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たぶん、数回交互にバトルがあって、すぐに決着するはずです。
その結果が正しいかどうかはともかく、それなりのルールがあります。
ひとつのギャグが、はじめ東京や大阪の寄席で、さいごにはテレビで
全国区になるまで、数年かかるのは当然です。最近は、テレビで有名に
なってから地方のイベントに逆流するので、寿命が短くなっています。
その経過は、いろいろ試行錯誤しながらギャグとして定着するまで、
長く記憶されるのに、短期間に完成したギャグは、熟成する間もなく、
忘れられてしまうからです(昨年の“35億円”のように)。
1972-2003 漫才コンビ「星セント・ルイス」結成。
星 セント 19480116 長野 東京 20040722 56 /178cm/籍=村山 袈裟夫/ボケ(眼鏡)
星 ルイス 19481117 東京 埼玉 20050310 56 /153cm/籍=藤江 充夫/ツッコミ
セントの姉が鎌倉に住んでいたので「ああ鎌倉に家が建つ」が原型。
…… 田園調布に家が建つ(1980)。── 漫才協会@公式HPによる。
http://www.manzaikyokai.org/entertainer/saint-louis/
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19360220
長嶋家の人々 ? 田園調布に家が建つ ?
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C5%C4%B1%E0%C4%B4%C9%DB%A4%CB%B2%C8%A4%AC%B7%FA%A4%C4
Wikipedia の該当ページの脚注にあるように、漫才協会のサイトで書かれちゃってますからね。
ぼくのイメージでは、1980年の漫才ブームは THE MANZAI が確定させた感じなのですが、記憶が曖昧だったので、関連する辺りの時系列を調べてみました(お笑いスター誕生!!は、敢えて外しました)。
THE MANZAI の第一回の出演者は、やすきよとカウス・ボタンは別格としても、他のコンビもあちこちでネタを見かけるようになってる売れっ子だった記憶があります。
最後に、時系列的に参考になりそうなのをひとつ。
Untitled, 301 漫才ブーム絶頂時に、セントルイスがブームを批判した記事を週刊プレイボーイが載せた。 ...
素性が分からない方の Tumblr なのですが、わざわざ創作をするような内容でもないので、信用して良いかと。
いや、違う。番号は何だろうと思いながら書いていたのですが、2ch の切り抜きでした(こっちもリンクを張っておきます)。
【訃報】漫才コンビ「星セント・ルイス」の星セントさん死去【07/22】
(追記)
Tumblr のやつの 351 は、一部しか転記されてませんでした。2ch の方の 351 の投稿の全文がこちら。
セント・ルイスは漫才ブームの前に人気があったって言うよりも、そのきっかけを作ったんだよ。
「田園調布に家が建つ」で爆発的な人気が出たけど、セント・ルイスだけじゃまるまる
一本番組を持たせるのは辛いから、他の若手漫才師たちを何組か登場させるようにしたら、
それが漫才ブームにとつながっていった。
でもセント・ルイスは他の若手たちと競演するのを拒否して、自分たちだけは別の日に
わざわざセットを組みなおして新しい客を入れて録画するようしてたらしい。
そのうち人気はセント・ルイスからツービートやB&Bなんかに移っていって、いつの
間にかセント・ルイスはテレビから消えていった。
セント・ルイスが出てきた時は新しいタイプの漫才で面白いと思ったけど、漫才ブーム
になってからはつまらなかった。
たけしを初めて見たのもセント・ルイスがメインの番組でチョロっと出てただけだった
けど、セント・ルイスなんかよりこいつの方が面白いじゃんと思った。
【訃報】漫才コンビ「星セント・ルイス」の星セントさん死去【07/22】