というのは、私は何事も全力投球しかできない性格でして、
このまま力を抜くことなしにやっていたのでは燃え尽きてしまうと
感じたからです。しかし、いざそれを実行しようとなると、
罪悪感が邪魔をします。そこで、罪悪感を打ち消すような説得力
あるものを期待しています。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309650082/
Amazon.co.jp: ワルの知恵本: 本: 門昌央と人生の達人研究会
悪の知恵関連の本を、参照してみては如何でしょうか?
「罪悪感による燃え尽き」は防止できるように思いました。
私の場合、重要度の高いものについては全力を注ぎますが、
そうでないものについては、失敗しない程度に手を抜くのが大前提です。
失敗するリスクがあるのでしたら、始めから手をつけません。
http://www.jamh.gr.jp/kokoro/series/yokuutsu6.html
こころの健康シリーズ -日本精神衛生会-
「手抜きは薬」と思って、何でもほどほどが良いようです。
===
「手抜きのススメ」があります。うつ病になりやすい性格として、よく「几帳面」が指摘されます。几帳面と同時に徹底的、完璧症、熱中などが多く認められます。これが達成できている間は良いのですが、仕事が増えて徹底的にはできない状況に立ち至ったときが問題になるのです。ただ、これはむしろ働き盛りの壮年期の方にあてはまるのかも知れません。このような性格の人にとって手抜きをすることは耐えられないことのようですが、「手抜き」は「薬」と思っていただくことにしています。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594047505/503-7279295-...
Amazon.co.jp: 残業しない技術: 本: 梅森 浩一
この本も参考になるのではないかと思います。
要は、野球に例えるなら「緩急織り交ぜたピッチング」が大事、と言うことですね。
剛速球ばかり投げ続けるピッチャーは、打たれます。スローカーブやフォークボールも混ぜないと。でも、場当たり的な配球では、やはり打たれます。
つまり、手抜きにも技術や段取りがいる、ということ。命に関わる事など、肝心な所は手を抜いてはいけませんが、世の中しなかったからと言って大した影響が出ない、ということも結構たくさんあります。その見極めが大事です。
いきなり完璧にやろうとせず、少しずつ手を抜いて、様子を見てみてはいかがでしょうか。
===
「仕事で完璧を目指すのをやめよう。80%でもやりすぎ」
> 手抜きにも技術や段取りがいる
これを身に付けるには、経験を重ねるしかないかなぁ、と感じています。
> 「仕事で完璧を目指すのをやめよう。80%でもやりすぎ」
半分納得です。
残りの半分で思うことは、そのような余裕のある状況ばかりでは
自己成長が望めないということです。
この辺のトレードオフを如何にするかが課題だと考えています。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson6.html
反社会学講座 第6回 日本人は勤勉ではない 本当に新しい歴史教科書1
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson7.html
反社会学講座 第7回 続・日本人は勤勉ではない 本当に新しい歴史教科書2
物事を為す上でもっとも重要なのは
『目的を達成すること』 の一語に尽きます。
序盤から全力を出して途中で燃え尽きるなど愚の骨頂です。自己満足です。ちっとも褒められた行いではありません。
真の全力投球とは、息の長い継続を維持しながら、いつか目的をきっちり達成してみせることを言います。
手抜きとは聞こえが悪いですが、必要最小限の事を行うのはよいことです。やらなくてはならないことをやらないのはいけませんが、やらなくてもいいことをやらないのは美徳です。今風にいえばコスト削減です。無駄を最小限にしてエネルギー消費を抑えて作業を継続することこそが目的達成の極意でしょう。
全力で手を抜いてください。
グサッときました。しかし、糧になる痛みです。
ありがとうございました。
検索デスク SearchDesk スタートページ
URLはダミーです。
何事にも許容範囲というものがあると思います。
全力投球の欠点は、常に許容範囲の境界をかなりオーバーしてしまうというところではないでしょうか?
つまり、ムダが生じてしまう、ということではないかと。
許容範囲は満たされていればいいのであって、許容範囲の境界のギリギリであっても問題無いはずです。
手を抜く=効率良くとも言えると思います。
許容範囲をちょうど満たすくらいになるように“効率良く”いければいいのではないでしょうか?
