日本は「遺憾」の意を繰り返すことで謝罪した気持ちになり、
中国/韓国は「遺憾」を「運が悪かったね」程度の意味でしか受け取っていないとか。
戦争経験をした近所のお爺さんに聞いて、先週初めて知りましたが、ホントなんですかね?
なんか言葉の意味のせいでずっとすれ違っているとしたら馬鹿らしくないですか?
素朴な疑問です。
WWW.PIG.COM
はいどうぞ。
1982(昭和57)年
8月24日 鈴木善幸首相〔教科書問題での記者会見〕
「過去の戦争を通じ、重大な損害を与えた責任を深く痛感している」
「『侵略』という批判もあることは認識する必要がある」
1983(昭和58)年
1月 中曽根康弘首相
「両国関係は、遺憾ながら過去の歴史において不幸な歴史があったのは事実であり、これを厳粛に受け止めなければならない」
1984(昭和59)年
9月7日 昭和天皇〔全斗カン大統領来日、宮中晩餐会〕
「今世紀の一時期において、不幸な過去が存在したことは、まことに遺憾」
中曽根康弘首相〔歓迎昼食会〕
「貴国および貴国民に多大な困難をもたらした」
「深い遺憾の念を覚える」
1990(平成2)年
3月 中山太郎外相
サハリン残留韓国・朝鮮人問題に関するによる謝罪答弁
5月25日 海部俊樹首相〔第1回首脳会談〕
「過去の一時期、朝鮮半島の方々が、我が国の行為により耐えがたい苦しみと悲しみを体験されたことについて、謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたい」
5月 今上天皇
「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」
1992(平成2)年
1月17日 宮沢喜一首相〔訪韓、従軍慰安婦問題で〕
「筆舌に尽くしがたい辛酸を舐められた方々に衷心よりお詫びし反省したい」
「胸がつまる重い」
1993(平成5)年
8月11日 細川護煕首相〔首相就任後、初の内閣記者との会見〕
「先の戦争は侵略戦争」
11月7日 細川護煕首相〔訪韓(慶州のみ、滞在22時間)〕
「わが国の植民地支配によって、朝鮮半島の方々が、母国語教育の機会を奪われたり、姓名を日本式に改名させられたり、従軍慰安婦、徴用などで、耐えがたい苦しみと悲しみを体験された事に加害者として、心より反省し、陳謝したい。」
1994(平成6)年
7月24日 村山富市首相〔訪韓〕
「心からのお詫びと厳しい反省の気持ちを申し上げたい」
1995(平成7)年
8月15日 村山富市首相〔戦後50年にあたっての首相談話〕
「遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。この歴史事実を謙虚に受け止め、痛切な反省の意を表明し、心からお詫びの気持ちを表明する」
1996(平成8)年
6月 橋本龍太郎首相
「創始改名などが、いかに多くの韓国の方の心を傷付けたかは想像に余る」
「(従軍慰安婦問題について)これほどの女性の名誉と尊厳を傷付けた問題はない。心からお詫びと反省の言葉を申し上げたい。」
1998(平成10)年
4月3日 橋本龍太郎首相〔アジア欧州会議での日韓首脳会談(ロンドン)〕
歴史問題は語らず、「日韓パートナーシップ」を提言
10月8日 今上天皇〔金大中大統領、訪日〕
「わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみを与えた時代…深い悲しみ」
小渕恵三首相〔「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」共同宣言〕
「韓国国民に対し、痛切な反省と心からのお詫び」。
韓国国民に向けた「お詫び」を公式文書に明記。金大統領はこれを評価
2001(平成12)年
11月18日小泉純一郎首相は就任後初めて韓国を訪れ、植民地時代に独立運動家らが投獄された刑務所跡地にある西大門独立公園を訪れ、「心からの反省とおわび」を記者団に語った。
金大中大統領は首相の「おわび」を高く評価し、その実践を要望した。
「日本の植民地支配により韓国の国民に対して多大な損害と苦痛を与えたことに対し、心から反省とおわびをする。一人の政治家、人間として韓国人の苦痛と犠牲を忘れてはならないと思った。これまで外国からの侵略や祖国の分断など大変な辛酸をなめ、想像を絶する苦痛に耐え、韓国が今、発展していることに心から敬意を表す。
日韓関係は過去の歴史を踏まえながら反省しつつ、このような苦難の歴史を二度と繰り返さないよう協調せねばならない。日韓二国の友好関係の進展がアジアの発展と世界平和に寄与する。
自由と平和を脅かすテロが全人類の脅威となっているが、同盟関係にある韓国と日本、そして米国が協力することがアジアの発展と世界の平和に寄与する。幸い、来年には日韓共同開催のサッカーワールドカップ(W杯)が開催される。W杯を成功させ、これを契機に日韓両国の交流、協力が深まることに期待する。」
