そういうときの「ダメだと分かっていても、好きな気持ちはとめられない」という感覚って、「太ると分かっていても、おいしそうなケーキを見るとつい食べてしまう」のと同じものですか?
アドレスはダミーです。
全然異なるものです。前者は相手の配偶者に多大な迷惑を及ぼす可能性があります。絶対にすべきではありません。後者は自業自得の部類です。全て自己責任になります。
http://www.hatena.ne.jp/1126836804
人力検索はてな - 例えば親友の恋人だったり、すでに結婚してたりする人を好きになってしまったとします。 そういうときの「ダメだと分かっていても、好きな気持ちはとめられない」という感..
ダミーです。
似ているかもしれません。
「怒られるだろうしやってはいけないのに、好奇心が勝ってしまいついついやってしまう」というのも似ているかもしれないです。
なるほど。
小学生の頃とか、やっちゃいけないと言われると余計やってしまったりしましたね。
Yahoo! JAPAN
う~ん。。。人によって感情の振り幅は違うので何とも言えませんが、違うと思います。
なぜなら、この二つの例えには利害関係に差があるので。。。
もし問題が発生した場合、三角関係の恋愛の場合は自分以外の誰かが傷つく可能性がありますが、ケーキの場合太って後悔するのは自分だけで止められます。
なので、感覚の意味合いも恋愛の方はもっと複雑なんじゃないでしょうか。
恋愛のほうが抑制すべき要素が多いってことかな?
でも根本的には同じような気がします。
ちょっと違うと思います。
ケーキにたとえるなら、食べちゃダメならせめて見るだけでも、
そして、食べるのがダメならいっそ作る側になろう、
きっと辛いだろうけどパティシェを目指そう、
がんばろう、などと殊勝な覚悟すら決めてしまうのに
似ているのではないでしょうか。
目の前にあるからと我慢できずに食べてしまうのは、
どちらかというと浮気をする側の真理に似ていると思います(^-^;
最初「食べてしまう」じゃなくて「食べたくなる」で質問しようと思ってました。
「食べたくなる」なら同じでしょうか。
同じだと思います。
抱いている感情は違いますが、
「どちらもわかっているけど、抑えられない欲求」という共通点がありますね。
でも同じもだと考えるには、
ちょっと問題の大きさが違いすぎるかなとは思いますけど。
大きさ、そんなに違います?
まあ行動した結果がひきおこす問題というなら、それは前者が大きいと思いますが。
http://www.hatena.ne.jp/1126836804#
人力検索はてな - 例えば親友の恋人だったり、すでに結婚してたりする人を好きになってしまったとします。 そういうときの「ダメだと分かっていても、好きな気持ちはとめられない」という感..
違うと思います。
前者は、周りに迷惑をかける可能性が高いと思います。
一方後者は、太ることによって周りに迷惑をかける可能性は低く(何十kgも太れば別ですが)
自分が後悔するだけの場合がほとんどです。
また前者は、たいていの場合かなり悩んだ上での結論であると考えられますが、
後者はそうたいして悩むことなく決断したものと思われます。
以上のことから、ケーキの例のほうが「軽い」ものだと思うので、
感覚的に別物だと思います。
あっさり「好きなのだからしょうがない」と考える人ならどうでしょう。
それか、ものすごく悩んだすえにケーキを選んだ人なら同じですか?
あきらかに違うのではないかと思います。
恋愛と食欲(ダイエットとか)は置き換えて比較出来ないんじゃないかと思います。
でも、恋愛によって食欲が増減したりする事はあると思います。
どう違うかが知りたいんですよね。
私もそう思うのですけど、恋愛感情を重視する人が多いんですよね。
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1125059984/l50
�悤�����o�[�{���n�E�X��
私の場合は、当たったことのないジャンボ宝くじを毎回会続ける感覚に似ています。
つい買っちゃいますよね、ジャンボ宝くじ。
そろそろ当たってくれないと、私の人生計画は考え直す必要がでてきます。
例えとしてはとってもうまくついていると思いますが、「同じか」といわれると、食欲と性欲の違いがあるので「同じとはいえない」となると思います。
食欲と性欲の違いはあっても感覚的には同じものである、と解釈していいのでしょうか。
「太るとわかっていても、おいしそうなものを見たら食べてしまう」のは、ダイエットしているのに、太ることを気にしていながらも、ついついおいしいものを見たら食べてしまうということですよね?
