知り合いの飼い犬が「散歩」という言葉で首輪を持ってきていました
自分を拘束する首輪を持ってきて首を差し出すぐらいだから
自分の存在は認知しているんじゃないでしょうか?
http://blog.goo.ne.jp/rakugaki_2004/m/200411
犬とのらくがき生活:2004年11月
イソップ物語で、烏が川に映った自分に向かって吠えてにくを落としてしまうという物語がありますが、鏡や水面に映った自分を自分だと認識するか、別の犬と認識するかで確認できると思います
初めて鏡を見た犬はやっぱり、映った自分に向かって吠えるわけですが、自分だと認識した場合は自然に振舞うと思います
飼っていた猫で実験した限りでは、無反応(というか、鏡に映る自分を見もしない)でしたが、
そのへん、犬だと違うのでしょうか?
動物によって、視覚がかなり異なると思うので、動物に鏡を見せた時での反応だけでは論じれないと思います。
特に嗅覚が発達している犬の場合、物事の判断材料としての視覚はそれほど重要ではないでしょう。
URLにも有りますが、自我の推測とは、他者の考えを意識して、それを踏まえた上でいかに自己実現行っているかがポイントだと思います。
その為には、芸をする=食べ物、首輪=散歩と言う単純なロジックではなく、
飼い主が怒っている=気に入られたい=飼い主に気に行ってもらえる行動をとる
全く餌付けなしで、この位している犬であれば、OKかも。
なるほど。イルカも聴覚で周囲の状況を判断していると言いますし、「見て」いる風景が違うかもしれないですね。
嗅覚に遠近感はあるのでしょうか。(まさか左右の鼻で!?)
ずれました、すみません。
うちで飼っていた犬(雑種)は鏡に映った自分に向かって以前吼えていましたが、
そのうち慣れたのかスルーするようになりました。
また、2代目(シーズー)は、最初は何事かと不思議そうに怯えてもいましたが、
今では普通に鏡の前に寝そべったりします。
なので、鏡というものを通しては存在を確認している、のではないでしょうか。
先述の雑種犬は、よく自分のしっぽを誰かのおもちゃだと思ってぐるぐる廻っていましたけどね(苦笑)
それはあまり、「鏡に映っているモノの“中”に自分がいる」とは感じていないような行動ですね。
無害な存在として認知したのでは? それを「自分」と見ているかどうか…?
http://x51.org/x/04/08/3158.php
X51.ORG : 犬が猫を出産 カンボジア
自分の名前を呼ばれて寄ってきたり反応したりするのは、存在を知っているということでは?単純すぎますかね?
…質問からずれますがびっくりしてしまって<URL
ちょっと単純かなー。それなら「AIBOは自分の存在を知っている」ということになります。
(それでいいのかも知れないですが)
URLすごいですね。
中日ドラゴンズ Dragons Official Homepage
知ってると思います。名前を読んだら
尻尾を振ってくるくらいですから
自分を認識しているはずです。
ってか、感情をもってると私は信じています。
それならAIBOは(ry
どこが異なるのか示せますか?
http://www.mainichi-msn.co.jp/index.html
MSN毎日インタラクティブ
URLはダミーです。
自分が自分の存在を知っているかどうか、それを第3者が確認する…これは人間においてもかなり難しい問題なのではないでしょうか。
というか、不可能なんじゃないでしょうかねぇ?
例えば、私sukeshiが自分の存在を知っているのかどうか、他人が確認する方法は無いでしょう。
私が自分の存在を知っているのかどうか誰かが質問をしてきて、それに私がどのような回答を返したとしても、それが“前もって用意された型にはめられた回答”ではないと証明することは出来ないと思います。
また私の行動・反応を観察しても、それが“前もって用意された型にはめられた動作”ではないと証明することは出来ないと思います。
つまり、私が“あたかも自分の存在を知っているかのように回答することが可能な超精巧な人間型AIBOアルゴリズム”ではないと証明することは、第3者には不可能だと思いますよ。
ここでは犬を対象としていますが、明確な意思疎通の方法があるか無いかの差が存在するだけで、結論は同じだと思います。
犬はそんなに頭良くないじゃんって言う人がいるかも知れませんが、それを確認することも、同様に不可能ですよね。
但し、前述の“あたかも自分の存在を知っているかのように回答することが可能な超精巧な人間型AIBOアルゴリズム”をもって自分の存在を知っていると言えるのだとすれば、話は別になっちゃいますが…。
となると、AIBOは自分を知っている、とも言えるのかも…。
ちなみに“あたかも自分の存在を知っているかのように回答することが可能な超精巧な人間型AIBOアルゴリズム”自身は自分の存在を知っていると言えるのかどうか?