もし余力ができたら、他のことにも回せますし。
#とはいうものの、何事にも全力投球できるというのは、あなたの長所であることには間違いないと思います。
#個人的には、全力投球しつづけられる方法を考えた方が、あなたの個性を生かせると思うのですけど…
許容範囲の見極めが肝心ですね。
> #個人的には、全力投球しつづけられる方法を考えた方が、
> あなたの個性を生かせると思うのですけど…
そんな方法があれば良いんですけど。。。
http://www.microsoft.com/japan/
マイクロソフト - ホーム
全力投球が出来るshigelgoogさんは素晴らしいです。
学生のある一時期、全力投球をしていた頃がありました。
体育の測定、期末テストなど、成績が出るものは
ほぼトップレベルを維持していましたが、少し目立っていたためか
対人関係が、酷く悪化して、孤立してしまいました。
今思うと所詮テストは短期記憶(私の勉強方が詰め込み)
体育ではほんの体の一部分の能力であり
「テストだから遊ばない」と対人関係をおろそかにしていた自分に
「手を抜いてもいいんだよ」と教えてあげたいです。
shigelgoogさんが冷静に自分の行動を思い出した時に
何か改善点を思い浮かんでくれる事を願います。
cejlk 様と似たような経験が私にもあります。
私の場合、その後、対人関係の向上に全力を尽くしたことがありましたが、
これはやってもやっても、きりの無い問題だと感じる次第でして、
最終的には欝っぽくなってしまいました。
また、全力を尽くすことが最善ではないということも感じました。
http://guumama.blog23.fc2.com/
毎日の家事 ちょっと息抜き・ちょっと手抜き:
どの程度参考になるかわかりませんが、私の妻が家事全般に力を入れるあまり、夜はへとへとになってしまうことがありました。そこで私が説得したことと言えば・・・
・具体的な数字を上げ、そこまでする必要がないことを諭す。例えば掃除は毎日しなくてもいい。3日に一度でも感謝。一人暮らししていた時は週1回だったから。っていうか、毎日しても3日で1回でも、こちらは違いに気づかないよ・・・。
・燃え尽きてしまった場合の弊害。疲れが残って翌日寝込んだり、不機嫌になったらかえって周りが迷惑する。だから体力的・精神的に余裕ができる生活を目指せばみんなハッピー!
一番いいのは、要領良くやることです。
同じ仕事を力仕事(文字通りではなく地道なやり方という意味で)で効率の良くない方法で8時間かかる人と、まず効率の良い方法(きっちりすべき事と手抜きしてもOKなところを判断・コピーが使えるか等)を考えて、5時間程度でできてしまう人では、後者の人の方が当然評価されますから。
具体例を挙げていただき、ありがとうございます。
非常に説得力があります。
http://www.hatena.ne.jp/1134887835
人力検索はてな - 手抜きの利点について、教えてください。 というのは、私は何事も全力投球しかできない性格でして、 このまま力を抜くことなしにやっていたのでは燃え尽きてしまうと 感じ..
御免なさい!1点書き忘れたことが・・・。
前の回答の補足なんでポイントは結構です。
・自分で色々抱え込まずに、人に任せることを恥ずかしいと思わないで欲しい。協力しあうことも時には大事。まあ自分もある程度家事ができたんで言えたことです。
→仕事にも適用できますよね。部下に仕事を選んで任せ、経験を積ませるようにする。自分自身の仕事量は減り、代わりに管理能力が磨かれる。責任は重くなりますが。
> 部下に仕事を選んで任せ、経験を積ませるようにする。
> 自分自身の仕事量は減り、代わりに管理能力が磨かれる。
> 責任は重くなりますが。
一点だけ反論。「自分自身の仕事量は減り」ってところです。
実践してますが、必ずしもそうはならず、むしろ、増える場合があります。
「こんなことなら、最初から自分でやっておけばよかった…」
と思うことがしばしば。
やはり、重要なことは自分でやらなければ駄目だと感じています。
http://www.shiawasehp.net/mokuhyou/1kati.html
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目標に向かい全力投球が出来る性格はすばらしいと思います。なぜなら、そういう人が少なくなってきていてるからです。いまのままでいいと思いますが、仕事の中でも
あまり必要でない仕事内容なら最低限のことだけしていればいいのではないかと思います。人生長いのですから、目標を大きく持ち、それに向かい全力投球する、そして疲れたら少し休むぐらいでいいと思いますよ。
同感ですが、具体的な話が聞きたいです。
http://www.hatena.ne.jp/だみぃ:detail]
手を抜くことによって、10のうち7押さえればいいものだったら残りの3を浮かせることが出来ます。
その3を別のものにまわしていけば、最低限の労力でいいものが得られるのです。
これ、うまく使うと学力がすごい上がります。
同感ですが、具体的な話が聞きたいです。
http://www.hatena.ne.jp/1134887835#
人力検索はてな - 手抜きの利点について、教えてください。 というのは、私は何事も全力投球しかできない性格でして、 このまま力を抜くことなしにやっていたのでは燃え尽きてしまうと 感じ..
