マルクス―いま、コミュニズムを生きるとは? (シリーズ・哲学のエッセンス)
『マルクス いま、コミュニズムを生きるとは?』
では、自分の食糧を分かち与えて他人の飢えや渇きを満たすことで喜びを感じるのは何故か、と問いを立て話を進めています。人は「個人」を生きるだけではなく、社会を通して「集合的身体」を形成している、という主張は、自己責任論が強調される一方で自然災害からの復興に協調する世界を見るにつけ、考えさせられます。
『脳と仮想』
筆者茂木健一郎氏は、以前NHK教育の番組で、サルは別のサルがバナナを食べるのを見ると、その脳は自分が食べているかのような脳波を示す、と解説していました。
この回答は自分の求めていたものでした。
ありがとうございます。
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ブラック・ジャック:マンガ:手塚治虫 - 電子書籍・コミックはeBookJapan
> 人は自分と同じ苦しみの他人に対して関心が深いのでしょうか?
ブラックジャックも手足が不自由な人に関心が深かったですね。
(彼は法外な請求をする医者の方ですが。)
苦しんだ経験を持ったことがあると、その時の感情が思い出され、
同じ経験、感情を持った人同士ということで容易に感情移入できてしまうからだと思います。
また、この経験は負の経験(痛み、悲しみ、苦しみ)だけではなく
正の経験(喜び、楽しみ)にも当てはめることができると考えています。
例えば、この時期だと大学/高校の合格とかでしょう。
合格者は容易に他の合格者と意気投合し、胴上げなどの喜びを共有します。
人は、他人と何かを共有したいと思っているから、共有した人に関心が深くなるのだと思います。
(まぁ、そのために自分の苦しみを他人にも味あわせようとする輩もいることも事実ですが。)
ありがとうございます。
この問題を更に進めてくれて嬉しいです。
何故人は、他人と何かを共有したいと思うのか?それをこれから考えていきたいと思います。
有名な心理カウンセラーの本ですが、中に「天国に入れるのは二人ずつ」という法則があります。苦しんでいる状態というのは何かから(特に人間関係において)分離した状態だから、癒しとは誰かと一体感を感じること、というような意味だと解釈しています。
私の経験ですが、苦しんでいる間や、今でも過去の出来事から挫折感や無力感に苦しんでいる場合、自分と同じような苦しみを持っている人に対して特に感情移入しやすいという側面があると思います。自分の過去は変えることができませんが、他の人の現状を変えるのを助けること、その達成感で、今なお続いている無力感や挫折感からは抜け出ることができるのだと思います。前向きな自分の癒し方かもしれませんね。
>自分と同じような苦しみを持っている人に対して特に感情移入しやすいという側面
そうなんですよね!!これ私、不思議に思ってました。例えば私がコミュニケーション能力で悩んでいたとして、物語の主人公が私と全く同じ悩みを抱えていたとしたら、ほっとするもの。
本自体はそんなには関係ないのですが。
私は、カウンセリングのような事をしていて、そのようなことについて答えた事があります。
私はそれを「一体化」とよんでいます。
つまり、他人や他の物体を他人と認識せず、自分の一部であるかのごとく、(ほとんどは無意識に)認識してしまうのです。
これは、パートナーシップの行き過ぎた状態で、他人の痛みも自分の痛みとして感じ、他人の喜びを自分の喜びとできます。
それは、子孫を残そうとする本能と深い関係があり、恋人を選ぶ際や、子供を育てる際に多く出てくる現象です。
しかし、その人に特に傷になる出来事と、他人が重なると、かなり一体化ができやすい状況になります。
生存本能がそうさせるのです。
で、「からくりサーカス」です。1巻で加藤成海がしろがねに、何故マサルを助けに行くのか問われるシーンで、成海は道にいる見知らぬ子どもを見ている場面があります。
転んで泣きそうになってる子供を見ている成海も、歯をくいしばって我慢する。
そして起き上がれたら、「ほぅー。」と安心のため息を付き、「おまえにはわかんねぇよ。」と返す。
彼のその状態が、一体化です。
つまり一言で言うと、他人事ではないということです。
その上自分の体と違って、感謝してくれたり、喜びを目に見せてくれたりします。
それは、自分の一部であるにもかかわらず、快楽が大きい事を示しています。それと本能が合わさって、大きく人に貢献させる動機となります。
それこそ、死と引き換えにするくらい。
結論としては、子孫を残す本能と生存本能が、それをさせると言っていいのではないかと思われます。
もちろん、人間にはそれに心理的なものも重なるのでしょうけれども。
>他人や他の物体を他人と認識せず
>つまり一言で言うと、他人事ではないということです
なるほど分かりやすかったです。人間と人間とが肉体で隔てられているという日常の習慣からすると奇妙な回答ですが、時に人間は心レベルで一つなのですね。
なんだか、ヒューマンな答えになってしまいましたね(^_^)。「ちっ」俺らしくねえなと少し悪ぶってみます。
ありがとうございます。
>大槻氏にそうさせるものは同じ心情を持つ者へのシンパシーと、そうすることが自己の癒しになっていると―
そうそう、何故それが癒しになるんですかね?