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自閉症の人を嫌いになっちゃダメなの?
障害なんだから必ず受け入れなきゃいけないって考えがどうも好きになれない
皆さんの思い思いの意見を書き込んでってください

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:医療・健康
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 10/10件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

キリスト教的な博愛主義の精神だと「汝の隣人を愛せよ」だけどね。
つまり、嫌いなやつは嫌いだし、妥協するのが嫌なら争うことになって博愛主義じゃなくなるから、強突張りの馬鹿でも自閉症でも愛しなさい・・・となる。
宗教関係無いなら普通は嫌いだけどね。
ただ、自分も嫌われているかもしれない・・とか、嫌いな人が増えたら後ろめたいとか・・色んな個人的感情ってやつがあるから、演技する必要はあると思う。


匿名回答4号さんのコメント
隣人を愛せはユダヤ教 キリスト教は敵を愛せ

匿名質問者さんのコメント
宗教に関しては全くの無知だったので、非常に参考になりました。 なるほど、結果的に自分に戻ってくるから、受け入れるか隠せって考え方ですね(多分) そういう納得の仕方もあるかもしれないですね 一つ疑問に思うのが、身近に自閉症の人がいて、我慢しきれないぐらい直接的に被害を受けたら、どうしますか? 意見を聞かせてもらえたら幸いですorz

匿名回答9号さんのコメント
重箱の隅ですけど、「マルコによる福音書」12章31節にある言葉なのでキリスト教の教えといって間違いではないと思いますよ。 https://goo.gl/jYBt5G

匿名回答4号さんのコメント
だからそれはトーラーからの引用なんだってばよ https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#19:18 マルコの聖句にしても誰に対して語った言葉なのか吟味すれば 一目瞭然のはずなんだが

匿名質問者さんのコメント
キリスト教の議論はよそでどうぞ

匿名回答1号さんのコメント
質問者さんにだけお答えしますね。 私が被害を受けた場合は、しっかりと距離をとります。 嫌われていることが分かれば、相手にしなくても済むようになることが多い。 それでも色々あるときには、ハッキリと「鬱陶しいから話しかけないでくれ。」などと言います。 たぶん相手は傷つくでしょう。 しかし、この傷は言った方も同等です。 場合によってはダメージを回避できないこともありますが、損害は最小に抑えるべきでしょう。

匿名質問者さんのコメント
なるほど、とにかく傷つけあうのは互いに最小限に。厳しいことをいうのは最後の最後にはっきりとってことですね。 確かに、言う側にもつらさがありますよね。それでお互い様と考えるの、納得できます ご意見ありがとうございましたorz

2 ● 匿名回答2号

好き、嫌いは個人の嗜好なので、それこそ好きにしていいです。
ただ、それを表に出す場合は、時と場合と方法によっては問題になります。
感情と論理をきっちりわけて文明人の生活をして下さい。


匿名質問者さんのコメント
なるほど、感情と理性を分けて、実際の行動・態度では理性的に人として動くよう気をつけるってことですね。 ところで、そういった在り方を度外視して、「差別だ!」と声だけ大きくあげる人が世の中たくさんいると思うんです。そういった方に対してもこちらが筋を通し続けなくてはいけないというのに納得できない自分もいます。どうしたらいいですか? お返事いただけたら嬉しいですorz

