http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/tv/news/20041127k0000e040065000c.html
これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について
ログインして回答する
コメント(13件)
○木○子といい、×の×ん×といい、血液型関連番組といい、「根拠がはっきりしていないのに、断言的に決め付ける」番組ばっかし。
おあそびに受け取れる年代はいいけど、子供は信じ込む子もいますものね。
日本国民のうち、そんな番組見てる全部。
体質が異なるのは事実であって、それが性格に影響することは明らかである。先天的な条件が人間の性格を決めるという事実を認めたくない「平等主義者」が現実を見る目を閉ざしている。
「快・不快」の感情は人間の行動に大きく影響する要因であり、血液型の違いは「快・不快」の感情に影響を与える要素であるからである。
数字が取れるからTV局はやるわけであって、すなわちそれはみんなが見るから。
みんなが見るってことは、それだけ面白い中身があるってこと、単にそれだけなのでは?
4パターンに分けられることなんて常識的にあるわけないのだから、みんなわかってみているのだろうけど、確かに子供にはわからんだろうね。
それを教えるのはテレビ側の役目ではなく、親の役目だろ。
単なる言論弾圧の一種だと思われるけどなあ。
まぁ昔のエロ漫画弾圧(遊人とか)のときと一緒で一時期のブームやろうけどね。
世の中偽善者ばっかり。
>体質が異なるのは事実であって、それが性格に影響することは明らかである。
また、そういう嘘を言う馬鹿がいるから、あの低能番組を作る馬鹿や
それを見て信じる馬鹿がいるってのは、よくわかるね。
>「快・不快」の感情は人間の行動に大きく影響する要因であり、血液型の違いは「快・不快」の感情に影響を与える要素であるからである。
ゲラゲラ。大嘘をよくもまぁ、並べるね。
根拠のない非難をしないように。
実際に心理学を学べば、血液型は性格に影響しないと主張する側の根拠のなさが、すぐぬわかる。
実際、主観に基づくアンケートの結果を分析しても、事実を反映したものには、ならない。
また、上に述べたように、差がないと考えるほうが「非合理」であって、そこには、「バカの壁」が存在していると考えたほうがよい。
君のほうこそ、少しは勉強しないと、嘘を見抜けなくなるよ。
>体質が異なるのは事実であって、
ここのところのソースを教えていただけないでしょうか?
できれば、そもそもの「体質」の定義もお願いできればありがたいです。
ABO式分類の違いが免疫力の違いになるかもしれないという話はあります。リンク先を見て下さい。ただ、私も日記で触れたのですが本当に免疫力に差があるのかと、あったとしてもその差が本当に性格形成に影響を及ぼすのか、また他の要因による影響よりも大きいのかという大きな疑問点は当然出てきます。
また他の方が指摘されていますが、血液型占いによるバイアスのせいで、自己申告制のアンケートだと偏る可能性も非常に高いと言えます。
http://www.ni.bekkoame.ne.jp/uenonorio/ketueki_A/ketueki_2.htm
>根拠のない非難をしないように。
根拠のない嘘を言わない様に
>実際に心理学を学べば、血液型は性格に影響しないと主張する側の根拠のなさが、すぐぬわかる。
それが捏造されていることを理解してないね。
>実際、主観に基づくアンケートの結果を分析しても、事実を反映したものには、ならない。
主観で分析をやっているわけですね。
>また、上に述べたように、差がないと考えるほうが「非合理」であって、そこには、「バカの壁」が存在していると考えたほうがよい。
虚偽を言い立てて、実際の全データを提示しないで言い張る馬鹿はやめたまえ。
>君のほうこそ、少しは勉強しないと、嘘を見抜けなくなるよ。
嘘を言い立てようとして必死だね。
データも出せない低能ちゃんの言う「心理学」ですかね。
じゃ、頑張って「A型全員が分類された性格である」ことを示す根拠を待っているよ。
出て来なかったら、todo_todoは嘘を言っていただけのことだね。
ありがとうございました。
>ABO式分類の違いが免疫力の違いになるかもしれないという話はあります。リンク先を見て下さい。
リンク先の根拠となるサンプル数が300人ってのは、どんなもんでしょうね?せめて全血液型それぞれ1000人程度のサンプルが無いと、統計的にはあまり意味が無いように思われますが、いかがでしょうか?