URLはダミーです。
論点が少しずれているのかもしれませんが参考になればと思い回答させていただきます。
私は子供の頃凄く頭でっかちな子供で「人の生きる意味」について考えすぎてノイローゼになってしまいました。でも、ある時、所詮どんな生き方をしても100万年も経ったら人類そのものが滅んでいるので意味は無いと考えたらすっかり肩の力が抜けてしまって、それ以来チャランポランに生きることにしました。全力投球することは素敵なことですが、よく考えたらあなたが少し手を抜いたとしても、また明日には今日と同じように太陽が昇ってくるんだと考えたら肩の力を抜くことも出来るのではないでしょうか?
「人の生きる意味」について、私の考えを述べたいと思います。
ECHIGOYA 様の考えですと、生きている意味はないように感じます。
極論を言えば、今すぐに死んでしまった方が無駄がなくて良いと思います。
宇宙から見れば、人が生きている意味はない、そもそも、宇宙の存在にも
意味はない、と思っておりますが、それでは、人生つまらない。
そこで、私は自己中心的に考えることにしました。
自分で意味を決め、それに従って生きようと思いました。
私が生きる意味は「かっこよく生きること」です。
人力検索はてな
手を抜く、と考えてしまうと、そこにはためらいや罪悪感が生じます。
でも、「全力投球」でない物事への取り組み方は、
けっして手抜きだけじゃないと思うんですね。
たとえば「余裕を持って取り組んでいく」こと。
これは時間的精神的余裕を確保しながら
効率的に物事に取り組んでいく「自己マネジメント能力」。
そんなものの発揮によって実現されてきます。
これならただの全力投球より、生じた余裕を利用して
より高い完成度だって目指していけますから、
一つ事を為し遂げた後の満足度だって、
ずっと高くなってきますよね。
そんなわけです。
全力投球で取り組む経験を重ねたら、
次は余裕を持って取り組むやり方の練習も大切と考えて、
時間的精神的余裕を生み出す工夫で
自己マネジメント能力を引き出していく。
そんな、振り向ける努力の方向の転換を
図っていけばいいんじゃないでしょうか。
どんなもんでしょう(^-^)
> 振り向ける努力の方向の転換を図っていけばいいんじゃないでしょうか。
おっしゃるとおりだと思います。
あなたがどんなに全力投球によって完璧を期しても、世間の人はそれを望んでいないかもしれません。それだのにあなたは一所懸命になってしまいます。何事も程ほどにしましょう。そうすることが罪悪であるはずがありません。手抜きは、効率的ですし、それで十分用を足せることも多いのです。余暇が増え、脳の働きがリフレッシュし、気が楽になりませんか。そうやってリラックスして下さい。実際はあなたの全力投球に期待する人も多いでしょうが、あなたを一時解放する助言と思って下さい。
ありがとうございます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822282295/
Amazon.co.jp: アジャイルプロジェクトマネジメント 最高のチームづくりと革新的な製品の法則: 本: ジム・ハイスミス,小野 剛,平鍋 健児, 高嶋 優子,小野 剛
回答1の者です。
ワル関連のノウハウは、すでにご存知ということですので、「周囲の仲間を含めた問題解決」を探る、という方法は、いかがでしょうか。
「何事」が業務でなくても役立つのではないかと考えました。
8番目の回答のとおり、私なりにそれは実践中です。
補足しますと、重要なことは、人任せでなく、自分も関わることが
必要であると感じます。チームの尻拭いは私の仕事ですので、
そうでなくては、真っ当に責任を取ることはできないからです。
私と同じくらいの当事者意識がある者がいれば、もう少し私の負担は
減るのでしょうが、現状、そうなっていません。
そのような仲間作りが私の課題です。
URLの本、読んでみたいと思います。
http://www.shainkyouiku.jp/seminar/goal11.php
セミナー 目標設定…そしてその実現 研修概要
何事にも全力投球できる性格、というのは素晴らしいことです。しかし、そのことで質問者様に必要以上の負担が掛かるようであれば、それはやはり好ましいことであるとは言えないように思います。
でも生来の性格を根本から変えるのは不可能ではありませんが、難しいことです。「手を抜くことに全力投球」したくなったりしたら意味がありませんしね。
