白黒分ける単純な考え方には賛成できません。
世界はゲームじゃあないんですから。
わたしは、自称はてな最古参ユーザーとして、良い質問や悪い回答を
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figamere ベストアンサー |
何にしても、悪いことを良いことで相殺することはできないものなのです。
悪いこともいいこともした人は、悪いことの被害者からは悪人と思われ、いいことの恩恵を受けた人からは善人と思われる。何もしなかった人は、誰からも評価されることはない、ただそれだけです。
その人が正しいか正しくないかの評価は、その人と接する人それぞれで違いますし、人が人生でやったすべてのことを考慮した上での正しさなんてのは、神様にしか判断できないものです。
そして、神様が存在したとして、その人がやった悪事と善行をどういう天秤に載せてどう判定するかのアルゴリズムは人間には正確なところはわかりません。宗派によっても違うでしょうね。
もしかすると、たいしたことは何もしなかった人の「怠惰の罪」が一番重い可能性もあります。
ところで、悪事もけっこうやった人間が大きい功績も残した場合、悪事の被害者は寿命が来たら死にますが、功績の恩恵は世代を超えるので、最終的には悪いことはなかったことになりがちです。生前は人格として最悪、ゲスいエピソードもいっぱいあるけど死後「偉人」として語り継がれる人ってわりといます。
時間の経過によって「正しさ」が変わるわけではないでしょうが、人間の評価ってだいたいそんな感じです。
コメントでオッペンハイマーが例にあげられてますが、「オッペンハイマーは良いことをしたのか悪いことをしたのか」という問いに対しては、原爆を生み出したこと自体は善でも悪でもないですし、それによってさまざまな被害を受けた人からすると悪、恩恵を受けた人からは善でしょう、と回答します。
一般論として、悲劇を産むような技術を発明した人が世間からどう扱われるかという話をします。
ダイナマイトを発明したノーベルは「爆薬や兵器を生み出した死の商人」として自身が忌み嫌われていることを知り「自身の遺産を基金にして、その利子を毎年人類のために貢献した人に分配する」という遺言を残して、ノーベル賞ができました。
今、ノーベルのことを善か悪かと聞かれて「悪」という人は少ないはずですが、これはノーベル賞という善行のおかげでダイナマイトの発明という「悪事」がチャラになったのではなく、ダイナマイトの用途が広がって平和利用が多くのウエイトを占めるようになり、なくてはならない安全な道具として人類に広く受け入れられたからでしょう。
たとえダイナマイトで人が死んでも、悪用する人が悪いのであり、ノーベルが悪いということにはなりません。だから、人類にとって偉大な発明をした偉人としてノーベルは記憶されるわけです。
核も同じく、ドラえもんみたいな原子炉搭載のロボットが普通に歩き、核爆発を汚染なくコントロールして平和利用できるような時代が来たら、戦争や原発事故で起きた悲劇も「核が悪いのではなく正しく使えなかった当時の人類が愚かだった」ということになるでしょう。
そうなれば、オッペンハイマーが善か悪かなんて議論はなされることはなくなります。
ただ、これも「悪事の被害者は死に、功績の恩恵は世代を超える」という話のバリエーションのように思います。