1.諸外国と比較して現代日本の「養子縁組」は多いか少ないか。
2.諸外国と比較して現代日本の養子縁組希望者数は多いか少ないか。
3.統計上、継父母の方が実父母より子供を虐待しやすいとわかっているのか。
おまけ.
・両親が継父母だとわかってグレる子供、という筋書きのドラマは多いが、現実に多いのか。
・現代の日本では、なぜ「本当の親」などといって、血のつながりを重視する価値観が支配的なのか。
・親のない子が親のないまま育つことについて、現代の日本で社会問題とみなされているのか否か(養子制度を否定すれば自ずと親のない子は親のないまま育つことになる)。
・私の母方の祖父は養子に出されましたが、実父母(曾祖父母)と終生、交流がありました。跡取りが必要な家に養子へ行き、そこで育てられましたが、実父母からも可愛がられ続けたのです。なお私のいとこ(伯母の子)にも、子のない伯父の養子にしようという話がありました(流れました)。現在、こうした家族関係がほとんど消え去っているのは何故か。
1〜3は資料の提示を希望。おまけは思いつきの回答で可。
livedoor
おまけの4番目について。
昔、特に戦前は「家」が重要視されていたので、「跡取り」のない家では積極的に養子をとっていたのでしょう。
戦後、核家族化の進展と共に、一部の旧家等を除いて養子(婿養子を含む)をとって家を存続させるという動機が薄れてきたものと思われます。
Yahoo! JAPAN
urlはダミーです。(おまけ向け)
私の実父も親戚に養子に出されていたようです(戸籍上はわかりません。苗字も両方おなじなのであえて手続きしていないかもしれません)が、両方と仲がいいみたいです。
わたし自身ももらう方の立場になることは
多少考えなくもなかったです。
ただ、逆の視点からいうと、
現代は、少子化なので、「たくさん子供がいて養子に出してもいいといってくれる親戚のおうち」自体がすくないように思います。
最近は一卵性母子の次に「おばが姪に
ものを買い与えたりして
心底からかわいがる」というのが
流行っていると見聞しましたが、
それも昔でいう養子にしたいけれど
もらいたい側が一歩手前で自己を抑制
している状態なのかもと思います。
養子とはちょっと異なりますが
自治体の里子制度というのがあります。
離乳までなど、子供本人がしゃべれないあいだは、親の体質がわからないと、体質的なみきわめがむずかしくて多少育てづらいかなとは思いますが、いい制度だと思います。
しかしその場合でも自治体から
養育費がもらえちゃったりして
「金めあて?」みたいなことをいわれるといやなので
おおっぴらにしない傾向があるようです。
アメリカみたいに堂々とやれればいいのにとおもいます。
(あちらは白人が黒人を育てていたりするので
見てすぐわかる養子が結構多いし堂々やってますよね)
まあ、漫画などで養父母のほうがぜんぜんいいヨというストーリーもあるし(「彼氏彼女の事情」とかは極端ですが)世論は変わりつつあると期待します。
おまけ向き回答です。
私の大叔母には子供がなく、末弟を養子に取りました(いまはこれはできないかも?)当時はよくあるような話だったそうです。また、家同士の結婚という考えが強かったようで、我が家の親族間系は祖父母の代ではそれぞれの家の兄姉同士、弟妹同士というのが多くてこんがらかっています。母方の母のいとこはみんなきょうだいみたいな顔してます(^^;
このなかで、養子縁組やいわゆる再婚による継母関係もありますが、グレたり揉めたりした例は不思議とありません。個々にそれぞれの思いはあるらしいですが、愛情に差があるとは思いません。
昔は家の存続のためにそういうことをしたのですが、現代では家の存続と言う考えが薄く、不妊治療と言うものが幅をきかせているため、「養子を取る」というたてまえとしての動機がなくなってしまったのではないでしょうか。
また養子と言うものに対して流されたドラマなどを見た人の偏見もあり、少なくなっていったのではないでしょうか。
moonlightanthem さんのご回答を読むと、やはり不思議に思います。親戚まで含めれば、養子縁組はあちこちにあって、それで養父母に子供が虐待されたとか、里子に出されて不幸になったみたいな話はトンと聞かない。みんな養父母に感謝していて、実父母のことを恨んでもいない。いわゆる「パパとママはボクを捨てたんだ! ボクはいらない子だったんだ! (T_T)」という話と違うんです。
