URLはダミーです。
とりあえずアメリカに荒らされた自国を元の水準まで引き上げ、アメリカに報復をするのに忙しいからではないでしょうか。
まず、ここの略史を見てもらえばわかるように、モンゴルは辛亥革命の時に中国から分離しています。また、北朝鮮も日本の植民地となる前も、一応、中国から独立しており、清王朝の中で中国と一体化していた満州とは立場が違うと言えると思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD
満州国 - Wikipedia
また、このページにあるように第2次世界大戦後、ソ連によって占領された満州は
「その後満州は翌1946年4月までソ連軍に占領された後、蒋介石の国民政府に返還されたが、事実上はソ連が支援した八路軍の支配するところとなり、その経済基盤は後に人民解放軍と改名した彼らの兵站基地として大きな役割を果たした。」
とのことであり、実質的には、ソ連が支援する共産党側に引き渡したと言えるでしょう。
さらに、満州の独立というのは日本が使ったロジックであり、日本などのファシズム勢力の支配からの解放を建前とするソ連にとって、「満州独立」というのは使いにくいスローガンだったでしょう。
モンゴルについての補足ですが、このページの記述によると。1915年の時点でロシアが検疫を手にしており、その後のロシア革命の混乱のなかで、赤軍の協力を得て、ロシア白軍の残党でモンゴルを支配したウルゲン・シュテンベルグ軍を打ち破ったという歴史があるようです。
ソ連は北朝鮮とモンゴルには長期間、強い影響力を及ぼしましたが、中国とは仲違いしてしまいますよね。それで満州利権も失ってしまう。帝政ロシアの頃から満州には興味関心を抱いていたのに、もったいないことをしたものです。
まず「満州国」の皇帝に清王朝の末裔が即位したのに対して、
共産主義勢力の指導を受けた抗日パルチザンの中心は
朝鮮民族だったことがあげられます。
今日の朝鮮労働党の基礎を築いた金日成らのグループは、
当時のソ連指導部の援助を受けつつも、
中国共産党が指導するパルチザンを拠点に活動していました。
後に「民生団」事件での朝鮮人党員大量粛清、
といった紆余曲折はありましたが、
コミンテルン第7回大会を機に
中国共産党は「革命」優先から「抗日」優先へと転換。
国民党勢力との統一戦線を目指す一方、
朝鮮民族に対しても間島の自治を承認、
中国共産党内に朝鮮人独自組織を認めて
「民生団」事件を終結するなどの路線転換を図ります。
ここにおいて、コミンテルン第6回大会で確立された「一国一党の原則」によって
解散→中国共産党への合流を余儀なくされた旧朝鮮共産党勢力は、
再編された東北人民革命軍第2軍において
金日成を第3師の師長に就任させ、
再び満州における抗日パルチザンの中心に躍り出ていきます。
そして大戦終結。
1945年末に開催された米・英・ソ3国の
「モスクワ3国外相会議」から朝鮮戦争を経て
満州における抗日パルチザン勢力を中心とした
「北朝鮮」政権が確立されていくわけです。
つまりソ連は満州を「解放」して民族国家建設を指導したが、
それによって生まれたのは北朝鮮だった、
ということになるわけです。
女真族については、それ以前に漢民族支配を離れた蒙古族とは異なり、
ソ連共産党ではなく中国共産党がこれを「解放」、
今日に至っていると考えられます。
なるほど。
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ドイツの間違いでは?