しかし、人生に終わりがあるからこそ、生きる意味があると考えることもできます。
寿命があることを肯定したいのです。
そこで、逆説的に考えて「不老不死になることは人類にとって不幸である」ことを証明することで寿命があることを肯定できるのではないかと考えました。
不老不死の技術が全人類に適用された場合、人の精神や社会はどのように変化していくか科学的な考察をして頂けないでしょうか。
なお、ここで定義している不老不死とは、肉体の老化を止めることができる技術によるものです。つまり、自殺することや殺人は可能です。
私の意見は「不老不死になることは人類にとって幸福である」です。
食糧危機、宗教、脳の記憶容量に関する回答は除きます。
アドレスはダミーです。
不老不死の技術が全人類に適用された場合に、最も考えられる死因は事故死ということになります。
現在、1年間に事故で亡くなる人は日本で5000人に1人くらいです。
年間の事故で亡くなる確立が、5000分の1とすると、不老不死の技術が確立したとして、寿命は数千年になります。
現在の科学技術の変化の勢いでは、そんなに遠くない未来に実現するかもしれません。
それが人類にとって幸福になるかは、国によって大きな違いがあると思います。
少子化に悩む国にとっては朗報でしょう。
政策で人口を減らそうとしている国にとっては悪魔の技術でしょう。
不老不死を望む人もいれば、自ら命を絶つ人もいます。
でも、極論を述べれば、不老不死を望む人にとっては最高の技術であり、そうではない人にとっては、ありがた迷惑ということになると思います。
主義、信条によって世界は2つに分断されるという意見ですね。
選択する余地があれば当然そうなりますね。
その意見も相当魅力的な考察の対象なんですが、ここで聞きたいのは、不老不死が当然の世界についてなんです。その意見も考え始めたら焦点がぼけてしまうのでNGとさせて頂きます。
申し訳ありません。
①人口問題が表面化するでしょう。先進国においては、少子高齢化が課題となっているものの、発展途上国においては、現在でも人口増加は顕著であり、食糧問題・住宅問題が解決しない状況が顕在化しています。人が老化をしなくなった場合、人口増加による新たな問題が発生するでしょう。まぁ、食糧危機と同様のレベルの問題ですが。
②個人的に考えた場合は、不老不死は肯定できるでしょう。筋力は20歳を超えると、継続的に運動をしていても老化するため、趣味の幅が徐々に狭まってきているのが事実です。よって、老化が停止すれば、永遠に趣味のレベルアップが出来、喜びを追い求める意欲が持続できるからです。
③特定の異性を永遠に愛し続けることが出来るか、という問題が発生するでしょう。常に体力が維持されており、美容を維持できるわけですから、当然に移り気も発生するでしょう。この辺をどう考えるか。
④カンボジアの大量虐殺みたいなことが発生する可能性がありますね。この辺をどう解決するか。
①、④人口が増える過ぎることによって恐らく、地球規模の公害が大発生してしまうんでしょうね。実際、中国ではそうなってますし。
国土と資源をめぐる戦争が始まりそうですね。
ただ、戦争をすると人口は自動的に調整されると思います。また、科学技術の進歩により、大抵の公害発生要因は抑えることができると思います。適度な人口で推移すると思います。
②sami624さんは「不老不死肯定派」ですか。
ということは、寿命があることを肯定しにくいということですね。この当たりの言い回しは非常に難しいですね。不老不死を肯定することが、寿命があることを否定することに直結するわけではないですからね。難しいから、あまり突っ込まないようにします。
③結婚した人達が離婚しまくっている現状を考えると何ら問題ない気がします。
URLはダミーです。
ジェネレーションギャップがすごいことになりそうですね。
人が絶えず進歩するものだとしたら倫理観の変化は避けられません。
例えば人口が減らないのであれば、女性に出産を期待する社会的な圧力は減るでしょう。
出産が純粋に個人の問題になったとき、性差解消か叫ばれる世の中でいつまで女性にこの負担を要求することが出来るのでしょうか。
もし女性が子を産まなくなったら、従来の結婚観、家族観は維持でき無くなるでしょう。
下手をすれば結婚制度そのものが無くなるかもしれません。
果たしてそういった社会の変革を平然と受け入れられる人間はどれくらいいるのでしょうか。
自分が慣れ親しんだ環境が崩れ去るのを見つづけなければいけないのは不幸なことだと思います。
確かに結婚制度に意味は無くなるような気はしますね。でも、現代でも同姓愛好者同士で結婚できる国がありますからね。子供を産んで、育てて、家庭を作るためだけに結婚するわけではないと思います。
また、一生独身で過ごす人も増えてきているわけですから不老不死だけで結婚制度の崩壊に繋がるわけではないと思います。
あまり考えがまとまらなかったので、結婚制度については、もう少し考えてみます。
社会の変化については、むしろそれを見るために長生きしたいところです。
紀元前から現代まで生きている人がいたら物凄く羨ましくないですか?