…う~ん、こんがらがってきますねぇ。
この回答はひとつの突き詰めてみた結果であり、そしてここで行き止まりですね。
別の角度から攻略することが可能であれば、お願いします。
わたしは「知っていると言える派」です。
http://www.kao.co.jp/pet/dog/jiten/reference.html
花王 ペットサイト 犬を知る 愛犬と暮らす生活事典
例えば、誰かに襲われそうになると怖がる、痛い目に遭わされるのは怖い、
こういう自己防衛本能って、「自分」という感覚があるからでは、と思うのですが。
あと、甘えたい時に飼い主がかまってくれなかったりすると、犬もネコもオウムも、すごく悲しそうにシュンとします。
かまって欲しい、飼い主から愛されていたいというのも、つまり自己愛ではないでしょうか。
鏡や映像への反応は、個体差がありますね。子供のうちはだいたい興味示すんですが、大人になってから興味もつ子もたない子と分かれます。興味持たない決め手は、像には臭いが無いことだと思いますよ。
例えば、危険から逃げる時は“無我”夢中なわけです。
で、後で「よく逃げられたな」と、やっと“我に返った”りするものではないですか?
これでなんとなく、伝わりますかね(言葉遊びをしているわけではないのですが)。
室内犬を飼っていて興味深い事がありました。
普段は洋間にだけ居たのですが、祖父が遊びに来るときだけ祖父の部屋(和室)に連れて行きました。(祖父も大の犬好きだったため)
和室の中に姿見って言うか鏡が立てかけてあるのですが
その鏡に映った自分の姿を見て滅茶苦茶吠え立てました。
と、ここまでは普通の反応かもしれませんが
祖父が来るのは不定期で、それこそ2ヶ月とか間が開くこともあるのですが
その度に鏡に向かって吼えるのですが、あるとき以降 鏡に向かって1度吼えると 急に大人しくなりそれ以降は吼えないと言う行動を取るようになりました。
つまり、1回吼える行動をした時に 鏡の中の物体は自分だ!と気づいてるからそれ以降は吼えないって事では無いでしょうか?
無論、毎日鏡を見てるわけではないので犬自体も慣れていませんし
最初のころのように吼えたてまくる行動はしません。
(ちなみに普段はよほどの事が無い限り鳴かない犬です)
いやー、わかんないですよー。
1回ワンといっておけばおとなしくしてる奴、と思われてるのかもしれません。
「自分の存在を知っている」ということの定義はとても難しいとは思いますが,「自分と他者は別の存在であり,自分は他者から認識される存在であるということがわかる」というふうに解釈すると,これは心理学で言うところの,「心の理論」(theory of mind) があるかどうかということかも知れません.
発達心理学では,誤信念課題(false belief task)などと呼ばれる課題を用いて心の理論の発達を調べたりします.ヒトの場合,4歳前後で心の理論が成立するのが普通のようです.
