在日中国大使館の黄星原報道官は、日本にある中国関連の施設に嫌がらせとみられる事案が頻発している問題について、日本に謝罪、賠償などを要求した。
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cogaの日記 cogaの日記 2006-03-13 16:12:59
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cogaの日記 cogaの日記 2006-03-13 16:12:59
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コメント(6件)
ところで犯人は日本人なんでしょうかねえ。
元々中国人は謝らない民族のクセして、謝罪を求めるっておかしいんとちゃうか?
日本人は、謝罪されたら許してあげる民族だけど、
中国人は、相手が謝罪したらそこへつけ込んで脅迫する民族なんだよなぁ。
どうせ、中国の言う謝罪=カネだろうけど。
言葉や、態度だけで納得する民族ではないですから。
ホント、汚い国だよな。
>元々中国人は謝らない民族のクセして、謝罪を求めるっておかしいんとちゃうか?
>
>日本人は、謝罪されたら許してあげる民族だけど、
>中国人は、相手が謝罪したらそこへつけ込んで脅迫する民族なんだよなぁ。
>
>どうせ、中国の言う謝罪=カネだろうけど。
>言葉や、態度だけで納得する民族ではないですから。
>
>ホント、汚い国だよな。
汚いといえばこれを思い出しました。
逆に日本が拉致したことになったようです。
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20050419/K2005041802280.html?C=S
愛国主義というのは、ならず者の最後のよりどころだ(とか、ウロ覚えですが)、大昔、300年ぐらいまえにサミュエル・ジョンsンというおっちゃんが言ったんですが、2005年においらがそれを補足するなら、「ならず者」とは、(例えば)(タイトルマッチで負けた選手をスポーツ新聞が)「タイトル奪取ならず!」とか見出しをつけるような「ならず!」の人たちで、そういう人たちは(たぶん自分たちの人生のふがいなさと、そのやるせない気持ちの矛先やそのやるせない気持ちの代償を)「愛国主義」(裏を返せば「排他主義」)に求めるといいます。その国のその社会で(それなりにきちんと仕事をし、)きちんとした位置や地位にある人間は、まず、感情的で(無媒介的な)短絡的な愛国主義にとらわれることはないのを(どこの国のどの社会にも)心得ている人間がいることを(しっかりと)心に留めておくことがじゅーよーです。
まあ、わたしたちだって(もしアメリカが「広島」「長崎」の原爆記念日に現職の大統領が爆撃機の乗組員の墓参りをして(かれらの任務を讃えれば)(それは面白くはないし)(不快だと)抗議の姿勢を示すでしょう。
あと、現実に中国人との付き合いがあれば、ただひたすら過去の非を責めるばかりでなく、(さて、この先、日本と中国とさらに東アジアの近隣諸国は)(この世界で)どのようにしていったらいいんだろうね・・・・という話の方が(ごくあたりまえに)メインになるのを(実際に中国人など諸外国の人たちと仕事をしたり交流のある人なら)しっかりと体験的に知っているはずです。
何が大事かといえば、交流であり、コミュニケーションです。
日本は(不幸にして)19世紀末の帝国主義の時代に世界デビューをしたので、そのトレンドに従って生きることになりましたが、それ以前の歴史においても東アジアの近隣諸国とは対等な付き合いをしたことがありません。邪馬台国の時代の朝貢外交にはじまり、遣隋使や遣唐使とか・・・「上」か「下」か、あるいは「勝つか」「負ける」かの関係しか持ったことがありません。これは(個人で言えば)大人としてひじょうに未熟な(かたよった)人間の経験です。西欧諸国は、その都度、(局面ごとに)勝ったり負けたり、上になったり下になったり(ウフ〜ン、♡)して(基本的に(力関係はあっても)「対等」な付き合いを歴史的に繰り広げてきて(それなりに)「すれっからし」という洗練を身につけています。だから、外交上手です。中国も歴史的に見れば、東洋チャンピオンの時代のほうが長いので(どうしても)上からの意識が強いですが、それだけに賢くはあります。
ぼくら日本人は賢く気品のある態度をとることがじゅーよーだと拙者は考えるんでごぜーますよん。何しろ、世界史主流の列強諸国とともに「サミット」とかに座席をキープしてる国なんですからにゃー。
わたしたち日本と違って中国は、この「グローバリズム」という世界資本主義=新自由主義高度資本主義の(ある意味)ひじょうに獰猛な時代に(共産主義という)惰眠(いや、悪夢ですね)から目覚めたということを(ぼくらは)しっかりと頭に入れておこう。そのことがわたしたち日本の今後の対中国のアドバンテージになること請け合いなのだが、現在の中国共産党は、いわば、かつての(高度経済成長期の)日本の「大蔵省」や「通産省」の指導・監督と同じ力をもって、自国を国際水準にまで(追いつけ、追い越せと)必死に持っていこうとしている。中国の進歩が日本の富になるのは明らかなことを忘れてはならない。この国には、いまや「大蔵省」も「通産省」もなく(つまり成立しえないほどの高度資本主義の達成を見ているわけで)、「法務省」が監視するフェアな「資本主義」を(まず国内で)実践すべき歴史段階にあるわけです。だから(濃い墨でなくとも)ハッキリとした明確な「構造改革」のいち早い断行こそが国家としての死活問題だということをわかってない鈍感な大人が多すぎる。これは1970年代後半から80年代前半にマーガレット・サッチャーがイギリスでやったことと同じぐらい(その後の国の行方を決定づけるほどに)重要なことなのです。小泉にはできないのは明らかだが、本当にいまこの段階できちんと完璧な「構造改革」をしないと(いずれすぐに)中国の(あらゆる面で)豊かな国土を挙げての(挙国的)資本主義に追い抜かれ、日本は四流国への没落は必至だろう。だからこそ、外務省は(いまのうちに何とか有効な発言力を確保すべく)国連常任理事国の座を欲しているのです。エリートだって、みんな必死で(国内のわからずやどもと)闘っているのです。