歴史の流れを全てリアルタイムで感じることができるのはとても幸せなことだと思います。
肉体の老化を止めることができる技術=不治の病もなくなるという前提で考えます。
永遠に生きられるということは時間が無限にあるということになります。
子供がほとんどいない社会になり、子供や子孫のために働いたり、資産を築くことが無くなると考えます。
よって、ほとんどが個人の欲求のみで世の中が回りそうな気がします。
地域社会は崩壊です。国自体も無くなりそうな感じです。
とはいうものの子供を育てたいという人もいると思います。それにより人口が徐々に増えていき最終的(数億万年後?)には地球上に人が飽和状態となるのでは。
そのころには進化した人類と生きた化石と呼ばれる人類が混在してそれぞれで社会が作られそう。
いずれにしても悩みがないと人はいきられないと思うのですが、時間が限り無くある・病気で死なないといことになれば、悩みを売る商売が成立しそうです。
欲の大きい人間ほど組織を形成しようとすると思いますけど、どうでしょうか。
また、人間は社会を形成しないとライフラインを維持できないので、国は無くならないと思います。
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終わりがあるから、人生に目標が持てて頑張れるのではないでしょうか?
例えば、マラソンだって、ゴールがなければ、走る人はほとんどいません。
勉強だって、テストもないのに、学習を続ける人は稀です。
とすれば、人生に仮に老いと死がなかったら、いつまでに何をしたいという目標が保てなくなります。
目標がなくなれば、何かを実現する喜びが薄らぎそうです。
実現の喜びが薄らげば、それに伴う達成感も下がります。
達成感が下がれば、充実感が減るのではないでしょうか?
学生の頃は確かにテストが無いと勉強する気が起きませんでした。しかし、社会人になって更に勉強が必要なんだと気が付き愕然としました。
人は一生勉強し続ける必要性があるのだと思います。
では、自分のこの動機はどこから来ているかというとスキルが上がっていることが実感できるからです。日々、新しい経験をこなすことで次々と世界観が変わっていきます。この感覚がなくなるというのであれば、不老不死は必要ないのかもしれません。
人間の好奇心はどこまで続くのか?ということが不老不死を考える材料になる気がします。
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考えられる問題点して私が危惧するのは「退屈」です。年齢や死亡による周囲の人間関係の変化が少なくなることによって、社会に刺激が無くなるのではないでしょうか?現在でも、自分の周りの人間関係に飽きている人は多くいると思われます。そのような状態が半固定的に続くことは少なくとも幸福とは言い難いような気がします。もちろん、それを打破する方法は存在するかもしれませんが。
「退屈」過ぎる人は恐らく、自殺するでしょう。
古い人間になればなるほど自殺率が増加すると思います。
書いてて恐ろしくなった・・・・
嫌過ぎる世界ですね。
こう考えると、数学者、哲学者、物理学者は長生きしそうですね。
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与えられた設定を読み返していて、もう一つ思いつきました。
仮に不老不死になった場合、病気はどうなるんでしょうか?
病気にもかからないなら問題はありませんが、仮に「老化」と「死」だけが現在の世の中から除去された場合を考察します。
思うに、人は誰でも病気になります。
これは、病原菌など色々な原因があるんですから、防ぎようがありません。
そして、世の中には、苦痛を伴い、回復が見込めない病気もあります。
とすれば、不老不死を手に入れた場合、病気で「死なない」ではなく、「死ねない」状態になってしまわないでしょうか?
勿論、自殺は可能という設定です。
しかし、病気が治る見込みがなく、苦しいからといって、死を選択する人ばかりではありません。
ガンであろうがなんだろうが、闘病を選ぶ人は多くいます。
余命2年と告げられて、その2年の間に治療法が見つかる見込みはなくても、副作用の強い延命治療を選択するのです。
そして、その苦痛の生から逃れられる手段が安息の死という現代医学の構造があります。
そこから死がなくなれば、自殺や殺人以外では、その苦しみを味わい続けることになります。
また、自ら死ぬという選択が出来ないほど衰弱した場合はどうでしょうか?