それは、「食べたい」欲求を抑えられない自分の弱さにあると思います。「弱さ」というより、どちらかというと、「ま、いっかー」という「あきらめ」の気持ちでしょうか。
食べても太るけど、おいしいし、まぁ、いいかーという、あまり危機感がない中での自分への甘えだと思います。
結婚している人を好きになったり、親友の恋人を好きになったり・・・というのは、人を好きになる気持ちというのは、とめられないものだと思います。
自然にどんどん好きになっていってしまうからです。ただ、「勝手に好きでいる」ことに関しては、その人の自由で、「奪い取りたい」という以外は、特に害はないので、いいのでは?
なので、「おいしそうなケーキを目の前に出されてつい食べてしまう」というのとちょっと違うような気がします。
どっちかと言うと、「遠くにある行きにくいレストランなんだけど、どうしても食べたいメニューが一品あって・・・それを食べにわざわざ何時間もかけて食べに行く」感覚に似ていると思います。
親友の恋人や結婚している人を好きになるタイプの人は、自分の中でどこかに歯止めが効かず、よく言えば情熱的な人が多いので、燃え上がってしまって、よい悪い(ダメ)うんぬんの判断はできないのでは?
あ、そう考えるとケーキも一緒か?(笑)
うーん、これはやっぱり「食べたくなる」で質問すべきだったかな。
それだと、同じでいいんですよね?
http://www.msn.co.jp/home.armx
MSN Japan
同じではないと思います。
ケーキを食べたいと思っても、食べなければ良いだけの話で、そこには自分の『食べる』という意思が混入します。食べたいと思うこと自体は罪ではないでしょうから。
しかし、人を好きになるという感情は、自分では押さえようがなく、自分の意思は存在しないと思われます。(意識しないようにすればするほどしてしまうということもあるでしょう)
ですので、同じではないと私は考えます。
好きになっても気にしない、なんてことはできませんか?
こと恋愛に関してはまったく別物だと思います。
「恋の病に薬なし」
恋わずらいに効く薬は無い
「恋の山には孔子(くじ)の倒れ」
恋のためには君子聖人すら、あやまちを犯す
など、恋を戒めることわざにもいろいろとあるものです。
どう違うのか、というのが聞きたいんですよ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/index.html
MSN毎日インタラクティブ
URLはダミーです。
同じだと思います。
感情が先に直感的に働いてしまい、理性が追いついていない状態、あるいは強い感情・想いを肯定する方向に理性が曲げられている状態(即ち意識的・無意識的を問わず、言い訳を探してしまっている状態)なんじゃないでしょうか。
いずれにしろ、理性が論理的に働いていないという状況だと思います。
そうですね。
でも、論理的に「この人なら寝取れそうだ」とか「このカロリー量なら消費できるな」とか考える人もいるのかもしれませんね。
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この二つの例は、
内容的にあまりに違うのでは。。。最初の例をふざけて「まあこんな感じ!!!」なんて言う時は良いかもしれませんが、真面目に主張されるのであれば困った物だと思います。
いや、真面目ですよ?
できれば再回答して、どう違うのか説明してください。
ダミーです。
私は違うと思います。
好きになるというのは、どうしようもなくて、形の無い幽霊のようなつかみ所もなく、代替手段がありません。
一方食欲については、命にかかわる状態ならともかく、体重を気にする程度の要求には『水を飲む』などの代替手段があり、一瞬の衝動さえ押さえ込めれば何とでもなるため、この二つは違うと思います。
その「好きになるとどうしようもない」というのが思考停止に思えるんですよね。
恋愛感情だって命にかかわるわけでもない欲求ですから、「一瞬の衝動さえ押さえ込めれば何とでもなる」のではないですか?
