長谷川等伯あるいはその高弟が描いたのではないかとされている「月下松林図」が発見された経緯・事情が知りたいのですが、詳しい記事が読めるサイトか本はないでしょうか。

また、これに関連して、この絵を等伯本人が描いたとする説、弟子が描いたとする説、その他の説それぞれの根拠をまとめて読み比べたいのですが、適切な本などありませんでしょうか。
専門の学術書など、あまりハイレベルすぎるものよりは、ガイド的要素を含む一般向けのものが希望です。

ここで聞きたいのはおよそ十年ほど前に発見された方の「月下松林図」で、東京国立博物館蔵の国宝「松林図屏風」のことではありませんので、その点、混同無きようにお願い致します。

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回答3件)

id:tkyktkyk No.1

回答回数2183ベストアンサー獲得回数25

ポイント30pt

まとめサイトはなかったので…


34 :わたしはダリ?名無しさん? :02/04/21 15:22

>>33

7,8年前に発見された個人蔵の「月下松林図屏風」の事。

国宝本と違い、この作品には月が表現されており、夜の情景が描かれている。

しかも、紙の裏側全面に墨を塗る事で、夜のしずけさを表す一助になっている。


1997年の京都国立博物館の展覧会「桃山絵画讃歌」展で初めて一般に公開

された。その時は、国宝本の隣に陳列してあったので、比較しやすかった。


35 :33 :02/04/22 10:02

>34

 ありがとうございます。前に等伯こと色々調べたんですけど、そのときは

その「月下松林図屏風」のことは訊いた覚えがなかった。描かれたのは同じ

くらいですかね。97年に初めて一般公開されたってことは、比較的最近ですね。

それまでは謎の絵だったのかな。観てみたいなあ。


 書きこみした後で、気づいたんですけど、34さんは、「16、7世紀の日本の

美術を語ろう」で、やはり等伯について書かれた方でしょうか? そこにもやはり

「月下」のことが記されてありました。研究者の方ですか?

 僕は等伯が凄い好きなんです。等伯ってどういう位置づけなんでしょうか。

有名なわりに、余り文献や画集が出てない。僕は物凄い衝撃だった。

日本にもこんな人がいたのか、って。そんなにポピュラーな人じゃないのかな。


36 :34 :02/04/22 10:51

>>35

>それまでは謎の絵だったのかな。


屏風の形でなくて、「まくり」(ポスターのような状態)で発見されました。

だから、裏面に墨が塗られていた事がわかったんですね。


>「16、7世紀の日本の美術を語ろう」で、やはり等伯について書かれた方でしょうか? 


残念ながら、違います。


>等伯ってどういう位置づけなんでしょうか。

 

日本美術史上の位置付けは、もちろん確固たるものです。

但し、松林図屏風以降の等伯の作品は、マジックペンで描きなぐったかのような

極太の描線主体の作品となっていきます。その為、研究者の中にはそれらの

作品群は「等伯ではない」とまで言い切る人もいます。


等伯は、先年スイスで展覧会が開催され、海外でも話題になりました。松林図屏風

も出品されました。海外でも等伯の人気はあがっていくでしょうね。


とのこと。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4623039277/realintegrit...

Amazon.co.jp: 長谷川等伯―真にそれぞれの様を写すべし: 本: 宮島 新一

書籍としては、これなどを参照されてみてはいかがでしょうか。

http://www.enjoytokyo.jp/OD004Detail.html?EVENT_ID=1293

新発見・長谷川等伯の美/レッツエンジョイ東京

参考までに。

id:green-arrow

回答ありがとうございます。

申し訳ありませんが、求めている情報とは微妙にずれているのです……

発見された時の絵の状態ばかりではなくて、誰がどんな風に見つけたのか、偶然の発見だったのか、それとも国宝の方の「松林図屏風」等と関連する資料か何かがあって、それに基づいて調査したら個人蔵で保管されていたのが解ったのか、発見後は何処が保管しているのか、という前後の事情が知りたいのです。

保管については個人蔵としているサイトと京都国立博物館蔵としているサイトが両方あるので、京博のサイトも調べたのですが、はっきり所蔵しているともしていないともよくわからなかったのです。

ネット上のデータベースでは全所蔵品を網羅しているようではなかったので。

ご紹介頂いた書籍も、残念ながら「松林図屏風」を中心に書かれたもののように思います。できれば「月下松林図」が中心になっているか、「松林図屏風」と「月下松林図」を対比させるような扱いになっているような本が望ましいのですが……やっぱり一般書では難しいかな、研究書じゃないと無理なのかなーとも思っています。

