https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%8E%8B%E5%9B%BD
弟のエデッサ伯ボードゥアン(ボードゥアン1世)が後を継いで「エルサレム王」を名乗った。こうして十字軍国家「エルサレム王国」が誕生する。
伯が王を名乗ったのですからエルサレム王は自称ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD
とみなす説と、ローマ教皇らに王冠を授けられて独立国と認められた1198年からとみなす説があり、文献によってまちまちである
1198年に当時のキリキア侯レヴォン2世が王として認められるまでは、代々の君主は侯 (prince) であり、国も王国ではなく侯国であったことに注意を要する。
アルメニア人にとって目の敵である東ローマ帝国
アルメニアはローマ教皇によって王と認められたようです。
ちなみにカトリック関係者によれば法王というのは間違った呼称らしいですよ。
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/popeofrome/