殺して貰うのを待つしかありませんが、殺人は不老不死の世界でも犯罪でしょう。
とすれば、安楽死さえもして貰えない可能性があります。
さらに、介護者の負担も相当に過大になります。
被介護者が死ぬまで・・・という思いで介護している人だった多くいる筈です。
にも関わらず、その人がしななくなったら・・・
①殺人をして、犯罪者として一生(ただし死ねない)を過ごすか
②自殺をするか
③永遠に、介護の負担を背負い続けるか
ぐらいしか道がなくなってしまうのではないでしょうか?
いずれにせよ、あまり幸福な運命は待っていないかもしれません。
すいません。
予想外の回答です。
病気になって闘病生活になった場合の話が振られると思っていませんでした。
申し訳ないんですが、病気になった場合の話は考えないで頂けますか。
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31063195
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URLはダミーです。
全ての人に必ず死が訪れるわけでなく、事故にあうようなアンラッキーな人だけが死ぬわけですよね。とすると死の持つ意味が今とは変わってくる。死ぬか死なないかであまりにも落差が大きいですから。
また、死ぬか死なないかの落差が大きいということは、命を賭して何かをやる人は少なくなるんじゃないでしょうか。永遠の命を失うというのはあまりに大きすぎる。
しかしそれでもなお命を落としてまで何かをやりとげる人は出てくるでしょうから、そうなると残された人のうける衝撃は今よりずっと大きいですよね。
自分の意志によるものであれ不慮の事故であれ、死ぬ人がいる以上残された人は自分の無力感や申し訳なさをより強く感じるんじゃないかでしょうか。長く生きれば生きるだけ身近に死ぬ人を見る回数は増えていくでしょうから、そういう体験を永遠に続けることにいつか耐えきれなくなるような気がします。
死そのものが存在しないわけでない不老不死はあまり幸福ではないのではないでしょうか。死そのものが存在しなければ幸福かといわれるとそれも断言しかねますが。
かなり、グッときました。
確かに、200、300年連れ添ってきた二人の片方が突然死してしまったときの衝撃は凄まじいでしょうね。
結局、寿命という不条理を克服したと思ってもまた新たな不条理にぶつかってしまうということですね。
この2つの不条理の差をよくよく考えてみました。
現状の「死」は、万人に平等に訪れるのに対して不老不死(老化を止めるだけの技術による)は不平等に「死」を与えてしまうということになりますね。社会が不平等感で満ち溢れるのが容易に想像できます(60ポイント送信させて頂きます)。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/drug/?1129375351
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不老不死で自殺できなくても死にたくはなると思います。
脳みそがいっぱいいっぱいになりそうです、オーバーヒートを起こしそうな予感です。
それから人間がもっと傲慢になり、何も恐れなくなるかもしれません。
不老不死になってしまうとものすごく暇になって、退屈をしてしまう気がします。
暇になって退屈になったら、人をいじめたり(現在もいじめはありますけれど)もっと世の中に充満して、嫌なもので埋め尽くされそうなきがしました。
不老不死といっても自殺、殺人はできるので退屈になりすぎた人は恐らく自殺すると思います。
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URLはダミーです。
寿命が半永久的になると、まず考えられるのが科学技術がこれまでのペースでは考えられないくらい飛躍的なスピードで進歩することだと思います。
当然研究は人が入れ替わることなく有能な一人が永遠に研究し続ける方が効率がいいわけで、研究者が入れ替わる際の引き継ぎの手間や有能な研究者の引退がなくなって飛躍的に進歩すると考えられます。
そこで現在の状況を鑑みてみると、どんどんロボットが進化してきています。人間がやるには危険な仕事や大変な仕事など、従来人間がしてきた仕事をどんどんロボットがやるようになってきています。そのうち自動車の運転などの日常的なところにさえロボットが入ってくるでしょう。
