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言葉のはやり廃りのようなことについて いいね おべっか お追従
昔は、ごますり男、おべっか野郎、お追従野郎というような、ある種の態度を蔑む言い方があったと思っています。当時は、お追従されることを忌避したし、自分に賛意を無根拠にも告げてくるような輩は碌でもないと馬鹿にしていたように思います。

私は使い方もわからないですが、「いいね!」をボタンにしてまで、追従を誘引して、追従されたことに嬉々とするような人が多いようです。
イイね!とか、「これがいいよ?」と宣伝して回ろうという提灯持ち、囃し方を募っているようなのは、私には、なんだか理解できない気がします。
うつや引き籠もり、傷つきやすい人の増加とか、ポピュリズムや人気投票での選挙のようなのが世界中で流行っているようにも思えるのですが、なにか関係があるでしょうか。

単に言葉の流行廃りなのか、文化そのものが変わったのか、文化の担い手となっている集団や階層に何かの変化が起きているのか、そうした関係で、何かの解説や研究、あるいは、しばしば言われている見解などを教えてください。

●質問者: hathi
●カテゴリ:政治・社会 経済・金融・保険
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● j4mika
●200ポイント

http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=53185
など参考になると思います。

個人的には、強いてあげれば、核家族化などではないでしょうか?また、それ以上に、承認欲求は人の持つ欲求の中でもかなり強い物だと思いますが、現在はより簡単に広く人に伝え、「いいね」クリックで気持ちよくなれる時代になったと言うだけではないでしょうか?
勿論、承認欲求の全く無い人もいますし、そう言う人には理解できないと思いますが多くの人は何かしら他者に認められたい、褒められたいと思っている物です。また、おべっかについても実際の社会では多用されていますし(取引先、上司、異性におべっかを使わない人は希有です)蔑みつつも嬉しいと思ってしまうのが人の嵯峨に思います。

結構シンプルな話で、現在、死亡原因など、今は肥満と飢餓が共存しています。普通に考えれば分け与えるべきですが人はここまで賢くはありません。

何が言いたいかと言いますと、生きる死ぬというような大事ですら、人は欲望に忠実であるという話です。承認欲求が容易に満たされれば、肥満になって死ぬのと同様シンプルにそれを求めているだけのように思います。
食事ではありませんが、最近は食傷気味などからネットから距離を置く人も出始めていますね。


hathiさんのコメント
コラム「“いいね!”求める時代?承認欲求と自己アイデンティティの不在:ニッセイ基礎研究所 社会研究部 主任研究員 土堤内昭雄」を教えて頂き、ありがとうございました。 土堤内昭雄さんは、格差社会に関心があるようで、中間層の衰退・貧困層の拡大、国民所得中の「資本所得:労働所得」の構成割合、ピケティのr(資本収益率)>g(所得成長率)実態についても述べられているようです。 農業社会→工業社会→ポスト工業化社会という産業構造の変化の中でポスト工業化社会では、大半の中間層労働者庶民は生産に貢献する機会、就業する機会、自己効力感を感じる機会を喪失していくのだと思います。生きる価値というか、自分が何かをできている感覚を持てない実際あるいはこの先も自己承認できそうもないという予期が、他からの承認欲求を強めているのではないかなぁなんぞと思っているのです。 昔もページビューの数を気にすることはありましたが、それは承認欲求というよりもPDCAサイクルで必要な作業だったように思います。 この人力検索サイトにも「いいね」ボタンがあるような"心情を安定させることをねらいにした"ものが表に出てきて幅を利かすようなのとは、社会の状況がが違うと思えます。 ヒトの根底にある心理や動機、恐れということをメインに研究するのではなくて、社会での科学技術のウエートと人的貢献のウエート、あるいは、資本システム価値と個人と人的ネットや紐帯との関係での《言説、提言、コラム、研究、書籍》などありましたら、お教えください。