そこで「やるべきことに全力投球する。でも、無駄なことは極力せず、目標(納期)を目指したゆとりのあるプランを立てる」という方向で考えてみてはいかがでしょう。手を抜く、という表現だと罪悪感もあるでしょう。しかし、ゆとりをもった計画や、無駄なことをしない、というのは何かをなすべきときにミスやロスを減らすことにおいて非常に重要なことです。
例えば…。
10人で食事をしたとします。食事の後片付けを質問者様がしなくてはいけない、としましょう。しかし、食事が終わる時間は人それぞれ。
これを片付ける方法は何種類かあります。
・とにかく一人が終わったら食器を下げて、荒って食器棚にしまう。
→10回食器を下げに行かなければいけませんし、10回食器棚にしまわなくてはいけませんね。少しずつ綺麗になっていきますが、効率は悪いです。
・10人全員が食事を終わらせてから、一度に食器を下げて洗い、一度に食器棚に片付ける。
→待っている間に別の用事をすませることもできますし、皿を重ねて移動させることも出来ますから作業に掛かる時間を短縮できます。
・全員が食べ終わってから、一度に片付ける。ただし、誰かに手伝ってもらう。
→かなり時間が短縮できますし、質問者様に掛かる負担を減らすことが出来ます。
全力投球するのは大切なことだと思います。しかし、それが負担になるようであれば、まずは無駄な手間を省き、可能なことなら協力者を見つけて一人当たりの負担を減らしたほうが、効率的です。燃え尽きてしまっては、意味がないですから。
具体例を用いた説明、非常にわかりやすかったです。
ありがとうございます。
あえて、あえてなんですが、例の問題点を指摘させていただくと、
食事が終わるのを待っている間に別の用事して、それに集中するあまり、
後片付けを忘れてしまう
という恐れがあります。
mimibukuro 様のご意見には賛成なのですが、私のような不器用者が行うことゆえ、
ほどほどが重要だと感じております。
Corporate Directions, Inc. 経営戦略コンサルティング −Real Change Agent−
最近、人を動かすことに興味を覚えるようになりました。
自分が自由に出来る時間って、どんなに頑張っても1日24時間しかないんですね。
(増やし方があったら、是非教えてください)
さて、それでも今以上に仕事をやるにはどうするか。
その方法の一つが、人を動かすことです。
さてさて、人にやらせても結局仕事が増えてしまう、とのご指摘がありました。が、この考え方はマズイ。
人にやらせて仕事が増えるのは、自分のやらせ方がまずかった、と考えるといい方向に転がり始めます。
結局やらせてもロクなことにならない、と考えてしまうと、24時間しかないあなたの時間を切り詰めて使うことになり、ナポレオンばりの睡眠時間になったあげくぶったおれてしまうこと必定です。
人を使うにはどうすればいいか。こういうとき役に立つのは歴史かなぁ、なんて思います。
全力で頑張る人は自分だけが頑張っていると思い込んでしまう傾向があります。
全力で人が頑張るように仕向ける。それに全力を尽くす。意外と肩の力が抜けるものですよ。
なんてったって他人です。自分の思い通りには動かないのが当たり前。ここで工夫するのは、自分が自分の仕事に全力投球するよりずっと困難で、でもずっと楽しく、そして充実感のあるものです。
大勢の人に囲まれて仕事をすると、いろんな刺激を周りから受けることが出来、燃え尽きることなんてなくなるんじゃないかな、なんて思いますが、いかがでしょうか?
人を動かすために私が方針としていることをお話します。
それは、人を困らせて、その人の外堀を埋め、行動せざる状態に置くことです。
世間では、コーチングが流行っているようですし、私もこれに並々ならぬ
労力を注いできましたが、私には合いませんでした。
その結果、たどりついたのが、この方針です。
ただ、この方針にたどりつくまで、様々な実践を繰り返してきましたが、
それでも、やはり難しいものは難しい。相当な労力を必要とします。
人を動かすことは重要なことだと重々承知しておりますし、切磋琢磨を続けております。
しかし、理想と現実には大きな狭間があることも事実です。
↑ダミーです。
ある程度まで作ったらそこで終わりにしましょう、
完璧まで物事をやろうとするとその一つにしかできなくなってしまいます。
ですので、様々なことをしたいなら、手を抜いて程々にしておけばいいのです。
手抜きが上手に出来る人間は、物事をうまく処理できる人ですよ。
ありがとうございます。
URLで紹介された本をもっています。具体的に何ページでしょうか?
私は読書家だと自分でも思うのですが、本では得られない
生のご意見をいただければ幸いです。