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★九州という呼び名はいつごろからでしょうか。筑紫が筑前と筑後に分かれるなど(また、肥前と肥後などなど)して、やっと、9つの国に固まって、それからしばらくしてであろうと思っています。
★西海道というのは朝廷からの正式な名前だと思いますが、「九州」というのは、自然に発生した呼び名なのでしょうか。鎌倉幕府が、幕府の命令書に使ったとか?
★他方、「四国」は「四州」とはならず、「四国」です。「九州」は「九国」ではなくて、「九州」です。なぜでしょう。語呂かなとは推測しますけれど・・・

以上のとおり、気になりましたので、ご質問いたします。

●いつごろからでしょうか。
●誰が使ったのでしょうか(初見はどこでしょうか)。
●九国ではなく、九州というのはなぜでしょう
(九国というのも、昔はあったのでしょうか)。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

逆説の日本史で伊沢氏が述べている歴史的な原則に「常識は記録されない」という趣旨の言葉があります。
その類の話ですね。

先ず、五畿七道とか西海道とかの行政区分がどの時代なのか?って問題があります。
畿内とは元は中国の言葉で「王城を中心とする四方500里以内の特別行政区(広辞苑から引用)」を指します。
五畿とは畿内から作られた言葉で「大和・山城・河内・和泉・摂津」を指しますが、奈良時代までは四畿内と言いました。

ここで再び広辞苑からの引用ですが、西海道≒九州は五畿七道の一つと記されています。
こういう処では厳密な考証がされるものと思われますので、広辞苑を厳密に解釈すれば五畿七道が成立した平安時代以降に作られた行政区分であると思われます。

なお、九州とは主な国が九つあるところから付けられた通称のようです。
なぜなら七道となっているので、西海道が大和朝廷が行った本来の命名だと思われるからです。
九つの国とは「筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩」です。
隠岐・対馬を加えて九国二島の称と記されています。


匿名質問者さんのコメント
ありがとうございました。また、いろいろしらべて整理いただき済みません。 <1>「奈良時代までは四畿内」とのこと、知りませんでした。新たな知識を得ることができました。有難うございました。 <2> いったい、いつごろ、9つの国(「筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩」)に整理されてきたのか、平安時代ということなのですね。水分遅いのだなあと感じました。どうも有難うございました。 <3> 九州とは、「この大きな島が、9つの国からできているから」、と当初は、単純に解しておりました。 しかし、 「九州という大きな島(と付属する小さな島)に、更に、対馬と壱岐を含めた、『九州地方』。これが主な国が9つである。」から、九州というのかもしれないですね。 詰まるところ、九州と呼んだ場合、壱岐や対馬も含めて考えるのか、それは除外して考えるのか、ということかなぁ、と感じました。 *** どうも有難うございました。

匿名回答1号さんのコメント
実際問題として、大和朝廷の支配地域は各時代で変遷があります。 朝鮮系の大和朝廷が最初に入植したのが九州だったと言われていますが、肥沃な土地を求めて徐々に東進して近畿地方に本拠を置くようになったと言われています。 古墳時代や飛鳥時代になると、国の範囲も数も、九州に限ってさえ記録が残っていません。 それどころか、当時はようやく文字が普及し始めた状態で、諸説紛々としています。 正史と言われる日本書紀でさえ、客観的にみれば、当時の朝廷が情報操作のためにでっち上げた記述が多い。 九州や東北には朝廷と争って地方に追いやられた旧時代の勢力が国家として割拠していたらしいのです。 アイヌ系と沖縄系に遺伝的な、あるいは言葉の発音などでも、特徴が共通する部分が多いのは良く知られています。
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