庶民のお墓がいまのような墓石になったのはここ100年ほどの話しだと聞きました。
考えてみれば土葬の時代に先祖代々もなにもないわけで、だとすると、なにかものすごい仕掛け人が居るのではないかと思いました。
墓地の分譲や直方体の墓石などというものは誰が形式化し今のようになるまで庶民に押し広めたのでしょうか?
キリスト教の影響?特定の宗派?それとも国の政策?
そのブームの起源として伺い知れるものとかがあったらお願いします。
墓地には石材屋の出入り(指定)業者がいる所があるようです。
場所によっては出入り業者からしかお墓を買えないので、嫌でも墓石を購入することになります。
今や墓地は商売になります。なので石材屋は売り込むためにお墓のデザインを変えたりといろいろやっているのだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/墓石
Wikipediaで見ると平安時代に始まり,江戸時代には既に庶民にまで広まっていたようなので100年というのは何かの間違いでは。
読みましたよー。
wikipediaに書かれている江戸時代中期以降~明治までの角柱型の墓石といってもこの手のものになるかとおもいます↓屋根付き、傘付き。
http://1st.geocities.jp/edenno2/haka.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ohaka/ohakanorekishi_14.html
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江戸時代後期まで、一般庶民には造ることの許されなかった墓石
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ohaka/ohakanorekishi_05.html
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そもそも庶民は明治ちかくになるまで墓石を儲けることもできなかったようです。
なぜ庶民はお墓を持てるとなったときに一様に石柱型を採用したのでしょうか?
明治あたりから急激に傘つきが一般的になって、そこから傘がとれて今みたいな形になったとおもうのですが、お地蔵さんみたいなヤツや、ひらべったい石碑型はなんでここまで淘汰されたのか気になります。
それに近代になって屋根がなくなっちゃった理由も気になります。
(大量生産のための生産者側の都合だとは思いますが・・・)
明治民法の家制度、
江戸幕府の寺請制度、檀家制度
ここらへんで墓石の形が規定されていたのでしょうかね・・・。
親戚が江戸時代からの墓地を整理して、先祖累代の墓になおしたんですが、その時、古い墓石に文化○年のように刻んでありました(ただし、昔の記憶なのでうろ覚えです)。今のようにツルツルに磨いた墓石ではありませんし、大きくもありませんが、石柱形でしたよ。屋根などはついていません。文化年間は1804年から1817年だそうですから、今から200年くらい前ですね。親戚は武家の出(といってもど田舎で百姓をしている武士ですが)なので、庶民とは違うかもしれません。そのお寺はとても古く、そのような昔の墓石がたくさんありました。
明治元年が1868年。1800年ごろというとちょうど江戸の後期なのでちょうどお墓というものが許され普及し始めた時期なのかもしれません。
200年ぐらい前の普及時に石柱型は採用されて定着していたのかもしれませんね。
とすると、100年というのが大げさなのかな?
ただ自分が子供の頃の墓地はもっとバリエーションに富んでいた記憶があります。
(都内ですが・・・)
いまでも無縁仏っぽい(?)ゾーンは確かに石柱型は石柱型なんだけどなんか今のとサイズもデザインも違う気がします。
といっても年代とかそこまで気にしてみたことがないのであれなんですが。。