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サイトに「近衛家は、公家の五摂家のひとつ。家名は平安京の近衛大路に由来する。本姓は藤原氏で藤原北家近衛流の嫡流にあたる。摂関家には近衛流と九条流があるが、藤原氏の分家で初めて藤氏長者をつとめたのが近衛流である。」とありましたが、「藤原氏の分家で初めて藤氏長者をつとめたのが近衛流である」という文章の意味について確認したいです。近衛家は、藤原氏の分家だったのでしょうか。また、近衛家で初めて氏長者をつとめたのは、誰でしょうか。
そして、それ以前はどこの誰? それ以後はどこの誰?なのでしょうか。

ひょっとして、それ以前の氏長者は、もともとの長男の系統である藤原南家だったのでしょうか。それとも、北家ではあっても、たとえば、小野々宮流だったのでしょうか。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号

順番が前後します。

> また、近衛家で初めて氏長者をつとめたのは、誰でしょうか。そして、それ以前はどこの誰? それ以後はどこの誰?なのでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B0%8F%E9%95%B7%E8%80%85

近衛基実 1158-1166

とページ下部の一覧にあります。近衛家初代ですね。
それ以前、それ以降については同一覧を参照してください。


> ひょっとして、それ以前の氏長者は、もともとの長男の系統である藤原南家だったのでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%8C%97%E5%AE%B6

これが以後の、北家嫡流 = 藤氏長者 = 摂政関白、という図式を決定づけることになり、

とあります。実際、近衛基実より前に名前が挙がっている人物のうち、
上記記事に名前が無いのは藤原良世(藤原冬嗣の八男、北家)だけです。


> 近衛家は、藤原氏の分家だったのでしょうか。

最初の藤氏長者の一覧に戻ると、近衛基実の就任より後、藤原姓が登場しません。
また、北家の記事では近衛基実を嫡流としています。
従いまして、近衛家を藤原氏の分家とする記述は極めて怪しいと言わざるを得ません。


匿名質問者さんのコメント
ありがとうございました。 近衛家を藤原氏の分家とする記述は怪しいということよくわかりました。 まさに、たしかに、本家と分家という意味での「分家」とはおかしいです。 やむをえず、無理に考えたのですが、 『摂家』がいくつかに分かれた、そのわかれたとき、最初に、氏長者になったのは近衛流、という意味なら、筋は通ると思いました。無理矢理っぽいかもしれないですけれども。分かれた後の、それぞれ、という意味で「分家」と使ったという意味です。分かれる前と分かれた後です。普通はそういうふうには使わないかもしれませんが、適当な言葉がなくて、仕方なく、この言葉を当てはめたということになってきます。
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