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C7%D8%C6%C1&kind=...
国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書
違うと思います。
前者は背徳感で燃え上がってる状態、後者は依存症になっている状態ではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/依存:detail]
前者は、不良が学校のトイレでタバコを吸うのに似ている状態だと思います。やってはいけないことを、あえてやることで、より楽しくなったり快感が深くなる。
後者は、タバコを吸わないと落ち着かない、とか、酒を飲まないと落ち着かない、という状態と同じだとおもいます。なんらかの物質を体内に取り入れることが習慣になって、抜け出せない状態では。
別にケーキという特定のものじゃなくてもいいんですけど。
うーん、これはネタ回答なのかどうなのか判断しづらいなぁ・・・・・・
一区切りついたのでちょっとまとめてみると、やはり違うという回答のほうが多いですね。
でも、質問文が「食べたくなる」であれば同じであると思われるものがいくつかありました。
それ以外の「違う」という回答の説明はいまひとつ納得しきれないので、まだしばらく受付けたままにしておきます。
再回答もぜひ。
ご自分でも書いてらっしゃいますが
食べたくなる と言う事でしたら根本的には同じ感覚だと思います。
抑制しなきゃいけない!と言う気持ちは
性欲であっても食欲であっても同じ労力だと思いますし
それを抑制できなくて後々の事の重大さについても
性欲→社会的地位など
食欲→肥満→自らの寿命
と結局重大な結末が待っていますから。
目に見えてすぐに結果が出てしまうのが性欲(不倫なり)ってだけですよね・・
結末までの途中経過は、体重のほうが目に見えて表れるんですよね。
この腹の肉はどうにかならないものか。
シャディ ギフト&ショッピング
URLはダミーです。
本能的には同じだと思います。欲ですから。どんな人を好きになるのかは、自由じゃないですかね?ただ、親友の恋人を食べてしまう事になっちゃうと、違ってくると思います。なので、本能的には同じ。理性的には違うことになるのじゃないですかね?
違うというのは結果の重要性がってことですよね。
http://weather.yahoo.co.jp/weather/
Yahoo!ŷ������
URLはダミーです。
人間は心で感じることと、頭で考えることは異なるもので、頭ではわかっているのに、心を抑えることが出来ないということがあるものです。
そう考えると、この2つの事例はどちらも頭ではわかっていながら、心が暴走してしまっているので、本質的には同じものと考えてもいいのではないでしょうか。
感情というのはつきつめれば化学反応みたいなものですからね。
抑えるのはなかなか難しいです。
少し違う、というかケーキにはないものが禁断の恋にはあると思います。
おそらくケーキを食べさせてしまうものは、それ自体が持っている魅力だけです(味や匂い、見た目ナド)。
しかし、禁断の恋には相手の魅力に加え、そうした状況に自分を追い込みたいという衝動が働くのではないでしょうか。
禁断の恋をしている自分に魅力を感じるのです。
だから、むしろ「学芸会で主役をやりたい!」と思う気持ちに似ていると思います。
おお、これは一理ありますね。
納得です。
背徳の恋が好きな人(つまり、好きな人がたまたま好きになってはまずかった人だったという結果論ではなく、親友の恋人や既婚の人という要素が好きになる前提や要素として含まれるケースが多いような人)ならば、似てる感覚があるのかもしれません。
個人的にはそのテの恋愛に興味がないので、ケーキを食べたくなる感覚とは異なっています。
上の方と同じようで違いますね。
背徳の恋が好きな人にとっては、太ることもケーキを食べる楽しさのうちに入るってことなんでしょうか。
http://www.microsoft.com/japan/msdn/library/default.asp?url=/jap...