匿名回答2号さんのコメント
内面は他人には分かりませんから、実際の行動が問題になる訳で、正当な根拠で差別だと非難されるなら、それは好き嫌いではなく、実際の行動に問題があるという事になります。 筋を通し続けるのは文明人としては当然の事です。死ぬまでそうしなければなりません。そうできない人がたまに大量殺人とかで騒がれる訳です。納得できないのも不思議な感じがします。嫌いだという理由で人を殺してはいけない、至極全うな論理です。 ストレスなら、別の方法で発散すべきです。スポーツでもカラオケでも、自身に最適な方法を見付けて下さい。どうしても人殺ししかできない場合は、傭兵にでもなってIS国へでも行くしかありません。自身も殺しの対象になりますけどね。それは仕方ない事で。 で、差別とは具体的にどこでどう線を引くべきかという問題になりますが、これはケースバイケースですので、他の方の意見などをじっくり消化して、文明人としての在り方を身につけて頂きたいと思います。 聖徳太子もおっしゃっているように 「和を持って尊しとせよ」 です。ま、当時は貴族しか和の中に入れなかったと思いますけどね、w 現代では、全ての人間が、もしくは生きとし生けるもの全て、と言っても良いと思います。 一分の虫にも一寸の魂って事で。 輪廻転生の仏教思想を受け入れるなら、来世は自身が障害者かもしれません。アウアウしか言えないのに、てめえ気色悪いとか殴られたら嫌だと思いますよ。 明日は我が身って事で。 いや、現世でも交通事故かなんかでなっちゃうかもしれません(くわばらくわばら) 脳に障害を負って、自身の感情や感覚はあるのに、何も言えない、動けない、なんて状態になっちゃうかもしれません。うざったいから水なんか飲ませてやらないって?嫌でしょ?

匿名質問者さんのコメント
ああ、なるほど。人として筋を通すのは義務であり目的であり、周りがズレようが自分には関係ないってことですね。同じレベルに堕ちる意味がわからんと そうか、自分、見返り求めちゃってたんだなぁ 色々例えは極端ですけど、学ぶことが色々ありました。 ご意見ありがとうございましたorz

3 ● 匿名回答5号

一般的に健常者と言われる人でも生まれ持った得意不得意や身体的な特徴があり、それが原因で嫌われる人もいくらでもいる。
同じように障害も個人の特性のひとつと考えればそれが原因で嫌いになることはなんらおかしなことではない。
人の接し方が変わる要因は障害と言われているもの以外にもいくらでもあるのだから、障害だけ特別扱いすることは適切ではない。


匿名質問者さんのコメント
そうですよね。今の僕の考えに一番近い考えです。だからこそ、納得がいかない。 ただ、じゃあ全く配慮しなくていいのか?と言われて、言葉に詰まったことがあるんです。嫌う、けど排除・拒絶はしないって、結局どこまで相手に合わせるべきなんだ? そこらへんでグルグル頭を悩ませてます。 ご意見いただけると助かりますorz

4 ● 匿名回答6号

日本は「障害者の権利に関する条約(略称:障害者権利条約)」の締約国であり、下記にもある通り、2014年2月19日に日本においても効力を発しました。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html

この条約の要約としては上記リンクのサイトの「パンフレット」をお読み下さい。

条約が国内で発効しているので、全ての日本国民はこの条約内容を守ることが必要です。(後述)

また、この条約内容を日本国内で最低限履行させるため、下記の「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(いわゆる「障害者差別解消法」)」が昨年(平成28年4月)に施行されました。

http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai.html

この法律は法人(=団体や事業主)に対するものですので個人には適用されませんが、その精神は個人でも汲み取ることが望ましい、というのが、日本人にはあまり知られていない世界の趨勢です。

ただ、これらは全て、障害(ここでは自閉症)であることを理由に分け隔てをしてはいけない、と言っているだけですので、健常人に対するものと同様の理由であれば、好き嫌いは個人の自由です。

もし障害が理由であっても、それを外部に表現しなければ、即ち「内心」に収めていれば(「内心」の自由は憲法19条で保証)問題はありません(もちろん憲法21条保証の「表現の自由」もありますが、「表現」した結果の責任は各自にかかってきます)が、出来るだけ障害を理解する努力も少しは頂きたい、とは私個人の希望です。

なお、憲法98条第2項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」としています。(但し憲法と条約のどちらが優先かは議論があります。)

ちなみに、完全な「健常人」なんて人間世界には存在せず、特に精神障害も自閉症スペクトラムのように、程度問題と考えるのが世界の趨勢です。

以下は、WHOが2001年に定めた「ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)」=「国際生活機能分類?国際障害分類改訂版?」(最新版)です。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html