実験としては興味深いですが、わたしの気になっていることとはずれているようです。
わたしが「自分の存在」に気づいたのは、4歳よりずっと後だったように思います。(もちろん、それ以前の記憶もあります)
単に心の成長が遅かっただけでしょうか。
検索デスク SearchDesk スタートページ
URLはダミーです。2回目です。
“自分の存在を知る”という事実には、それが意識下/無意識下に関わらず、論理的な思考が働いているように思います。
“自分の存在を知る”ということは、言い換えれば“自分とは何かという問いに対する自分なりの回答を持つこと”なのではないかなぁと思いました。
もちろん、“我おもう、ゆえに我あり”みたいな語彙や洗練された?手段を抜きにしても、それを明示できなくても、そのような論理的ニュアンスが意志としてあるのであれば、それをもって“自分の存在を知る”と言ってもいいのかなぁと思います。
というのを前提として考えてみた場合、自分の存在を知っているとすれば、そこに何らかの“意志の感じられる個性”が現れるのではないかなぁと思いました。
自分の存在を知ったとき、自分とは何かという問いへの自分なりの回答にしたがって行動するようになるのではないでしょうか。
犬の場合、気性等の違いはあっても、意志の感じられる個性というものは無いように思います。
ですので、犬は自分の存在を知らないのかなぁと思います。
ちなみに私は「知っていると言いたい派」で~す。
前向きに考えてみましたが、あまり説得力は無いかも…。
言語なしに論理的な思考をすることはできませんよね。
すると、「自分の存在を知る」ということが論理的思考の産物とすれば、犬には無理なのかも知れないと感じます。
ただ、なんとなく、「自分がいる」という感覚は、言葉なしに持てるような気がするんですよね。
犬がそれを持っているかどうか、外部から確かめるのは難しいかなぁとも思いますが。
生きていた!タロとジロ
<PRE>
♂ ジロ 南極犬 195510‥ 稚内 南極 1960‥‥ 5 /
♂ タロ 南極犬 195510‥ 稚内 札幌 19700811 14 /
────────────────────────────────
19570129 昭和基地到着 195802‥ 15頭を置去 19590114生存確認
</PRE>
つぎの諺は、忠孝論のようで、実は記憶能力の違いを指摘しています。
「犬は三日飼えば三年恩を忘れない⇔猫は三年飼っても三日で忘れる」
猫は、飼われているという自覚がないので、しばしば失踪します。
http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2005/07/post_a015.html
Hugo Strikes Back!: 内田百閒 ノラの迷い猫広告
第1~3回 ノラの迷い猫広告、第4回(英文)
── 内田 百《ノラや 1957-199701‥ 中公文庫》
わが家の飼猫は、二度目の出産後、誇らしげに家人を呼びにきました。
ところが、あるときプイと家出してしまい、路上で会っても知らん顔
なのです。出産のときの人なつっこさは、いったい何だったのか?
もうひとつの忘れられない記憶では、飼犬が出産したとき、わたしが
近づくと、唸り声をあげて、前脚で子犬をかばうような仕草をしました。
たぶん、遺伝子の記憶と現世での記憶が、交錯したのでしょう。
わたしの乏しい経験から推して、犬は記憶能力によって人に利用され、
猫は記憶喪失によって愛されるのではないでしょうか。
人は、もっぱら記憶によって自他を認知しているのですが……。
『ノラや』は読んでます。あれは猫好きにはどうにも泣ける話ですね。
http://www.hatena.ne.jp/1127311932#
人力検索はてな - 犬は自分の存在を知っているのでしょうか? それはどのようにして確認できますか?
犬ではなくネコですが、おなかが空くと「ごはんちょうだい」と催促してきます。鳴いたり体ごとぶつかってきたりします。人の言葉を話さないネコですが、私はその挙動と経験から「何?」が推測できますし、相手もそれを望むから行動してます。この点で私とネコのコミュケーションは言葉なしで出来てます。これは即ち相手を認識した行動。なので「犬が自分の存在を認識しているか」という質問は、「その犬に人が触れれば」という解答になります。
ちなみにAIBOは動物ではなく、プログラミングされた機械です。自立型になるようプログラムされた機械です。そういう機械と生体を一緒のテーブルで比較する事は研究だけに留めていただきたいものです。
わたしも猫を飼っていましたので、そのくらいは解ります。
でも、人の赤ん坊も、そういったことはしますよね。しかし赤ん坊が「自分の存在を知っている」かというと、NOですよね。
そういうことを、言っているのです。
「機械と生体を一緒のテーブルで比較する事」にどのような不安がありますか?
わたしはsudohさんが機械であってもかまわないし、わたし自身が機械であってもまったくかまいませんが。
http://www.kao.co.jp/pet/dog/science/sdog/sdog07.html
花王 ペットサイト 犬を知る 犬の不思議サイエンス 犬の順位はどうして決まるのか?
順位制の社会であることが、まず自分と他人の存在ありきであることになるのではないでしょうか。
http://www.kao.co.jp/pet/dog/jiten/category01/001.html
花王 ペットサイト 犬を知る 愛犬と暮らす生活事典 犬学 犬の習性
飼い主の家族の中で、自分は下から2番目と定める習性がありました。
ワタシも犬を飼っていましたが、妹は自分(犬)より下だと認識しているようで、言うことをききませんでした。
他人との関わり合いの中で自分を認識する、と考える方が多いようですね。
わたしの考えていたことは、そのようなものではないのです。
(質問文が曖昧だったのだと思います)
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個人的には「犬は自分の存在を知っているのかどうか、わからない」という結論でした。
ありがとうございました。
「だから」の前後の文がつながるのかどうかは微妙に感じます。
でも、「首輪から逃げる」よりは、複雑な意識が働いていそうですね。