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namihei0 ●100ポイント ベストアンサー |
どの程度の本がご所望かわからないので本以外のところを回答いたします。
まず1945年5月のドイツ降伏の段階で日本以外の主要国家はすべて連合国であり、うちソ連だけが日ソ中立条約の為に中立の立場をとっている以外はすべて交戦国となっておりました。日本が講和の仲介を頼みうるのはソ連か欧州で中立を保っていたスウェーデン・スイスしか残っていない状態です。主要国に仲介を頼むならソ連しか選択肢がありません。
またソ連を仲介者に選ばなくとも対日参戦は行われるので北方領土がとられていることにかわりません。対日参戦が行われてから9月2日のミズーリ号での降伏文書調印までにソ連軍が占領した地域が南樺太・千島・北方領土・満州であった為に起こった事態です。
日本軍がソ連正面に有効な対抗手段を敷いていなかったのは南方戦線や本土決戦向けに引き抜いた結果であり、ソ連が攻めてこないと信じていたわけでもありません。
何より太平洋戦争勃発直前に日本も満州で関東軍特別大演習と称して独ソ戦の進捗次第でシベリアへ攻撃しようと構えていた事実もあり、当時の国際状況は条約だけで信じるということは考えられません。
ソ連の対日参戦まで日本政府が本土決戦を呼号して降伏する意思をもてなかったのが現実です。
なお、日ソ中立条約を締結した1941年4月段階ではまだ南進策は日本政府で決定されておらず、結んだ当事者の松岡洋右外相は独ソ戦開始直前まで日独伊三国同盟にソ連を加えた四国同盟を結べないか奔走していた人物です。(当然南進策が念頭にあります)
また北進策が断念されたのは日ソ中立条約の締結でなく、1941年暮れの御前会議での対米宣戦を決定した時点になります。
「NHKスペシャル 終戦 なぜ早く決められなかったのか」を観るのがお奨めです。
公式
http://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050021_00000
昭和通史 ? 戦前・戦中・戦後 ?
http://q.hatena.ne.jp/1368251442#a1200703(No.1 20130511 18:31:49)
罪と罰 ? 読まない者とは語れない、読んだ者とは争えない ?
…… きわめつけ実録シリーズ総目録より。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020804
清張紙碑 ? ぬばたま文学 ?
…… なぜ『日本の黒い霧』を書いたか(初出 1960 文芸春秋)
── 松本 清張《昭和史発掘 01-13 文春文庫》総目次
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/416710699X
松本 清張 作家 19091221 福岡 東京 19920804 82 /
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4122001854
♀沢地 久枝 作家 19300903 東京 /1963 五味川 純平の資料助手