2005/05/10 01:38:19
id:kosuke2005 No.2

回答回数1351ベストアンサー獲得回数7

「松林図」は、その伝来、製作の事情など不明な点が多いが(完成作でない下絵を屏風に仕立てたものだという説もあります。

http://www.noto.or.jp/nanao/cci/touhaku/

七尾が生んだ桃山美術の画聖 長谷川等伯

参考サイトです。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4623039277.html

長谷川等伯: 紀伊國屋書店BookWeb

こんな本がでています。

id:green-arrow

申し訳ありませんが、求めている情報とは違います。

質問文の最後にお願いしてありますとおり、「月下松林図」の発見前後の事情が知りたいのであって、ここに出ている「松林図屏風」にまつわる事柄ならばほぼ既知です。

また、前回の回答者様が答えてくださっているurlもご覧下さい。

サイト・本共に重複しています。

2005/05/30 23:49:07
id:mittsu No.3

回答回数27ベストアンサー獲得回数0

ポイント30pt

http://www.city.nanao.ishikawa.jp/nanabi/

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七尾美術館で本物を見たことがあるのですが、個人蔵だったので、分からず、

最近持ち主がやっと公表した。という流れじゃないかと思います。

たしか、七尾美術館蔵だったような・・

しかし、最近あんまり公開されていないから、個人の方に戻ったのか??

過去の図録も売っていると思うので、問い合わせてみては?2000年ごろだったかもしれません。。

id:green-arrow

回答ありがとうございます。

本物をご覧になったとは羨ましいですね。

お答えにヒントを得て、七尾美術館の過去の図録を検索してみたら現在も個人蔵らしいというのが解りました。

これ以上のことは、直接、こちらに問い合わせて見ようと思います。

ほんとうにありがとうございました。

2005/06/06 22:14:57
  • id:mittsu
    その時のこと

    お役にたててうれしいです。たしかそのときの解説には、国宝のものより
    書き込みが多少多いか。と書いてあったような気がします、国宝のほうが上だ、という内容だったと思います。東博も国宝一品の展示室がありますが、そんな感じで一点だけ別室で、当時のようにということで暗い中にロウソクっぽい光でみたような気がします。良い意味での粗さというか、みずみずしさと言うものが多少なかったか、それとも国宝よりは完成しすぎていたというか、わずかですがそんな感じもしました。
  • id:green-arrow
    Re:その時のこと

    追加の情報も有り難うございます。
    「月下松林図」は写真でしか見たことがないのですが、仰るような完成しすぎ、手を入れすぎの雰囲気は漠然とですがわかる気がします。
    景色としてとても整っているけれど、その分「松林図屏風」に感じる心象風景が見えてこないとでも言いましょうか。
    それ故に、この絵を描いたのは、誰が、どんな状況で、ということがとても気になって知りたくなって、こんな質問を立てました。
    いつか、国宝の「松林図屏風」と「月下松林図」とが並べて展示されるような企画がどこかで立たないかなーと思ってしまいますね。
  • id:mittsu
    (投稿者削除)

  • id:mittsu
    Re(2):その時のこと

    >それ故に、この絵を描いたのは、誰が、どんな状況で、ということが
    もう少し思い出したのですが、弟子や仲間が書いたものだろうと言う説明もあったような気がします。国宝の方はもとは久蔵が亡くなった心象もあるとのことですが、どこかのふすま絵ということなので、弟子が模写したのでしょうか?弟子は等伯の心をしらず、ただ良い絵だな、と思い写した、そして自分のイメージで余白に月を入れてみた、、これは憶測ですが、素性がはっきりすれば、並べての企画もあるかもわかりませんね。(一度間違えで投稿を削除しました。。)
  • id:green-arrow
    Re(3):その時のこと

    追加の情報まで頂いていたのに、気づくのが遅くなって失礼致しました。

    私の方はあくまでも写真図版を見ての印象のみでの推測なのですが、「月下〜」の方がなんとなく鈍重な感じがするのですね。
    弟子が描いたとしたらmittsuさんの御推測のような事情は実際ありえそうに思えます。その弟子にも久蔵は師匠の息子かつ兄弟子に相当する人だったでしょうから、鎮魂の意味を込めて月を描いたのかもしれません。
    また、久蔵の死で気落ちしていた等伯が、重たい腕を無理にふるって描いたようにも思えます。
    こういう想像が働くのもこの二幅の絵の面白いところでしょうね。
    素性がどうであれ、併設展示の企画は望みたいところです。

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