よって、飛躍的に科学技術が進歩すると人間が必要なくなってきてしまうのではないでしょうか。
回答の中にありましたが、「疲れ」たり、「これ以上生きるのがつらい」というようなことになってくると自殺が容認されるようになると思います。
どう考えても人間が減ってロボットが地上を歩き回るという一昔前のSFのような未来しか思い浮かびません。
幼稚な考えですが・・・。
まさに、マトリックスの世界ですね。
このシナリオでいくとロボットが究極的に進化して自我を持ってしまい人間にとって代わってしまうのではないかという予測ができます。
質問の趣旨から外れてしまいそうなので、スルーします。
URLはダミーです。
恐らく「愛」という概念が無くなっていくのではないかと思います。
生物が「性」を得る代償として
「死」が発生した訳ですが、それと同時に
他者に対する「愛」を得ることが出来たのではないかと思います。
「性」と「死」、「愛」は3点セットなんだと思われます。
「死」を放棄すればおのずと他の2つも整合性が保てなくなり、消滅していくのだと思います。
「愛」は遺伝子によってプログラムされた感情だと思いますが、それが変化することがあるのでしょうか。
すいません、私の知識では考えきれませんでした。
人口の自然減がほぼ無くなるわけですから、仮に人口調節の必要に迫られた時、特に人口減の必要に迫られた時に、結構な人数が望まざる死を人為的に強要される事になりそうですね。
ジェネレーションギャップと言うか、世代交代自体が殆ど生じなくなってしまうので、下の世代ほど活力を失う危険性があります。
だいたい自分の中で意見が収束してきました。
先に生まれた人間が利益を享受しやすいという、機会の不平等が発生してしまいますね。
人類全体の不老不死はデメリットしかないような気がしてきました。
URLはダミーです。
恐らく「愛」とい概念が消滅するのではないかと思います。
生物が「性」を手に入れると同時に「死」も受け入れざるを得なかった訳ですが、
(カール・セイガンを参照)その際に他者への「愛」をも獲得したのだと思います。
すなわち、「性」「死」「愛」とはトリニティであり、いずれか一つを放棄すれば
生自体のシステムが破綻してしまうだろうと思われます。
うーん。
どの時点で「愛」は無くなるのでしょうね。
私が不老不死になったとしても突然「愛」という感情は無くなりませんよね。まぁ、子供ができたとしもやはり愛することはできると思うんですよ。となると、子孫がどんどん増えていく過程で「愛」が無くなっていくのかなぁと。
その境目を知りたいです。
http://www.hatena.ne.jp/だみぃ:detail]
まず最初に、時間について全面的な改革が起こるでしょうね。
・懲役何年などの、時間に関する罰がたいしたものではなくなる。
・年をとらなくなる⇒生殖能力が衰えないので、人口が爆発する。(これが一番大きいと思います。)
・世代の変化がない。つまり葬式などの葬祭業が減っていく。最後には国が運営することになるかも。
・肉体の老化を止める⇒年をとっているものが、強者となる。若者がなくなる。
つまり、会社の年齢による採用基準が撤廃される。むしろ高年齢のほうがとられることになる。
そしてこれらについてどのようなことが起こるか。
まあ、新しく生まれた若い人たちが、洋ナシになるでしょう。ニートが増えるというわけです。この理論で行けば、人生経験が少ない彼らは役に立たないのですから。
それに、何万年も生きていくので、自分たちの子が増えることになる。あまり言いたくはないですが、理論上は自分の曾孫とかともエッチが出来るようになるわけです。社会問題が起きますね。さらに言うと、それによって「貴族>貧民」的なような関係で「年寄り>若者」と同じものが成り立つでしょう。
こんなところでしょうね。
自分でも赴くままに考えましたが、まさかこういう結果になるとは・・・。
ほぼ同じ意見です。
デメリットしか見つからない・・・
だ、誰か明るい未来シナリオも提示してください。お願いします。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4195789400/
Amazon.co.jp: 神への長い道: 本: 小松 左京
