歴史の疑問です。日本の皇統は血統で決まるにもかかわらず「三種の神器」といった正統のお墨付きが必要なのはなぜでしょうか。もちろん、天皇に兄弟が多い場合など継承権を争う場合、その最終レースの勝利者を表示する意味あいがあるのはわかりますが(例えば、南北朝)、その場合でも、原理的には中国のように御璽のみでいいはずです。なのに日本の場合は、御璽は三種の神器にすら含まれていません。なので、日本の正統の考えは中国に由来するとも思えません。ご回答はホームページの紹介でなくてもけっこうです。書籍のご紹介の場合は、その理由を簡単にまとめて記していただけると助かります。

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回答5件)

id:sasada No.1

回答回数1482ベストアンサー獲得回数133

ポイント60pt

>天皇家に伝わる伝世家宝/鏡・玉・剣

>八尺瓊勾玉

>宮中三殿の賢所に安置され、他の2宝とは異なる扱いを受けています。

>この事から、玉爾の性格を持っていると云えます

 いろいろな解釈があるようです。

 統一された定説は無いのかもしれません。

>三種の神器とは、「皇位の標識として歴代の天皇が受け継いできた宝物」(『広辞苑第4版』)である。

>これら三種の神器は、代々の天皇により皇位の証(あかし)として継承され、(略)

 少なくとも、(日本の有史以来? ) いわゆる御璽より正当性があるようです。

id:finalvent

ご紹介されたHPを読みました。面白いですね。日本史のかたは中国との比較というのはあまりなされていないのだなという印象も持ちました。(sasadaさんの検索力には脱帽です!)

2003/10/28 11:08:22
id:sommeil No.2

回答回数356ベストアンサー獲得回数0

ポイント60pt

【例えば『神皇正統記』の中に、「三種の神器があるところ正統なり」という主張が明確に説かれておりますが、義公が『大日本史』の中で南朝正統論、すなわち吉野の後醍醐天皇方が正統であるとする確信を得られたのは、この『神皇正統記』であると言われております。】

ここから始まっているような気がします。

【そこで三種の神器の所在が皇統の正閏、即ち正統であるか否かの判断の基準になってくる訳であります。】正閏かそうでないかの判断基準だったのではないでしょうか?

今では

【鏡の知恵と玉の徳と剣の勇気決断、この三徳を合わせ保たずしては天下を治めることは困難であると説かれているのであります】という意味合いも含んで受け継がれてるのではないでしょうか・・・・。

id:finalvent

やはり、皇統の正閏の証明PGP(冗談です)みたいなのでしょうね。それと、やはり神皇正統記は重要ですね。

2003/10/28 11:13:57
id:sasada No.3

回答回数1482ベストアンサー獲得回数133

ポイント40pt

>ニニギノミコトは大きな勾玉(まがたま)と、神聖な剣と、青銅の鏡の三つ(注:三種の神器)を持って、九州に来た。(略)

>これら三つの品物は、今日もなお、天皇の地位の象徴となっている。

>ニニギノミコトにはジンムという孫があって、この孫が日本の初代の統治者となった。

http://www.paperbirch.com/shinto/shinto06b.html

六章 日本民族の使命と信仰

>(五)天孫降臨

>三種の神器をささげて、筑紫の日向の高千穂の串觸嶽《くしぶるだけ》に降臨される。その年代は、神武天皇の御言葉として日本書紀に出ているところによれば、実に当時をへだたること百七十九万二千四百七十年余りの昔だとあります。

 思想的なフィルターを抜きにしても、「天孫降臨」の後継者の証である事を重要視しているようです。

 日本の歴史の由来は、(研究される人の思想も有るのでしょうが)世界史・東洋史よりも 古事記や日本書紀等の日本の古代史(?)が重要視されているようです。

 実際の皇位継承においても、重要視されたのは日本古来の歴史でしょうから、間違った方向ではないのかもしれません。

>○ここに、平泉澄(さとし)が、北畠親房の「神皇正統記」を国史の典拠とした経緯が書かれて居る。

>○北畠親房は、南北朝時代、南朝こそ正統の皇室であることを論証するために、三種の神器(鏡、玉、剣)を持ち出した。

 ちなみに、「神皇正統記」による正統化は南北朝とのかかわりが深いようです。

 (バイアスの少ないURLが見つかりませんでした。ごめんなさい)