>また他の方が指摘されていますが、血液型占いによるバイアスのせいで、自己申告制のアンケートだと偏る可能性も非常に高いと言えます。
これは確かにありますよね。客観的・科学的なデータの提示があればいいんですけどね。
todo_todoさんは「明らか」と明言されているので、できればご本人にご教示願いたいですね。
私は科学的に判断して、血液型が性格に影響しないという主張は間違っていると根拠を持って言っています。
人間は等しく尊く、貴賎はなく、努力は報われるといいたがる理想主義者たちは、このような議論を好まず、理解もできず(これが「馬鹿の壁」ということぐらいはおわかりでしょうか)、一方的に非難しますが、血液という人間の体質に影響を与える要素が違えば、性格が異なるのは当然です。実際に血液型が違えば血液の組成も異なります。
また、差がないという一番簡単な方法は、前にあげた主観をたずねることのほかに、統計的に有意な差が出ないように標本数を少なくするという方法があります。性格を左右する要素はあまりに多様ですから1因子との相関は低く、標本数を少なくすれば、有意な差は出にくくなるのは当然です。
人間は悲しいかな先天的な要素によって決められている割合が非常に大きく、突き詰めていけば「自分の体質がどうであるか」その結果「自分がどう感じるか」に還元できることが、自分自身を見つめている人にはきっとわかるでしょう。
なぜある人は考えるよりも前に動き、ある人は動作が遅く、ある人は判断が鈍いのか。
このような基本的な部分を左右するのがその人の生まれ持った体質であり、血液型の違いは体質を左右する重要な要素です。
逆に言えば、違う液体で動いていて、なぜ同じ動きをすることになると言い切れるのでしょう。
最初にもかき、前回にも書いたように、それは「そうであって欲しい、そうでなければおかしい」という価値観がそうさせているだけであって、真実ではありません。
心理学を学べばわかります。現在の心理学は科学とは程遠い学問です。
そのような学問がどう主張しようが、事実は異なります。
血液型が違うということは、違う型の血液を輸血することで死に至るほどの違いであるのに、そして、人は血液を体中に巡らし、血液によって様々な機能を実現しているというのに、なぜその結果が性格の違いに結びつかないと主張できるのでしょう。
倫理上の問題だと考える人が多いせいで、違いがないという建て前になってしまって研究が進んでいないのが現状だと、私は考えています。
>倫理上の問題だと考える人が多いせいで、違いがないという建て前になってしまって研究が進んでいないのが現状だと、私は考えています。
研究が進んでいないなら、どちらとも断言できないのでは
ご回答ありがとうございます。
>私は科学的に判断して、血液型が性格に影響しないという主張は間違っていると根拠を持って言っています。
ここで仰っている具体的な「根拠」の出典が知りたいのです。
別にネット上でなくても構いません。専門書籍でも結構です。
todo_todoさんは「科学的である」こと、「統計的に有為であること」の重要性をきちんと認識された上で議論されていますが、ただ一点、この「根拠」の部分を具体的に指し示すことが欠けているのです。従って、十分に科学的な根拠を明示すれば、納得できる人は納得できるのではないでしょうか。
>人間は等しく尊く、貴賎はなく、努力は報われるといいたがる理想主義者たちは、このような議論を好まず、理解もできず(これが「馬鹿の壁」ということぐらいはおわかりでしょうか)、一方的に非難しますが、血液という人間の体質に影響を与える要素が違えば、性格が異なるのは当然です。実際に血液型が違えば血液の組成も異なります。
組成が異なるのは客観的事実として理解できます。ただし、それが「性格が異なる」につながるのは何らかの客観的データを示して説明しなければ、「もっともらしい(今後証明されるべき)仮説」に過ぎません。データがなければ、「そうであっても不思議は無いですよね」程度の話に陥ってしまいます。
>また、差がないという一番簡単な方法は、前にあげた主観をたずねることのほかに、統計的に有意な差が出ないように標本数を少なくするという方法があります。性格を左右する要素はあまりに多様ですから1因子との相関は低く、標本数を少なくすれば、有意な差は出にくくなるのは当然です。
これは仰る通りだと思います。多分標本数が少ないと、むしろ差は大きくなるでしょうが、それは有意ではないですよね。
>人間は悲しいかな先天的な要素によって決められている割合が非常に大きく、突き詰めていけば「自分の体質がどうであるか」その結果「自分がどう感じるか」に還元できることが、自分自身を見つめている人にはきっとわかるでしょう。
これは「体質」について言えば、「個性」に関わることであり当然のことだと思います。ただし、やはり「血液型」が違うことによって「体質」がどのように違うのか、他の要素に比べて、有意な差があると言えるのか(逆に言えば無視できない差なのか)、さらには、その「差」が「意識」の差に影響を与えるような差異なのか、という客観的根拠が指し示されないと、全てに同意は出来ないです。
>なぜある人は考えるよりも前に動き、ある人は動作が遅く、ある人は判断が鈍いのか。
>このような基本的な部分を左右するのがその人の生まれ持った体質であり、血液型の違いは体質を左右する重要な要素です。
ここの断定の根拠が知りたいのです。繰り返しになりますが、体質を左右する可能性が十分にあることは理解できます。ただ、根拠を示されないと、私にとってはそれは仮説に過ぎないのです。
>逆に言えば、違う液体で動いていて、なぜ同じ動きをすることになると言い切れるのでしょう。
>最初にもかき、前回にも書いたように、それは「そうであって欲しい、そうでなければおかしい」という価値観がそうさせているだけであって、真実ではありません。
もちろん言い切れません。しかし、液体の組成が異なっていても、体質に影響を与える要素では大差が無いために、事実上体質には影響を与えないということもありえます。例えばガソリンはメーカーごと、もっと言うと工場ごとに組成が絶対に違います。しかし、自動車の動力性能に与える影響が殆どない場合もあります。(もちろんある場合もあります。)このように、「可能性」の話(=仮説)であればいくらでも出来るのですが、「断定する」には十分な科学的根拠が必要なのです。
>心理学を学べばわかります。現在の心理学は科学とは程遠い学問です。
>そのような学問がどう主張しようが、事実は異なります。
>血液型が違うということは、違う型の血液を輸血することで死に至るほどの違いであるのに、そして、人は血液を体中に巡らし、血液によって様々な機能を実現しているというのに、なぜその結果が性格の違いに結びつかないと主張できるのでしょう。
念のために申し上げておきますが、私は「違いに結びつかない」と主張するためにこのように言っているのではありません。事実を知りたいだけです。そのあたりをご理解いただいて、お付き合いいただけるとうれしいです。
>倫理上の問題だと考える人が多いせいで、違いがないという建て前になってしまって研究が進んでいないのが現状だと、私は考えています。
研究が進んでいないと言うわけではないと思いますが・・・この辺は私も詳しくないので、コメントを差し控えます。