MSDN ライブラリ サイト移行に関する重要なお知らせ
URLはダミーです。
同じ派ですが、回答2回目です。
質問文ですが、人に関しては思いがつのって…というような印象を受けますし、ケーキについてはショーウィンドウで見つけた!という印象を受けます。
つまり2つの例は、それに出会った・見た瞬間からの時間経過に違いがあるため、比較しずらくなっているのではないでしょうか?
例えばどちらも一目ボレ、出会った・見た瞬間の感覚という前提をつければ、もう少し回答も違ってくるんじゃないでしょうか。
ちなみに私の最初の回答は、出会った・見た瞬間として考えたものです。
論理的な思考が働くのは直感を受けてからであると思いますから、その瞬間に関しては『この人いい!』『美味しそう!』程度しか感じていないと思いますから、両者にそんなに違いがあるようには思えません。
時間が経過している場合は、個人の嗜好とか信念とかに大きく左右されると思うので、統計的には違う場合が多くなると思います。
ちなみに『好きな気持ちはとめられない』というのは、そういう気持ちを後ろめたいと思いながら気持ちがおさまらない・我慢できない人の言い訳以外の何ものでもないと思いますけどねぇ。
ケーキだって食べたい“気持ち”はとめられないですよね?ただ“我慢”するだけで。
どんな気持ちだって、それを瞬間的にとめることは出来ないわけで、恋愛感情だけの特別なことではないと思うのですが。
横にそれました。スミマセン。
アドバイスありがとうございます。
とくに前提条件などは考えていませんでした。
最後の段落については、まったく同感です。
> 背徳の恋が好きな人にとっては、太ることもケーキを食べる楽しさのうちに入るってことなんでしょうか。
ああっ、ごめんなさい。わかりにくかったかな?
「背徳である」は「おいしそう」に対応しているということで。
「背徳である」は本当にダメだと思ってるわけではなく、ダメだと思い込む自分自身も好きになる要素の1つなんじゃないかと。
そう思い込めるからこそ背徳の恋に魅力を感じてるんじゃないかと。
それは分かるんですが、前回の回答は「背徳の恋が好きな人にとっては同じで、好きではない人にとっては違う」ってことですよね?
その違いが分からないです。
良かったら、いわしにでも説明お願いします。
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違うでしょう。好きになってしまったものはしょうがないですが、おいしそうなケーキを見るとつい食べてしまうのは、ただお腹が減っているだけと考えてよいでしょう・・・。
前者について、ただやりたいだけと考えることもできますが。
http://dissociation.xrea.jp/disorder/trauma/ac-siheki03.html
共依存、アダルト・チルドレン…嗜癖的な人間関係
全く共通のものです。
親友の友人や結婚している人を好きになる感覚は、恋愛に対する依存的症状です。
彼らは恋愛をするという「過程」に依存している人々であり、ある程度何かのしがらみに縛られている人を自分が世話することによって略奪し支配することが目的となってしまいます。これは、「対人関係嗜癖」と定義されています。
太るとわかっていても食べてしまう感情は、食物に対する依存です。これは薬物依存と同じような「物質嗜癖」と定義されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%8...