肉体の老化が終わってもそこで技術の発展が終わる訳ではなく、技術文明は進歩してゆくと考えます。その場合、人間の精神自体も、より大きく、強く、巨大なものへと発展させてゆく技術の発展が考えられます。そうすると、人類の祖先である過去の哺乳類が今の科学文明に生きる人類を理解できないように、今の人間の精神では理解できない、今の人類から見ればある種の理解不可能な神のような存在へと、人間存在が変貌してゆくと考えられます。URLのSFは今私が書いたようなテーマの有名な作品です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150103410/
Amazon.co.jp: 幼年期の終り: 本: アーサー・C・クラーク,福島 正実
どちらの本も読んだことが無いので読むようにします。その本の内容では、「死」は完全になくなるのでしょうか。
もしそうであれば、「神」のような存在になることも可能な気がします。
しかし、ここでの不老不死というのは、老化を止めるだけで死そのものを完全に無くすことができません。
なぜ、そのような設定にしたかというと現実的に実現可能なのは不老の技術だけだと思うからです。
不死の完璧な技術は実現可能だとは思えません。また、それが可能だとしてもそれを適用された人を、人と呼べるのかという疑問もあります。
http://b.hatena.ne.jp/sasuke007/
はてなブックマーク - 個人的備忘録の情報ソース。
現代人というか、日本人は忘れかけていることだとは思いますが、人間も動物です。
DNA という面では、受け継がれていくのに代替わり(つまり死)が必要なのは、環境に適したものがより増えていくことが、他の動物との生存競争で必須であるからだと考えます。
また、細胞を培養していておもうのですが、十分に栄養をあたえられていても、繁殖するのにじゅうぶんなスペースがあたえられていなければ、細胞を飼い続けることは不可能です。家畜のように狭い空間で生きることに慣れれば、問題は先送りできるかもしれませんけど。
いずれにせよ、食糧危機がなくても、人間が人間としての生活するためのスペースが足らなくなれば、スペースを確保するために殺し合いが起こる、もしくは人口調整が必要になることは必然のような気がします。
そのまま彫っておけば死ぬことのない状況で、生存をかけ、殺し合いで死ぬ、もしくは、子孫をある程度、残したら、まだ十分に活力があるのに、自ら死をもとめなくてはならなくなる社会よりも、定めとして肉体的におとろえて死んでいく方が、幸せではないでしょうか。
そのような悲惨な状況に於いても建設的な未来を創ろうとする人達はいると思います。
状況が非常に不幸であったとしても、その人達は自分達のことを不幸だとは思わないでしょう。
「不老不死」=「不幸」にはならないと思います。
不老不死の世界になったら、
世界は完全にストップしてしまうと思います。
お金持ちの人はお金を持ち続け、
貧乏の人は宝くじでも当てない限り換わらないでしょう。
あと「頑張る」ということもなくなってしまうんではないでしょうか。
なんにもしなくても死なないんだし、
それなら頑張る必要はなくなっていくと思います。
新しい法律もできるでしょうね。
人口は増え続けるしかありませんから、
「子供を生んではいけない」とか、
年金制度もなくなりそうですね。
こんなところでしょうか。
世界は止まらないと思います。
なぜなら、この世界の全ての事象が解明されることは無いと思うからです。
科学者の好奇心によって世界は牽引されていくのではないでしょうか。
人口規制の法律はできると思います。子供を産めるの一部の選ばれた人間だけになるでしょう。
urlはダミーです。
まず生物学的には死ぬ事が無くなると言う事は出産も不要になり交配による遺伝子の多様さが失われ人類は進化しないし地球環境の突然変化による危機を乗り越えられなくなる可能性がでます。つまり種が絶滅しないように生と死を繰り返し環境に適合するDNAを作り出すという仕組みを壊してしまうのは種の存続という観点からは危険な事だと思います。
もちろん例外的に人間は科学を使ってどんな環境下でも生きていけるかもしれません。例えば温暖化によって地球の平均気温が50度を越えるようになったとしてもクーラーを使えば生きていけるでしょう。しかし生物としては突然変異等で生き残れる物が自然であり無理な物は淘汰されるべきだと思います。
また出産が希な行為になってしまった場合、未知のウィルスによって多くの人類が死亡した時に免疫のある人間のDNAの子供がちゃんと産まれ育つようになるかリスクが高くなるのでは?