j4mikaさんのコメント
これは自説ですが、仮に工業化前の社会であったとしても、人々の自己承認欲求という物は極めて強かった様に思います。定量的な話ができず申し訳ないのですが、名誉を重視するような社会はその権化ではないかと思うのです。寧ろ現代は他の欲求も忙しく、この欲求が抑えられたり分散している気さえします。例えば、恥で死ぬとか名誉のために死ぬなど、今の時代ではもう考えられないですしね。 PVも事業化するとSEOなど確かに気になりますね。ただ、趣味でやっていると、1PVが1イイネに相当していませんでしたか?昔はページカウンターを設置したり流行った気がします。ランキングサイトなどもありました。 ただ、これはスマホでできる物ではなく最低でもPerl位は使えないと無理でした。しかも、サーバを借りたりと難易度が高いです。それが今ではスマホの標準アプリで撮影して、音声で感想を入力するするだけでホームページが作れてしまいます。それらの容易な実装がプログラムの知識のない層まで広がり、誰でも彼でも気軽に実装できるようになり目立っている様に感じています。定量的な話が知りたいかとは思いますが、駄文失礼致しました。

hathiさんのコメント
言葉って難しいですね。Esteem、承認する(働きかけ)/承認される(受け側)、承認欲求(承認してくれと相手に向かっている欲求/自負心あるいは矜恃を高く保とうとする欲求)、自己承認(私が私を承認/他人が私を承認)、他者承認(私が他者を承認/他者が私を承認)、自己承認欲求や他者承認欲求でも、なんの意味を持たせて使っているのか、読み取る方は、誤読する可能性が高いですね。 「名誉のため譲れない」は「汚名を着せられる(受け身)を嫌う」という意向が強ければ「他者からの低評価や非難、差別を忌避する⇒他者からの私について評価に拘泥し心神耗弱しかねない」とも読めるし、「名誉のため譲れない」を「信念、原則、矜恃を守るためには、損得や他者からの評価非難称賛などには左右されない⇒自己存在証明を手放したくない」とも読めます。 昔、一人で泳いでいて、気がついたら遠くに陸地がみえるものの見知らぬ地形で、流されたことが明らかで、このままではヤバイと懸命に陸地に向かい最短方向で頑張りましたがどんどん流されていって、ますますヤバイ状況になっていった感じになりました。自己効力感、達成感のようなものは全くありません。それで、海流と水温を考えながらどこかで陸地に上がるように方針を変更し、幸い水死せずに助かったことがありました。自分なりに懸命に泳いでも全然だめだったという感覚がずーっと続いたら、けっこうやばかったろうと思います。声の届く範囲にはヒトはいないし、誰かが気づいてくれている様子を感じることもできなかったのですが、仮に、陸や船などで気づいてくれている雰囲気でも感じられたり、声がけされていたら、気分は相当に違っただろうと思います。 {?私は孤立しているのでは、だれも私のことを気にもしてないし見てもいないのでは、と潜在的不安感を抱いているヒトが増えている}だけでなく、{?そうしたヒトが自分のやったこと・やっていることに達成感や効力感を感じられない:無力感のような感覚をもつことが多くなっている状況になっている}のがダブルで重なってくると、《せめて、私に気づいて!私を見て!》という欲求を高めてくるヒトが多くなるのではないでしょうか。 IT関連の技術進歩で、「いいね!」を得る場を誰でも簡単に利用できることは、確かに急速な変化をもたらしたのだと思います。 そうした技術変化があり、低価格で、誰でも簡単にそうした技術を利用できる状況が出現してなかったとしたら、どうなっていたでしょう。 仮想しても意味はないかもしれません。 流行現象というのは、暴走族でも、追っかけやファンでも、鉄オタ・歴女・アニメフィギュアオタク・ボランティア活動でも、ファッション、持ち物、ゲームなどでも、《似た者がそこそこいそうなものを求め》自分が入り込んでいくことで、《私に気づいて!私を見て!》を代償させるのではないでしょうか。 「いいね!」も受けるだけの行為ではなく、送る行為で《私に気づいて!私を見て!》を代償させているのですから、効果は同じでしょう。 リアルな生活と身体活動や頭脳や感性の活動の中で充足、前進感、効力感を実感していたら、《せめて、私に気づいて!私を見て!》とか《せめて、同じ仲間のように!》とかの行動をしようとする欲求はあまり高くならないのでしょう。 ポスト工業化社会というより、従来中間層としてそこそこリアル生活の中で階層的優位を感じ、それが自分の実力であるかのように感じていた人々が、階層的優位を感じることができる地位も役割も得られず、システムやAIに代置され、下層の代替可能なものでしかないと感じ始めたら、従来言われていた自己実現のようなものはあきらめて、類集の中に安心感や居場所を求める方向に進むのではないでしょうか。
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