アダルトチルドレン - Wikipedia
ここで言う「依存」とは悪い意味ではなく、「わかってるけど食べてしまう」、「わかってるけど好きになってしまう」ということそのものは、単に人間が快楽を追求する上での衝動にすぎません。
そして、そのあくまで自分に対してマイナスの結果しか生まない衝動を自分自身でコントロールできるかできないかということが問題なのです。
そして、それらの衝動を自分自身でコントロールできない人が「依存症」である、ということになります。
うーん、何と言うか、そこまで深刻な状態を想定して回答されるとは思ってなかったなぁ。
あと直接関係ないですが、一番上のサイトは誤変換が多いですね。
http://www.sni.or.jp/honbu/QA/txt/Q4/Q426.htm
���ł����k�p���`�p�S�Q�U
太ると解っていて美味しそうなケーキを食べるというのは「食欲」なので好きになってはいけない人と比較対照にならないので同じ類の感情ではないと思います。
これはまた、どうコメントすればいいのやら・・・・・・
内容については置いとくとして、とりあえず読点は打ったほうがいいですよ。
http://sv.iff.co.jp/jrnl/genre/jrnl97_2_3.html
���{�n�ȍs���w��@�������{�ɂ������n�Ȃ̖����Ƃ��̐����w�I�l�@
ということで2度目。
深刻な部分を取り除いて回答してみます。
URLでは、この2つの衝動は「一部のセロトニンを活性化する薬物などを除けば、ほとんどすべてA6、A10などの覚醒系神経すなわちノルアドレナリン、ドーパミンを介する報酬制御系の活性化」という仮説が提示されています。
つまり、脳内刺激物質という報酬がもたらされるという意味で、人間の脳の上では同じものであると考えます。
もっともこれは仮説段階ですが...
よく読んでみないで言うのも何ですが、この仮説に賛成です。
http://www.icfire.com/goodall/NewFiles/OkoboreMessages/love25.ht...
$@!V:G8e$K$O0&!W(J
二度目の回答になります。
> 「食べたくなる」なら同じでしょうか。
とのことですが、
「食べてしまう」と「食べようとする」の対比は、
「欲望」という観点に立脚してそれを満たすか否かという考察ですから、
その点から考える限り、
「ダメだと分かっているから片思いで我慢する」というのと
「太ると分かっているから食べないで我慢する」
という抑制の心理も、
あるいは極めて「好色」で好きな異性ができると見境がなくなる、
というのと、
極めて「好食」で好きなケーキがあると見境がなくなる、
という歯止めの利かない心理もほぼ同一とみなせるでしょう。
ただ、恋愛は欲望だけから発するものではありません。
むしろ愛したらどんな形にせよ相手に尽くしたい。
ダメな恋愛なら、相手の幸せを考える時、
ずっと片思いのまま押しとどめることで相手に尽くしたい、
といった欲望とは別の抑制の心理、
いわば理性も働きます。
恋愛には様々な形があります。
その中の欲望から発する部分に限定すると、
恋愛とケーキはよく似ている、
と言えることになってくるわけです。
大切なのは、欲望から発する以外の恋愛の形もある、
ということも認識した上で、類似点と相違点を考えていく、
ということでしょう。
相手に尽くしたい、というのも欲望のひとつの形ではないでしょうか。
でもケーキに尽くすって人はいないでしょうから、その点は違いがありますね。
http://translate.livedoor.com/
英語翻訳 - livedoor 翻訳
URLダミーです。
恋愛感情は、性欲が微妙に絡んでくることもあるそうです。それに対してケーキはただ単に我慢ができなくなってしまうということですから、まったく別のものだと思います。
いや微妙というか、思いっきり絡みまくってる気がしますが。
どういうふうにケーキと比較してるのかも、ちょっと判らないです。
ZAQケーブルインターネット接続サービス
同じです。
そうですか。
って、このURL見たことあると思ったら、鏡のときに回答くれた方ですね。
気になったのでちょっと調べてみると、失礼ながらポイント稼ぎに適当に答えてるんじゃないかと思われる回答が多いようです。
やめたほうがいいと思うけどなー
http://srd.yahoo.co.jp/PAGE=P/LOC=P/R=1/*-http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005OO8J:detail]