そして人間社会の問題点としては不老不死になってしまうと権力者や金持ちはその権力や金が委譲されにくくなり富と権力はますます集積される可能性があります。もちろん今の状態でも富と権力は子供に相続できますが不老不死なら相続によるロスが無くなり社会的な腐敗は想像を絶するようになる気がします。
確かに、人類の滅亡に陥りやすくなってしまいますね。
種の保存の観点からいけば、不老不死というのはとてもリスクが高いですね。
権力や富の集中する社会になるのも間違いないですね。今の道徳観からいけばその社会全体は不幸だと言えますね。
しかし、その社会の頂点に君臨する人達は幸福でしょうね。
質問の内容について
人類全体を不老不死にするのと個人を不老不死にするのでは全く異なる問題なのだとようやく気づきました。
そこまで頭が回りませんでした。
次の質問では、これをよく考えて質問するようにします。
神奈川労働局ホームページへようこそ
URLはてきとうです。不老不死になることは人間どころか全ての生物にとって幸福ではありません。なぜなら、進化できないからです。進化というものはいつもわずかな突然変異から起きるものです。人間だって然りです。世代交代をするたびにわずかながら進化していくのです。不老不死になってしまったら遺伝子が変化するチャンスを失うのです。これは人間という種族どころか全ての生物が生き残っていく上で非常に不利なことです。例を挙げます。有名な桜の花である染井吉野は偶然交配によって生まれましたが、自家受粉どころか種を作る能力がありません。つまり、染井吉野は挿し木だけで増えており、遺伝子が全く変わっていないのです。その結果どうでしょうか?今では桜の中で一番病気などに弱い品種になってしまいました。これは世代交代することによって本来えられるはずの新しい病気への耐性や、環境の変化について行く遺伝子の変化が行えないからなんです。進化の例も挙げておきましょう。病気のウィルスは、新しい薬ができてしばらくすると突然変異で薬に耐性を持ったウィルスが必ず出てきます。ウイルスが世代交代で進化したわけです。最後にもう一度結論を言うと、世代交代は進化にとって一番大事なことなんです。全ての生物は進化するために不老不死を捨てたのです。
そうですね。種の保存のためには、世代交代は絶対必要ですもんね。
どれだけ発展した文明社会でも凶悪なウイルスの出現によって全人類滅亡となってしまう気がします。不老不死の最大の敵はウイルスだったのですね。
URLはダミーです。
面白いテーマですね。
私は「死」が無いという事にこそ恐ろしさを感じるので、死ぬチャンスが残されている分、この設定には「生命」にとって慈悲があると思います。ただ、それでも「人類」にとっては不幸なのではないでしょうか。誰もが等しく、どう足掻いたところで100年と少ししか生きられないという、終わりが実感できる枷があるからこそ、人は互いを守り、共同体を形成し、(既に破綻しているようにも思えますが)「人類」として繁栄を築いてこれたのだと思います。
しかし、そのような枷が外れた場合、「人類」はどうなってしまうのか。簡単に考えれば生き続ける人と自殺する人の二極化でしょうが、生き続けるといったところで、人には限界があるはずです。最後には、感情が磨耗してただ機械的に生命活動を続けるだけの、かつては人だった何かになってしまうのではないでしょうか。そのような世界では早晩、社会と言うものは崩壊するでしょうし、それは「人類」にとって不幸な事だと思います。
「生き続ける人」の中身を考えてみます。
恐らく科学者集団だと思います。
この人達の好奇心は衰退するのでしょうか。
無限に生きられるということは好奇心の阻害要因になるのかなと疑問に思い始めました。
阻害要因になるのであれば、やはり自殺してしまう気がします。
科学者の心理を知りたいですね。
http://www.hatena.ne.jp/ダミー:detail]
まず、「命」の価値が優先順位から低下していきます。
生殖にも厳しい規制がかけられますが、禁止されるほどに性の快楽は価値を増し、アンダーグランドに潜り密かに至高の娯楽として人口は増えつづけるでしょう。
よって間引きのように人をいかに減らすかが社会的な課題として持ち上がり、合法的な人減らしとして闘技場での命を賭けた決闘やバトルロワイアルのような殺し合いが社会公認でスポーツのように定着されていくでしょう。
勝者には栄誉が与えられるので、この戦い自体が不幸とは思われなくなっています。むしろ生きることに疲れた人間は進んで参加して人口調整の役割を果たすだろうことから、この種の競技は合法的かつ大規模に拡大していくだろうと思われます。
逆なような気がします。
9の回答を元に考えてみます。
現在の世界に於いて「死」は、万人に等しく訪れます。しかし、老化を止める技術による不老不死だと事故、殺人、ウイルス等によって突然死してしまいます。不平等な「死」になってしまいます。生き続けたいと願う人々は、この不平等さに耐えられません。
自分達を守るシステムを必死に構築するでしょう。そのような集団に於いては「殺人」は超重大犯罪になるでしょう。「命」は何よりも優先されると思います。
もし、「命」が軽んじられる価値観あるとすれば彼ら支配者階級が作り上げる奴隷階級の中でのみ存在することになると思います。
