http://www.angelfire.com/in/ptsdinfo/crime/crm3gsto.html
ストックホルム症候群について
ご存知でしたらごめんなさい。被害者が犯人に連帯感や好意を抱いてしまう、ストックホルム症候群です。
数年前にスペーストラベラーズという映画がありましたけど、極端にするとあのような感じです。
『三四郎』
-----引用開始-----
「その脚本のなかに有名な句がある。Pity’s(ピチーズ) akin(アキン) to(ツー) love(ラッブ)という句だが……」それだけでまた哲学の煙をさかんに吹き出した。
「日本にもありそうな句ですな」と今度は三四郎が言った。ほかの者も、みんなありそうだと言いだした。けれどもだれにも思い出せない。ではひとつ訳してみたらよかろうということになって、四人がいろいろに試みたがいっこうにまとまらない。しまいに与次郎が、
「これは、どうしても俗謡でいかなくっちゃだめですよ。句の趣が俗謡だもの」と与次郎らしい意見を提出した。
-----引用終了-----
こういっちゃなんですが、所詮俗謡なのだから心理学的説明を求めるても、無駄ではないですか。
俗謡に心理学的説明を求めてもムダである、という記述は論理が飛んでいます。御伽噺に心理学的意味はありませんか? 噂やデマにもありませんか? いいえあります。それらを専門的に研究する分野がありますから。
ゼロポイントです。
URLはダミーです。
精神分析学では恋愛の重要な要素に「同一化機制」を取り上げることが多いのですが、
この同一化は、投影同一化、取り込み同一化のふたつに分別できます。
投影同一化が自己の本能・衝動・情緒・観念・表象などを外在化して、自己とは別個の相手に属するものとして知覚する機制であるのに対し、
取り込み同一化とは、相手のものを自己の内部にとり入れて、自己の一部とすることです。もちろん、相手の心情を自らのものとして受け止め、「可哀想だ」と同調するのも、同一化の現れと見なされます。
現在の心理学でも、低レベルで遺伝的な脳の機能のひとつとして、同一化現象が研究され続けているようですが、
「観念的」だと思われたときにはご容赦ください。
精神分析的解釈をありがとうございました。ですが俺が求めているのは社会心理学的説明です。おなじ事象を理解するにもフレームワークは複数あります。この場合はあなたの回答は観念的ではありませんが的外れです。
ポイントについては、、考えます、、、
http://www.hatena.ne.jp/1063014611#
「可哀想だた惚れたてことよ」。夏目漱石のどれかの作品に出てくる有名な台詞です。この言い方はおそらく「相手を可哀想だと思ったら、それはもう愛しているのとおなじこと.. - 人力検索はてな
URLはダミーです。
文学的な検証になってしまうのかもしれませんが、日本語の古語に「悲しうする」(表記は不正確)というのがあり、それを現代語に訳したときの意味は「愛する」だったと思います。
ひょっとしたら漱石もこの言葉を念頭に置いていたとすら勘ぐれる可能性もあるのではないでしょうか?
なお、わたしがむかし古文の授業でこの単語を習ったときは、発音は「かなしゅうする」だったように記憶しているのですが、さっき簡単にgoogleで調べてもひっかかりませんので、おそらくひらがな表記は別の形になるのだと思います。あしからず。
ご承知の通り、おれの質問意図から外れています。
http://www.ladys-page.com/hiroko76.html
病気の達人・「可哀想」の意味
私も「はたしてそうでしょうか。」と思います。違うような気もします。「可哀想」ではなく、「尊敬」するというのが、相手を愛している証なような気がします。あ、観念的ですね^^;データはありませんが、このHPは心理学的側面・・・あ、でもデータはない・・・を表現している的確なものだとは思うのですが・・・もし、意図と違っていたら、すみません。。
データデータというのをやめて根拠レスな俺様思想を書き連ねてみます。
可哀想も惚れたも尊敬も、あるいは友情も愛情も恋も愛もアガペーもエロスも、要するに(出ました要するに、、おれ好きなんですよね、、、なんでだろう)それはsympathy、同情、共感がベースになっているような感じがします。
男と女の間で共感があれば、ときに肌を交えることもあろうし、そうではなく美術館めぐりをするだけの仲、あるいは結婚をする仲になる。男女関係において、配偶者、セクフレ、茶飲み友達、腐れ縁、愛人恋人幼馴染、友達、、などなどはそのとき呼びたいように呼んでいるだけのあまり意味の無いラベルです。俺は好きだと告白した相手(2年前に知り合った、告白するまでは友達だったひと。彼女自身が”松田さんとは仲良しだと思います”(大意)と秘密結社さげさげ団ネオmlに投稿している)がおれをさかんに”He is just a friend, not my boy friend”と現地の知人に説明しているのをとなりで聞いていましたが、たとえばこれも。。
親子関係の場合は、生れ落ちた当初は子供が自分と親を区別できないほど一体化していますが、子供が成長するにつれてどんどん他人に近づいていく。よく父親がいいますね、俺を乗り越えていけみたいなことを。
共感するというのは感情移入のことです。他の存在の気持ち(無機物でもかまわない、、)にあたかも自分がなっているかのように思い込む能力。
おれはお気に入りのパソコンが壊れたときに「かわいそう、、」と涙したひとをみてびっくりしました。友達の奥様は会社から帰ってくるとぬいぐるみをひざに乗せながら話しかけると聞きます。
友達「結婚してしばらくは正直、不気味くさかったが、慣れたな
俺「…愛があるからだろう。。しかしあんまり他の人には言わない方がいいかもしんない。。
突然終了です。
ありがとうございます、しかし存じておりました、すみません。あまり長い記述は質問欄には書けないかとおもって。余計な手間をおしつけてしまってごめんなさい。かつまた、、ストックホルム症候群では被害者が加害者にたいして協調的心理に陥る現象ですが、俺の挙げた例とはかなりずれていませんか? 主体が他主体を心理的対等の自由な立場において同情する、そうするとそれは惚れたということなんですね。これはいったい、、?