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近衛信尹には男の子(庶子。名前は不明)がいたようですが、この子は継嗣になってません。いったん、近衛家は断絶になっています。そして、養子をとっています。なぜでしょうか。
?この男の子は、母の実家に問題があったのでしょうか。天皇に疎まれていたとか、それとも、母の身分が低すぎたとか。或いは、何か身体に不都合があったのでしょうか。
また、父親死亡時において、官位がなかったとか。
?それとも、妹の子(後陽成天皇女御の子)をとりわけ気に入っていたのでしょうか。

庶子には継がせず、いったん断絶してます。そして、庶子に継がせず、皇室から後継を入れて再興させています。

といいますのは、たとえば、近衛基熙ですが、庶子でしたが家を継いでいます。庶子というのがかならずしも妨げにはならないと思うのです。
なお、近衛家のような公卿では、家を継ぐのは、朝廷の許可が必要なのでしょうか。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:人生相談
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

断絶した後に養子に迎えた?であれば近衛信尹本人の意思は介在してませんね
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1034070535

また、同様の質問があったのでご参考までに
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11152230906


匿名質問者さんのコメント
ありがとうございます。 リンク先で、 近衛家も1614年に近衛信尹が亡くなって断絶し、前述の信尋を養子に迎えることになりますと書いていました。たしかに、信尹本人の意思は反映していなさそうです。しかし、遺言とか、言い残したことがあるかもしれないですけれど(済みません。絡んでしまいました) また、やはり後陽成天皇や他の公家とのしこりは残っているから、天皇の子を貰ってなんとか再興したともありました。再興の為には、妹の子供を迎えるのが、もっとも成功確率のある方法だったかもしれないのですね。

匿名質問者さんのコメント
サイト先の記述を踏まえると・・・・・・・・ この庶子ではダメ、という前提の枠内だと、 他の摂家か、天皇家からか、という選択肢になります。 そこで、天皇の皇子になったというのが、状況を考えると有力だ というのは、たしかに納得です。 それに、近衛家にはそれなりの資産がありますから、 皇子の為に新しい宮家を作るより、この方がいいです。

質問者から

「1614年に近衛信尹が亡くなって、近衛家も一旦は断絶した」ということを教えていただきました。再質問になってしまい、恐縮なのですけれど、下記のように質問を付け加えますのでどうぞよろしくお願いします。
庶子の場合、継ぐには、天皇の許可などが必要なのでしょうか。その結果、庶子は許可が取れなかったんでしょうか。
それとも、庶子であろうと、嫡子であろうと、そもそも、天皇の許可が必要なところ、庶子なんで許可が無理だったんでしょうか。


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