 先ほどは、finalventさんの質問だと気付く前に回答してしまいました。

 単純な検索結果はオヨビでなかったですね。失礼しました。

id:finalvent

いやぁ、面白かったです。それと、我ながらうかつだったのですが、この問題について古事記と日本書紀を整理したほうがいいかなという着想を得ました。これはめっけものです。余談めきますが、阿修羅さんも太田龍を載せてちゃなぁとか思いました。

2003/10/28 12:33:33
id:masaomix No.4

回答回数1023ベストアンサー獲得回数1

ポイント20pt

http://www.officecats.net/

動物愛護同人「ねこの事務所」

毎度URLは激しくダミーです。

さて、言うまでもなく、三種の神器とは、

八咫鏡、草薙の剣、そして八尺瓊勾玉の三種です。

八咫鏡は天照大神の岩戸隠れに由来する鏡で、

別名、遠岐斯鏡(おきしかがみ)。

「おき」は招くの意で、つまりは神霊招魂の鏡。

天の岩戸隠れの際に大神を呼び戻すために用いられたのが

この鏡であると言われています。

歴史の事実が何にせよ、太古の惟神道(古神道)が

太陽崇拝の信仰形態を持っていたことを示すものでしょう。

草薙の剣は、素盞嗚尊が八俣の大蛇退治の際に

大蛇の体内から取り出し天照大神に献上したと伝えられる剣で、

ヤマタノオロチがなにものかについては諸説ありますが、

たとえば八幡のオロチ族という地方列強の一派であった

などと推察されます。

いずれにせよ、大和朝廷の国土統一の軌跡に由来するものでしょう。

八尺瓊勾玉は公式な由来は不明とされていますが、

瓊は赤色で惟神道では太陽、火、神、霊を表すものとされ、

八尺の八は天意が地に具現化することを示す数霊です。

また玉は神霊を表しますから、

これらが総合して太陽信仰の神を象徴するものであったことは

容易に想像がつきます。

そして、その太陽神の象徴を真円の球とせず勾玉(曲玉)とすることで、

太陽に対となる月神の象徴とした形跡があります。

そしてここで押さえておかなければならないのが、

記紀成立以前の古い神道の考え方のひとつ、「産土」です。

むすび、うぶすな、などと呼ばれるこれは天地創造のパワーの意で、

天・空・地三位のそれぞれ相反する力が合体した時に巨大なパワーが生じ、

それによって森羅万象が作られた、とする考え方です。

これが日本古来の創世神話なんですね。

そこで、天津彦彦火瓊瓊杵尊がこの地に降臨の際、

天照大神から三種の神宝を授けられて降臨したと言う伝説が始まります。

すなわち、天の象徴である日の神の鏡、

空の象徴である月の神の勾玉、

地の象徴である国土統一の剣、

この三つの神霊の宿る神器が一人のスメラミコトのもとで統一され、

そこから発動される産土の力が国土を統治する。

これが、皇位継承の三種の神器の、神道的なそもそもであるわけです。

もちろんこうしたはっきりとした象徴化は中世の

記紀成立以降のことになってくるものと思われ、

歴史の時系列としては遣隋使などの方が遥かに先なわけですが、

敢えてそこで日本古来の伝承による皇位継承のあり方を確定していったということが、

行政機構の形式の多くを大陸に学んでいた日本の、

行政とは一線を画した宗教的存在としての天皇という位置づけを、

極めて強く示唆するものとなっていると思われます。

id:finalvent

ふむふむ、ねこさんらしい筋の通った意見ですね。それと最近は産土ということなどすっかり忘れていました。確かに神器の発想はそういう日本的な感性に依存している面は強いのだろうなと思いました。

2003/10/28 12:35:54
id:foobarqux No.5

回答回数73ベストアンサー獲得回数0

ポイント20pt

正当な理由については他の方にお任せして、

私はトンデモ系の御案内を:-)

「失われたアーク=御舟代」説です。

千代田区の方々は人類に対して偉大な使命を帯びているとかいないとか....

id:finalvent

この手の話は面白いですよね。明治時代からえんえんとありますね。昔、日本に赴任したトケイヤーという正式なラビ(ラバイ)もけっこうマジこいて調べていました。実際、空海の渡唐のころ西安ではネストリウス派キリスト教が盛んでしたから、そういう文化も日本に流入したのでしょうね。

2003/10/30 17:16:48

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