長くて難しいので最初の序文と1)?4)およびその下の「参考 : ICFの概念 」だけ見て頂ければだいたい分かりますが、要するに「障害」とは「個人」の問題(「個人因子」=病気や身体機能の欠如等)だけで決るのではなく、その人の周囲の「環境」(環境因子)によっても、また人と環境の関係性によっても「障害」かどうかが左右される(これはあくまで要約でそれだけではないですが)というのが、現在の世界標準の「障害」および「障害者」の考え方で、「個人因子」は障害者もいわゆる健常者も人それぞれ、という意味で、程度問題なのです。

具体的には、現在のように科学文明が進みそれに伴って生活環境も文化も思想も進化した現代では、自閉症の方々はその世間(環境)からみれば社会のお荷物に見えたり唯我独尊に見えて「障害」を持つように見えますが、これがもし世界が平和でなくなり、紛争や戦争が絶えないような世界(環境)では、織田信長のような唯我独尊で残酷な人間が、即ち自閉症的な人間が世間をリードしますし、江戸時代(環境)や、近未来に訪れるかも知れない世界戦争のあとのような世界(環境)、そこまで行かなくとも例えばインドへ行けば、そこでは時間は今の日本の10倍くらいゆっくり流れているような「環境」であり、現今の進化的環境に適応出来ない自閉症引き蘢りの人の方がユルユルと適応出来て、セカセカと時間にうるさい今の日本人(や先進国の人々)は、もはやそんな「環境」に適応出来ず逆に「障害者」になる、というようなことです。

しかしながら、自分がそういう状況になってみないと、理解しがたいのが人間なので、なかなか「障害者」のことは理解出来ないかも知れません。

でも、皆さんが、上述のような難しいことではなく、今現在「健常者」が普通に「障害」および「障害者」というのはこういうものだ(自閉症の人で自分勝手な言動で周囲に迷惑をかけたり引き蘢る人はすべからく障害者である、等)と考えるような「障害者」であっても、日本人の大多数が将来その「障害者」になります。

例えば、現在は2人に1人の割合でがんにかかりますね。
がんが見つかり、生き延びる治療のため毎週1回仕事を休んで抗がん剤治療を行わなければならない人は、そう言う人が退職に追い込まれかねない現状では、そう言う人は早くも「障害者」になりますね。

また、幸か不幸か長生きをして、もし認知症になれば、これはほぼ完全な精神「障害者」と言えるし、認知症にならなくても歩けなくなって寝たきりになれば、これも身体「障害者」ですし、頭がハッキリしているので、介護してもらっているのに文句だけはいろいろつけて言うことを聞かず介護者を悩ませる、とすれば自閉症の唯我独尊の迷惑とどこが違うのでしょうか?。

すなわち、ほとんどの日本人が事故等で早死にしなければ、いつかは「障害者」になって「健常者」の世話になる訳です。(先日105歳で亡くなった現役医師、日野原重明医師のようにその期間が非常に短かく、自分も周囲も幸運だった人も稀にはいますが)

以上、障害者問題は、実は私も含めたご自身の問題でもあることが、ご理解頂けると思いますが、そう考えると自閉症の人への見方も多少は変わるのではないでしょうか?

大変な長文で失礼を致しましたが、日本は携帯だけでなく、基本ガラパゴス(=井の中の蛙)なので、もう少し世界に目を向けて、広い視野を持って頂ければありがたいです。


匿名質問者さんのコメント
ソースまで丁寧にあげていただけてありがとうございますorz 法律や様々な国際機関でここまで明言されていることを初めて知りました。 差別的な見方でなければ、純粋に自閉症を持つ一個人を嫌う権利がしっかり保証されてるんですね。可能な限りで配慮を求めている点もすごく現実的で納得できます。 「いずれ全員障害者になる」って考え方もいいですね。他人事でなければ配慮するやる気も違いますし ただ、一点だけ。日野原先生はたまたま短かったのではなく、自分から無意味な延命処置を拒絶して意図的に短くした、が正しいです。これだけでこの論理が崩れるとは思いません。そのために日野原先生の在り方をゆがめないでいただきたい。 貴重な意見をありがとうございました。何か補足があれば書き込んでもらえると?

