ここに書いてある通りだと思います。最初は助詞か方言かとも思いましたが(京都で〜するん?の『ん』など。)
「ん」は「の」が音便化(撥音便)したものです。
この「の」は格助詞「の」の準体言用法(「の」が体言(名詞)と同じ働きをする用法)だと思います。
この場合、「あの店はおいしい店です」というかわりに「あの店はおいしいのです」となり、それが「おいしいんです」となってるんじゃないでしょうか。
「あの店はおいしいです」とするより、「おいしい店です」とする方が、あの店はいつもおいしい料理を出す店だ、と、「おいしい」状態を一般化し、強調しているようなニュアンスになりますね?
そこに準体言の「の」を使い、さらに撥音便化させることにより、「店」という体言を使うよりは軽いニュアンスだけれど、ただ「おいしいです」というよりは、多少一般化して強調してるようなニュアンスにしている感じだと思います。
とはいえ、そもそも断定の助動詞「です」って、本来形容詞には接続しないんじゃなかったかな、という気がするので、「おいしいです」と言い方の方が本来イレギュラーだったのかも?
そこらへん調べ中ですが、いいページが見つからないので、また見つかったらご報告します。
[準体助詞「の」の転]話し言葉でのくだけた言い方に用いる。体言に準ずる意味で用いる。また、「んだ」「んです」の形でも用いる。
「その本は僕―だ」「一時間も待っていた―だ」
あの店はおいしい「の」です、でしょうか?
促音便
おはようございます。音便というものです。意味は文法上はおなじですが、実際上だとなんとなく「フォーマルでない」「甘えている」「主観的である」感じがするかと。
根拠をと問われると 困ります
センス、感覚といったものです。現代科学の追いつかない暗黙知領域の話題ですかね。。
私には「おいしいです」は事実を述べているのに対して「おいしいんです」は聞き手の存在がより強く感じられるんですがどうでしょう?「甘えてる」「主観的」という場合もあるかもしれませんが一般的にそういえるでしょうか?
「おいしいんです」は「おいしいのだ」の丁寧語で,「おいいしいのです」が口語的に変化したものです。「おいしいです」は「おいしい」の丁寧語です。「おいしいのだ」は「おいしい」に準体詞の「の」に断定の助詞「だ」がついたもので,「おいしい」に比較して,自分の意見を強く述べる言い方とされます。よって,「おいしいんです」も「おいしいです」に比べ,少し自分の意志を強く込めた言い方といえるでしょう。
自分で主観的だと認めてるということですか?
「おいしい『ん』です」の「ん」は「おいしい『の』です」の「の」が変化したもので軽く詠嘆し念を押す終助詞・間投助詞です。
すみません、おかねがなくなっちゃいました。
回答ありがとうございます。
一個目の「僕んだ」はちがうでしょう。「僕のものだ」が省略されたんで「おいしいものだ」は違う意味です。「待っていたのだ」はちかいかも。でもそれでは「おいしいのだ」の「の」ってどういういみでしょうか?