小渕首相
「韓国国民に対し、痛切な反省と心からのおわび」を表明。
昔、戦争で日本軍は中国人を約1千万人殺したと言われています。かなり残虐な方法だったとなくなった祖母から聞いたことがあります。少なくても昔の中国人は日本にはあまりいい印象はなく日本は謝罪した気持ちになっても中国にとったら日本人が行った行為は許せるものではないのでしょう。言葉の意味ですれちがっているのではなく違う言葉を日本が言っても駄目だと思いますよ。
こたえになってません
リンク先を読んでいただければわかりますが、謝罪はきちんとしています。
中国や韓国が騒いでいるのは、それぞれの国内で行っている嘘だらけの教育の結果です。それぞれの国では「日本は昔も今も悪の塊」と教えることで、自国の政権の正当性(その悪を倒したのはよい政府)に理屈をつけるものです。
因みに賠償問題はきちんと決着しています。
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/netsuzo_text.html
韓国の捏造教科書。そのほんの一例
嘘だらけで自国に都合の良い歴史教科書で日本への敵意を植え込む韓国の歴史教科書です。
こちらもどうぞ。
ありがとうございます。
韓国に対して謝罪したことは分かりました。
対中国に関してはどうなってますか?
ありがとうございます。
韓国に対しては正式な文書での謝罪をしているんですね。
対中にしても、98年秋に江沢民氏を迎えた際の日中共同宣言において、
「1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守(じゅんしゅ)し,過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し,これに対し深い反省を表明した」
と謝罪している。
が、文書化されていない。
韓国には文書でお詫びしたのに、
なぜ中国にはことばだけなのだ?
と怒ってらっしゃるということですね?
http://tenpura_c.at.infoseek.co.jp/sub2.htm
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日本語特有の持って回った謝罪の言葉が多いですが、それでも、
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1990(平成2)年
5月25日 海部俊樹首相〔第1回首脳会談〕
「過去の一時期、朝鮮半島の方々が、我が国の行為により耐えがたい苦しみと悲しみを体験されたことについて、謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたい」
1992(平成2)年
1月17日 宮沢喜一首相〔訪韓、従軍慰安婦問題で〕
「筆舌に尽くしがたい辛酸を舐められた方々に衷心よりお詫びし反省したい」
1993(平成5)年
8月11日 細川護煕首相〔首相就任後、初の内閣記者との会見〕
「先の戦争は侵略戦争」
11月7日 細川護煕首相〔訪韓(慶州のみ、滞在22時間)〕
「わが国の植民地支配によって、朝鮮半島の方々が、母国語教育の機会を奪われたり、姓名を日本式に改名させられたり、従軍慰安婦、徴用などで、耐えがたい苦しみと悲しみを体験された事に加害者として、心より反省し、陳謝したい。」
1994(平成6)年
7月24日 村山富市首相〔訪韓〕
「心からのお詫びと厳しい反省の気持ちを申し上げたい」
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などなど、この上なく「お詫び」「謝罪」とはっきりと述べてます。
それにも関わらず再度謝罪を求めるのは、むしろ中国側の思惑が理由でしょう。
ありがとうございます。
これはkodomono-omochaさんと同じご回答で、
対韓国に関する経緯ですね。
明示的になされていないことが日本と中国・韓国との意識のすれ違いを生んでいるようですね。
個人的意見としては、ドイツのようにはっきりと国際的に認められる形で金銭賠償をしたほうがいいと思います。ドイツでは戦後補償など問題になっていないでしょう?
ありがとうございます。
しかし、対韓国に関しては、共同宣言で文書化されているとのことなので、関係が悪くなる理由が分かりかねます。
日韓共同宣言:「我が国が過去の一時期,韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ,これに対し,痛切な反省と心からのお詫(わ)びを述べた」
中国に対しても、文書化して解決するならすぐすりゃいいのに、と思ってしまうのは私だけでしょうか?うーん、謎だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A...
