき、ありがとうございます。 独自の発想や感性を音楽として作り上げ、反映させたものを 標題音楽と呼ぶべきで、それに従えば、元々として存在する聖書に 則った内容である宗教音楽は標題音楽とは言えないのですね。 音楽を表す標題をどういったきっかけで作り上げるかが、 結構重要なポイントになることがよく理解できました。
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