匿名回答6号さんのコメント
日野原先生の件、当方誤解しており、間違いを書きまして誠に申し訳ありませんでしたm(_ _)m。 それにつき追加で恐縮ですが、いわゆる福祉先進国であるスエーデンやイギリスで(も)「寝たきり老人」が(ほとんど)いないのは下記の記事にあるように、個人の意志を大切にする考え方が徹底していてさらに人間の尊厳についてのコンセンサスがあるためのようです。 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45510 その考え方は「胃ろうは虐待」に象徴されています。 また、この記事にもあるよう日本ではこのような「尊厳死」は、自分がそうしたいと思っても、医師の都合(つまりは診療報酬目当てや殺人と取られかねないリスク回避)で非常に困難で、一般人がそうしようと考えたら、法的にも有効な文書(例えば公証役場で文書の証明する等)で宣明しないと、最終的にはいわゆる老人病院に入れられなかなか死なせてくれない事情があり、日野原先生は高名な医師だったのでそれが出来たのではないか、と思います。 その辺の難しさは高名でない「医師」本人でも同様で、先般7月再放送のNHKの『ETV特集「こんなはずじゃなかった 在宅医療 ベッドからの問いかけ」でも当事者が詳しく述べていました。 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259557/index.html もちろん東洋と西洋(日野原先生はクリスチャンで聖路加(=聖人ルカ)病院もキリスト教の病院)の考え方の違いもあるとは思いますが、いかかでしょうか? 障害者の問題と少々ズレましたが、同じような考え方のズレが特に精神障害者への対応にもあって、それは恐らく日本人に歴史的に心に深く染み込んだ精神文化の問題でもあり、拙文に掲げたWHOの理想的(でも欧米ではイタリア等ほぼ実現しているところもあります)な考え方を受け入れるには、まだまだ時間がかかると思います。 最後にまた長文で失礼を致しましたm(_ _)m。

5 ● 匿名回答7号

障害のない方が全面的に譲らなければならないと強要されるのは違うと思う。
相手がどの程度の障害でも好きなときは好きだし嫌いなときもあるでしょ。

ちなみに身内にその手のがいると本当に厄介だよ。
好きだ嫌いだの問題じゃなくなってくるから。
「慣れだよ」とか言う人いるけど無責任すぎる。
こっちの神経やられるほど近い関係はどうにかした方がいいと思う。


匿名質問者さんのコメント
あ、やっぱり身内にいる方はどなたも似た経験してますね。僕もです(笑) 今回質問として投稿したのも、身近にいて、その毒を友人にいったら「こっちが合わせなきゃダメだよ。なれるよいつか」と言われ、え?世間一般ってそんな風に考えてんの?と思い確認したくてってのが理由です。 別に拒絶する気はないのですが、一緒にいてストレスなのは事実ですし、それを嫌う権利を剥奪することに疑問をもってほしいなと思いまして。 ま、以前似たようなことをネットでいったらサイコパス認定されましたけどね

匿名回答7号さんのコメント
例えば毒親やストーカーなどわかりやすい精神異常の場合は『逃げろ』と言うアドバイスが昨今一般的なわけで。何の障害なのかにもよるけど一般的に障害者に近づいていく人はほとんどいないどころか変だと思ったら距離を取るので他人の言う『嫌うな』などという意見など接していない者のお気楽な戯言だと思っている。こちとら逃げられない上に逃げていないだけまともだと思えとそういう人達には言いたいね。

匿名質問者さんのコメント
当事者の辛さばかり目立ってますけど、周りの苦労はあんま考えられてないですよねー そんな理想論でいいのか!とよく思います が、ホントにそう思うなら愚痴を吐くための理由に使うな!と真っ当な指摘をされたので、愚痴はここでやめにしてきます。 ご意見ありがとうございましたory

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