若年者は生まれたときから支配者の思うように育てられてしまうのでしょう。
漫画的な発想しか出てこない自分にへこみました。
人間は寿命が決まっているから、その瞬間を
一生懸命生きることができるのです。
もしも不老不死なら、世界の経済は
終わります。
18の回答と同じような内容ですね。
A「人間は寿命が決まっているから」
B「その瞬間を一生懸命生きることができる」
Aの根拠を基にしてBの結論を導きたいがためにこの質問しています。それが誰にとっても自明であるならばこの質問をする必要がありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%95
エルフ - Wikipedia
URLはダミーです。
書き出すときりがなくなってしまいそうな気がしたので、咄嗟におもいついたぶんだけ書きます。
・不老技術が完成した時点で、既に十分歳を取りすぎているひとが困ったことになるかもしれません。
・20歳の時点で不老になるのと、80歳の時点で不老になるのとでは、前者のほうがより有利な局面が多いのではないでしょうか。これにより「肉体年齢が何歳の時点で不老となったか」という点によって階層化されることになると思います。どのような形でか社会が安定するまでに、深刻な世代(?)間闘争が続くでしょう。
・「有利な肉体年齢」より若い肉体の人は、その世代まで肉体年齢を上げればよいだけの話ですが、もしも「高年齢が不利」というような状況に陥った場合、高年齢な肉体を持っている人は、そのハンディキャップを埋めることができません。要介護状態で不老不死になったひとは、永遠に誰かから介護されつづける必要があります。
・不老不死では、選択不可能な立場による差別が永遠に続くということですから、「最も不利な肉体年齢の人たち」が徐々に自殺を選び始め、しばらく(1000年とか)すると、ごく稀に生まれてくる新人類以外に残っている大多数は「最も円熟した肉体年齢以下で不老不死になったひとたち」だけになっているかもしれません。
・避妊の徹底が義務付けられるでしょう。セックスに非常に重い税がかかるかもしれません。
・政策として、あらかじめ「あらゆる男女の生殖能力を休眠させる」ような技術が適用され、「許可が降りた男女ペアのみが一定期間生殖能力を回復させられる」というような想像もおもしろそうです。
・100年1000年と生きていれば、セックスへの意欲自体減退するような気がします。
・懲役の意味が変質します
・老化する人間にとって数年の懲役は「その年代に社会で活躍する機会の損失」ですが、不老の人間は何年服役したあとでも、服役前の年齢から復帰できます。
・知識・経験の差は、当初は起きるかもしれませんが、徐々に解消されてゆくと思います。10歳と510歳では雲泥の差ですが、1500歳と2000歳では歳の差とかもはやあまり関係ないでしょうから。
・(真の意味での)子供が減るため、学校が減り、社会人再教育のための施設になるでしょう。でも無くなることはないと思います。知識も経験も数十年とか数百年とかすれば衰えたり鈍ったりするでしょうから。
・「冷凍睡眠」とかが趣味として注目されるかもしれません。
・なんとなくですが、「不老になった人間は新陳代謝が行われなくなり、女性の月経もなくなって、子供が作れなくなる」(吸血鬼みたいに「生きてる死体みたいなもの」になる)みたいな考え方もあるかなあという気がします。
・肉体の老化を止めても、地球から脱出しない限り、生態系の死からは逃れられません。数十億年後の人類に太陽系脱出のためのなんらかの技術がなかった場合、不老のまま地球上で死を迎えることになると思います。
若返りの技術は実現可能な気がしますので、その問題は解決すると思います。実現不可能な場合は、やはり自殺するかなと。
避妊は強制されるでしょうね。
懲役があまり意味を成さないということは、犯罪者に与える罰はどうしたらいいのでしょうか。
拷問又は死刑のみかな。
知識・経験の差が無くなっていくということは、人の能力を測る物差しとしては創造力、応用力だけになるのでしょうね。それらの能力はもって生まれたセンスと育った環境で左右されることから考えると、新しく生まれる子供は遺伝子レベルで取捨選択されて、超エリート教育を受けることになるのかな。
星の寿命までは考えていませんでした。
数十億年後には太陽系を脱出してて欲しいですね。
http://blog.hanamarl.com/item-157.html
不老不死を肯定してみる - あっちこっちケイイチ
明るいかどうかわかりませんが、不老不死を肯定する内容をブログに書いて見ました。よろしければ、ご覧ください。
拝見させて頂きました。
「火の鳥」はすごいですよね。
不老不死(何をやっても死ねない)の男が「神」になっていくあたりの話は、感動しました。
で、不老不死を肯定して頂いたのですが、条件付ということで質問の設定からは外れてしまいますね。でも、私の質問の意図からするとOKな気がします。
19の回答でも書きましたが、人類全体と個人では全く問題の質が変わってきます。
次に質問するときは個人の不老不死にスポットを当てた内容にしたいと思います。
不老不死への科学
不老不死について不死については沢山意見が出ていますが、不老についてはどうでしょう?