多くの場合、実態はそうだったと思うのに、なぜか現代では養子は可哀想、子供を授かるなら絶対に実の子がいい! なんて世の中になっている。途中で何があったんだ、と、不思議に思います。
家の存続が不問とされ、子供がほしいだけなら不妊治療があり……この説明から抜け落ちているのは、ひとつには孤児の問題。それから、どうして不妊治療が発達したのか、という問題ですよね。もともと日本に孤児が養子になるケースは少なかった、という可能性はあります。となると逆に、なぜアメリカには孤児がたくさんいて、多くの映画や小説に登場するのか、という疑問が生じます。不妊治療の発展は……よくわかりませんね。
1.−3.のヒント程度ですみません。諸外国というのがどの国かはわからない(極端なたとえ話ですが、後進国だと孤児だらけかも)ですが、日本のはこちら。
米国のでしたら米国の、と決めて調べたほうがよさそうですね。
このシドさんというのは以前から知っていましたが
非常によく里親として勉強なさる方です。
ここには、3万人の要看護児童がおり、里親登録家庭が7500家庭あっても、
実際に里子保護を行えるのは1600家庭であることが記載されています。理由は、まったくの孤児でない子供の場合、実の親が口出しをするし、客観的にみて実の親に保護能力がないと思えても、介入を法律上止められないからです。
以前の回答でダミーのみというのはあまりよくなかったと反省しましたので追加サーチしましたが、ヒント程度にしかなりませんね。すみません。
「親が行方不明の場合、実親の承諾を得ることはまず不可能」……知りませんでした。親が死亡している場合はどうなのでしょう。
全世代合計で要養護児童が3万人「しか」いない、というのは予想よりずっと少ない数字でした。仮に全員が里親に引き取られたとしても、身近な存在とはなり難い人数です。しかも実際に里子を育てているのはわずか1600家庭。どこか遠い世界の話、となってしまうのも無理はありません。
もちろん、これは行政が関わった数字のみを追いかけているわけです。日本では、両親が早くに亡くなった場合、親戚が子供を引き取るのがふつうだ、という事情は勘案する必要がありましょう。それにしても、そうした人伝でない形の里親がまさかこれほどまでに少ないとは。また、死別や生活苦よりも虐待が第一の問題として挙げられているのが、日本らしいところだなと思いました。
近年、虐待児童の救出をめぐり、どこまで親権を制限するかという問題が社会的に論議を呼んでいます。今でこそ人権派は子供の権利に目を向けていますが、仮に一部の強硬論を取り入れて積極的に行政が関わっていく体制を作ったならば、必ず逆ブレが生じます。役人が国家権力を振りかざして親から子供を奪うのは許せない、と。
いずれにしても、日本に大量の孤児はいないことは明らかで、それゆえ、養子や里子について「問題」となっている様子が見られるのは「児童虐待」という切口から探った場合だけ……という感触は、私自身が情報を検索した印象と一致します。
> db3010ss さん
私の祖父の場合、そういうケースになりますよね。でも例えば、孤児院から子供をもらうというケースはどうでしょう。まず聞かないんですよね、これが。赤ちゃんのうちに貰ってきて、本人にも近所にも秘密にしているとか、そういう話が多い。で、その赤ちゃんの出所がよくわからない。子連れの再婚というケースでは継父母が登場しますが、養父母は滅多に聞かない。子供ができない夫婦は、昔なら養子を貰ったのですが、今はとにかく不妊治療。孤児が社会から消えたならともかく、今でもいるわけでしょう。違うのかな、その辺。あと質問文3.に継父母と書いたのは養父母の間違いで「しまった」と思っています。
> NAPORIN さん
映画「スチュアート・リトル」でも子供を貰うことが慈善事業じゃなくて家族の幸福を増す要素として描かれているわけです。「サイダー・ハウス・ルール」でも基本線は同じなんだけれども、小さい子ほど貰われやすいなんて話が出てくる。NAPORIN さんのお父様や私の祖父のような例が減ったのは、社会状況の変化から理解できるのですが、そもそも日本に孤児が少ないというあたり、何でだろうと思ったりするわけです。中絶大国だからなのかな……。仮に、あまり話題にならないだけで、日本にも孤児がたくさんいるのなら、養子をどんどん貰おうという方向に向かうといいと思います。養子だから可哀想、とか、絶対に実の子じゃないと嫌、みたいな方向性が弱まって。