http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%8...
日本の私塾一覧 - Wikipedia
主なものだとこれくらいだそうです。
ありがとうございます。
こうした学校や塾の入学試験はあったのでしょうか?
くどくて、すみません。
http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=4784207473
『近世私塾の研究』 −思文閣出版 刊行図書詳細
この本も便利ですよ。
江戸時代の私塾
順番が逆になりました。
少し違いますが、細かい説明があります。
興味深い本のご紹介をありがとうございます。
westkaz さんは、やはりお読みになったのですか?
中に、試験問題とかは掲載されていませんでしか^^)?
入塾試験につきまして。特に一律の試験は無かったようです。例えば緒方洪庵の適塾(福沢諭吉などが学ぶ)などは、まず入門者はそれに近い者(学習があまり進んでいない塾生)から講義を受けます。進級試験があり、それに合格すると順に実力があると塾内で認められている先輩から講義を受けることができるようになります。緒方洪庵の講義を受講できたのは、福沢など極めて優れた少数の塾生であったと、福翁自伝などに記載されています。当時は貴重な英語の辞書を借りるのも先輩が読み終わった深夜であるという伝説もあります。つまりそれからでないと、新入生は勉強できなかったのですね。また、現代のように資格をとれるとか、仕事に就けるとか約束されているわけではなかったので、勉強そのものが好きな志ある(変わった)若者しかそういうところに行かなかったとも思われます。塾生は、奇人変人扱いされるくだりが、やはり福翁自伝にもあります。
非常に詳細で丁寧な解説をありがとうございます。
やはり、進級試験というものはあったのですね。
福翁自伝には、その問題のサンプル?みたいなものは載っているのでしょうか?
コメントで追加なされた質問についてもお答えさせていただきます。
師は入塾希望者に対して「何のために、何を学びたいのか?」と質問し、その
勉学の大志と、自発的な勉学意欲があるかないかを確かめ、素質のあるものを見抜いて厳選、
入塾を許可したことである。自ら勉強しようという意欲や大志のない者に勉強を強要しても
逆効果となり、周囲の者にも悪影響を及ぼすので、自発的向学心を最重視したのである。
とあります。
ここには、武士も庶民も入塾していたという階層を越えて学んでいたのである。
とありますので、身分とかは関係なかったようです。
しかし、一方で
<大体、適塾でも咸宜園でも、入塾のときの条件の「三奪」というのがあります。つまり、武士の子でも町人の子でもみな同じ、家柄を問題にしない。また年齢を問わない。そして従来の学歴は無視する。こうした家柄、年齢、学歴を奪うという意味で「三奪」なのです。吉田松陰の松下村塾などには、10歳に満たない子供や、土地のゴロツキまで通っていたそうで、要は学問をする姿勢と、試験による成績次第だったのです。
という記述が見つかります。
また、ほとんどの国民が通っていた寺子屋を修了した者が通うという高等教育機関的な意味合いがあったようなので、
少なくとも入試を課した塾があったと考えるのが妥当だと思われます。
いろいろと調べてくださいまして、本当にありがとうございます。
貴重な情報をありがとうございます。
http://www.forum3.com/projects/alt/column/thread103/2003042722.h...
松下村塾 教育の原点を問う : 4.松下村塾 (10)評価
このサイトには、いろいろ載っていると思われます。
本当ですね。「試業」というのがあるのですね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちなみに、こうした塾には入塾試験みたいなのって、あったんでしょうか?