1.やっちゃだめだ、という気持ち
2.やりたい、という気持ち
2.の方が大きいというだけだと思います。
1.と2.が葛藤しているのがドラマの題材とかになるんでしょうね。
よって、同じもの。
ケーキを食べるかどうか、えんえん悩むドラマ。
ある意味見てみたいです。
恋の方は、バレなければ社会的制裁は無いが、バレた場合どんなことになるか未知数でもある、
という綱渡り的なスリルを求める気持ちが生じるかもしれません。
実際に行動に移すかどうかは別として、自分ならバレないようにできる自信がある、
などといった(根拠の無い?)優越感など。
またはケーキを食べてしまうと必ず「太る」という結果としての損失を与えますが、
恋の場合、損失としての結果すら楽しみ(ドラマのような悲劇)にしてる可能性もあります。
そして略奪愛の場合は倫理的にはマイナスですが、
恋人を得るという利益の結果がもたらされることもあるので、
「ダメだと分かっていても万引きしたくなる」との共通点もあるように思います。
行動に移さずとも、結果の利益・損失の違いが心理に影響しそうです。
ケーキ・・・結果、損失は確実。誰が知ろうと知るまいと必ず自分は太る。
他人には影響なし。
「ダメ」=自分への損失
「気持ちは止められない」=欲望に忠実な快楽主義
恋・・・バレた場合とバレない場合で結果が異なる。そこに自らの力量が試される(ともいえる)
結果、自分は恋人・配偶者を得る(かもしれない)利益。
「ダメ」=倫理的・社会的に悪
「気持ちは止められない」=野心がある。
ケーキの例に近いのは、
「ダメだと分かっていても、だめんずを好きになる気持ちは止められない」
ではないでしょうか。
だめんずを好きになるっていうのも、スリルを求める気持ちがある気がします。
http://www.nifty.com/dictionary/
@nifty:URL変更のお知らせ
まったく同じだとは思いませんが、似ていると思います。
障害があるほうが恋愛感情は高まるのと同じで、食べられないとわかっているときの渇望状態のときに見るケーキはとても美味しそうだからです。
ショーケースの中の見本とか、すごく美味しそうですもんね。
注文して実物を見ると、たまにがっかりしたりします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E8%A6%9A
感覚 - Wikipedia
捉え方次第ではどちらにも考えられると思います。
同じと考えられるのは、やらない方がいいと思っているのにやってしまう衝動のようなところですかね。
違うと考えられるのは、恋愛感情と食欲の欲望の性質の違いです。
個人的には後者の感覚なので違うと思います。
性質がどう違うのかを書いて欲しいです。
http://www.virginradio.co.uk/classicrock/listen.html
Virgin Radio Classic Rock - the rock authority, rocking the planet
↑ダミーでございます。
「ケーキ食いたい」と同じ感情なのは「セックスしたい」ではないでしょうか。
なんか好ましくない結果(太る、人間関係壊れる、等)が予測されるからガマンしなくちゃだけど、でも欲望に負けそう、ということで、
「好きだからセックスしたい」と「ケーキ食いたい」は同じ粋類の感情でしょう。
でも「好き」は「セックスしたい」を含みますが「セックスしたい」が全てではありません。
「好き」という感情は欲望だけではないと思うので、じゃあ欲望以外の何かと言われたら、「好きという感情」とか「愛情」とかしか答えられなくて意味わからなくなるわけですが(すみません)、
欲望は、相手に何かを求める感情ですが「好き」は、こう、自発的にあふれてくる感情だという気がします。
で、この「好き」部分は「ケーキ食いたい」とは違う気がしますよ。
でも「セックスしたい」は、同じ感情だと思うので、
部分的には同じ、全体としては似てるだけ、ということでいかがしょうか。
食欲も、自発的にあふれてくると思うけどなぁ。
2�������˂��ւ悤����
ダミーです。全然違うと思います。
ケーキの場合は、自分が行動をおこせば
出来ることで、告白の場合は
相手の気持ちすらわからないので
自分の意思ではどうにもなりません。
相手の気持ちは無関係ですが。
ここらで終了します。
やはり違う派が多いですね。
回答者のみなさん、ありがとうございました。
行動の結果がどうかではなくて、その感覚に共通する部分があるかどうかが知りたいのです。