hazel plutoさんは「ある一定の年齢までは成長するが、それ以上は老いない」というイメージでいるのでしょうか?(”成長”はするが”老化”はしないということ?)
もし、成長しないとなったら大変です。赤ん坊はいつまで経っても赤ん坊、子供はいつまで経っても子供。平社員はいつまで経っても平社員(ちょっと冗談)です。
成長できないことは不幸です。大人になれないのですから、夢や未来への希望は抱かなくなるでしょう。
「成長が止まる」というものだとすれば、そこが行き止まりですから、人口バランスはめちゃくちゃになり、また自殺か殺人以外に人口バランスを保つ方法がなくなってしまったら、社会は狂気の選択をすることになるでしょう。
(食糧問題が深刻化して飢餓が発生しても死ねないのですから)
あと、第3の想定として、「成長はし続けるが、死ぬことはない」がありますが、そうなったら、100歳、200歳になっても成長し続けるわけです。恐らくそうなったら、人類が今までに経験しない、「進化」をしていくことになるでしょう。
800歳とかになったら、もうそれはヒトとは呼べないくらい変わっているかも。
それが幸か不幸かは、私には分かりません。
成長と老いは表裏一体のものです。
産まれてから寿命の間に成長する内容は決まっているのですから、仮に寿命が限りなく無限に近づけば成長は限りなく遅いスピードで進むことになるでしょう。
(虫の速い寿命と樹木の遅い寿命を想像)
私のインスピレーションはここまでです。
いかがでしょうか?
私のイメージは、「成長はし続けるが、死ぬことはない」です。
寿命と成長速度の関係は、その通りかなと思います。日本人の平均寿命が80歳を超えている現代での成人式の荒廃ぶりをみると確かに成長速度は遅くなっている気がします。戦国時代の武士の子供は16歳で元服して戦場に出ていたのだからやはり成長速度は落ちているのかなと思います(確かめる手段はありませんが)。
人は新しいことを体験することで成長すると思いますが、寿命が無限になってしまったらそういうことを欲する感情が無くなってしまうのかもしれませんね。
http://d.hatena.ne.jp/hasenka/20051005/p2
hasenkaのメモ - 永遠の終焉
URLは少し前に考えたお話です。
やはり人工問題が直ぐにぶち当たる問題と思います。それをどう解決するかがカギでしょう。科学技術が発展するという考えもあるようですが動機から考えてどうでしょう。環境(同じ人がずっと研究できるなど)だけでは研究が発展するか疑問です。不老不死を明るく捉える事ができないのは保守的な考えかもしれません。そううまい話はないという経験論かもしれません。
この小説の内容だと不死の技術も完成していることになりますね。
ここからは、余談なんですが、クローン技術による不死の話を読むたびに思うことを書いてみます。クローンで作られた人に脳の記憶をダウンロードする方法だと確かに他者からみれば不死の状態を維持していると思います。でも、クローン人間自体は何度も死ぬことがある。それなのに不老不死というのはおかしいと思います。真の不死を実現するには連続性を保つことが重要ではないかと思います。
この質問は、これで打ち切らせて頂きます。
多数の回答どうもありがとうございました。
次に質問したときも回答して頂くようお願い致します。
「疲れ」ですか。
この回答から推測すると「疲れ」が社会全体を蝕んでいくということですか。
無気力な人間が蔓延してしまんでしょうね。
でも、活動的な人達も残っているでしょうね。
人の知的好奇心は無限だと思いますので、無限の寿命があってもいいと思いませんか。
一部の人達が無気力になっても、各国の優秀な指導者達によって社会全体は良い方向に向かう気がします。