太平洋戦争中の日本の知識人の経済状況についての質問です。


戦争中に、銀行預金や株式や土地はどのように扱われていたのでしょうか。
また、職業はどのような職種に就いていたのでしょうか。

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回答3件)

id:morningrain No.1

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ポイント70pt

http://www.city.kashiba.nara.jp/outside/sekki/gunbunotaitou.htm

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kodaru4さんが知りたい内容をズバリというのはなかなか難しいのですが、まず、銀行預金に関しては、戦時中は軍事費や軍需産業への資金供給のため貯蓄が奨励されていました。

ただ、上記URLの(3) 日中・太平洋戦争と村政

「そのうえ強制的な貯蓄と戦時国債や献金の割り当てのために、村民の家計は困窮し、日々の生活にさえ不安を感ずる人びとも現れてきた。」

とあるように、貯蓄の奨励は強制的な側面が強く自由におろせるようなものではなかったと思います。

このページに戦時中の佐多稲子についての記述があります。

それによると、


「夫の収入が乏しいので、生活費は妻(佐多稲子)が稼いでいた。」という状態で、戦時中は


そして、彼女は従軍作家の一員になり、戦争に協力する姿勢を示し始めた。これはかっての「同志」たちに対する明白な裏切り行為だった。戦後、彼女はこのことで自分を厳しく責めることになる。


だが、太平洋戦争が末期になると、作品を発表する場がなくなって彼女も沈黙せざるを得なくなった。ここで窪川鶴次郎がはじめて妻の代わりに生活費を稼ぐことになる。鉄道会社の東京支店に出勤するサラリーマンになった窪川は、いくらもたたないうちに又もや事務所の女に手を出すのだ。


とのことだったようです。

作家に関しては従軍作家という道がありましたが(志賀直哉もやっていたはずです)、戦争末期になるとそれも厳しくなったようです。

一方、戦時中であろうと金持ちは金を持っていたようで、このページの「高橋和巳「滅びの使徒―太宰治」」では、


太宰は生涯、就職することもなく、ずっと実家から生活費の仕送りを受けていた。


と書いてあるので、戦時中も仕送りがあったのでしょうね。

id:kodaru4

url貼り付けだけでなく、具体的な説明も書いてくださって助かります。

どうも有難うございます。

2005/04/09 22:29:19
id:Oriole No.2

回答回数1101ベストアンサー獲得回数2

http://www.hatena.ne.jp/1113031939#

人力検索はてな - 太平洋戦争中の日本の知識人の経済状況についての質問です。 戦争中に、銀行預金や株式や土地はどのように扱われていたのでしょうか。 また、職業はどのような職種に就いて..

家の曾おじいさんは大地主で検察官でした、戦時中のことは分からないのですが、戦後にGHQによって土地のほとんどは没収されたみたいです。株式・預金については不明です。

id:sami624 No.3

回答回数5245ベストアンサー獲得回数43

ポイント10pt

http://db.okinawatimes.co.jp/cgi-bin/search.pl?data=NEWS/1999/09...(B&dbname=/data2/INDEX/NEWS&format=long&year=1999&month=9&nextskip=&nexttop=&subid=60:detail]

軍隊基地のために、強制収用とか余儀なくされていたケースが多々あったようです。

企業の財務内容がどんなに良くても、国家の政情が不安定な場合は企業の格付けが頭打ちとなります。

これは、戦争が始まると預貯金や、企業個人の剰余金が国家により没収され、軍事費用に使用されるリスクがあるためです。

日本も第二次世界大戦中は同様のことが行われていたようです。

id:kodaru4

ご回答どうも。

2005/04/09 22:32:43

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