日本の戦争謝罪発言一覧 - Wikipedia
1995年8月に、村山総理(当時)が公式談話を発表し、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と述べ、「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明し、また、1998年に、小渕総理(当時)が、日本を公式訪問した江沢民主席に対して、村山談話を再確認している。」
他にもいろいろ書いてある。
要は中国は、言葉でもなく、お金でもなく、日本は何もするなと言いたいのです。
正規の罰と謝罪をしても許さないと、恨んでいるということです(殺人事件でちゃんと刑期を終えても、被害側は許さないといっているのと同じ)。
非常にまとまったサイトをありがとうございます。
中韓両国に対して、繰り返しお詫びの気持ちを「談話」という形で表明していることは分かりました。
また韓国に対しての謝罪は共同宣言で文書化されている。
対中は文書化されていない点を怒っている(?)
しかし、
>要は中国は、言葉でもなく、お金でもなく、日本は何もするなと言いたいのです。
>正規の罰と謝罪をしても許さないと、恨んでいるということです(殺人事件でちゃんと刑期を終えても、被害側は許さないといっているのと同じ)。
これがホントならきわめて残念なことですね・・・。
永遠に和解の日は来ないということでしょうか。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/yojin/arc_98/c_kyodo.html
平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言
共同宣言ということでしたら、「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する
日中共同宣言」において「過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。」とは書いてありますが……また、その前に「1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し」とあるので、それらも準文書化と言っても良い気がします。
中国が繰り返し謝罪を求める件については、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166603191/250-5049039-...
Amazon.co.jp: 中国はなぜ「反日」になったか: 本: 清水 美和
過去とは無関心に日本への警戒心(そりゃ、世界有数の経済大国ですから)と、日本に謝罪をさせること自体が共産党内での実績になる、という中国内の事情があるようです。
また余談ですが、ドイツの賠償について、
個人賠償についてよく言われてますが、実際はユダヤ人のホロコーストなどについての戦争とは無関係な犯罪行為に行ったもので、戦争自体の補償は実は未だに行われていません。
韓国への補償が個人補償ではなかったのは日韓基本条約で両国同意上で、個人補償は韓国政府の責任だったのですが、それをほとんどインフラ整備などに投資した事は有名です。韓国ではこの日韓基本条約自体がごく最近まで一般公開されず、韓国政府が不満の矛先を日本にそらし続けていた状態でした。
ありがとうございます。
うーん、ますます分からなくなってきました。
中国は、98年の日韓共同宣言を「文書化」と認めたのに、
同じ年の日中共同宣言は「文書化」ではないといっている?!
何が違うのかさっぱり理解できませんが・・・。
日本と中国は、日中友好条約の締結に先立つ
日中共同声明(72年9月29日北京で署名)において、
「日本側は、過去において日本国が戦争を通して
中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、
深く反省する。」
「中国側は、これを歓迎するものである。」
と、はっきりと明記しています。
これを前提として日中友好条約が結ばれ、
日本と中国は国交を正常化したわけです。
すなわち、日中間の国交の存在が、
日本側の公式な明文化された謝罪の証拠、
というわけです。
ただその後、日本再軍備などの懸念から
中国側が戦争への反省を再確認してきたことは少なくない、
ということでしょう。
ありがとうございます。
日中共同声明(72年9月29日北京で署名)において、
完全に文書化された形で謝罪しているのですね。
なぜこれでもまだ謝罪せよというのか理解しかねますが、
「日本は、中韓両国に対して、文書にて正式に謝罪済み」
という事実は(私の中では)確定しました。
が、謝罪していることが分かったため、
逆にどうすれば中韓両国と和解できるのかが
分からなくなってきました。
謝っても許してくれないわけだし・・・。
ひとまず当初の疑問は解決したので、
ここで締め切らせていただきます。
皆様ありがとうございました。
ありがとうございます。
対韓国:
1990
「過去の一時期、朝鮮半島の方々が、我が国の行為により耐えがたい苦しみと悲しみを体験されたことについて、謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたい」
なるほど。
対韓国に対してはきちんと謝罪してるんですね。
対中国はどうでしょう?