[質問 1] あなたがこの議論(議論そのもの、もしくは米国で議論が加熱しているという事実)に関心を持った理由はなんですか?
次の内容以外でお願いします。
「進化論はすでに広く受け入れられている理論にもかかわらず、議論になっているから」
[質問 2] この議論について、もしくは進化論について日頃抱いている疑問、もしくはこの度思いついた疑問がありましたらお聞かせ下さい。
直接的な回答のみで全く問題ありませんが、
意味深い説明が伴っているものにはポイントを多く配分します。
URLはダミーで構いません。もちろん関連のある興味深いサイトなら歓迎です。
http://kuha_72.at.infoseek.co.jp/
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まず私は現在も過去にも宗教団体に所属していません。
今から15年位前、私は工学部の大学生でした。学校の図書館の科学雑誌を読んでいるとき、始祖鳥の絵を見て「爬虫類が鳥類に進化したなら、今現在でも鳥類になろうとしている爬虫類がいるはずではないか」という疑問を持ったのが始めです。始祖鳥は現在、化石でしか存在しないのですから、絵で描かれているトカゲと鳥の中間のような姿は、想像図でしかないのです。
その後、様々な精神世界の本を読み、今では創造主の存在を確信しています。
ただ、創造主がいることをどうやって証明したらいいかわかりません。
創造科学を全く信じていませんので、勝手に議論しとけという感じです。
私は進化の全てを一つの学説だけで説明するのは無理だと考えています。
例えば、ウィルスによる突然変異なら、一番目に誕生した生物と二番目に誕生した生物。ウィルスがどう関与できるのだろう?ここは宇宙線か何かが関与したに違いない。といった具合です。
第一、突然変異が負の方向にしか働かないってどうやって証明できますか?そういったものは多いでしょう。でも、負に働いたかどうかはその当時の環境と以後子孫が繁栄したかどうかで決まるものであって、誰かに判定できるものでもありません。むしろ長い地球史の間で有意義な突然変異は多々あったのではないかと考えます。
以下私が抱き続けている疑問です。
①猫科の瞬発力と犬科の持久力を併せ持ち、多産の肉食動物は存在したのか?
②単細胞生物と多細胞生物への進化はどのように行われたのか?
③進化の過程において数世代で滅びてしまった生物はどれだけ誕生したのだろう?
④ステゴサウルス等剣竜の交尾はどのように行われたのか?
ありがとうございます。ちなみに質問のなかで私が「創造論」として意図しているものは、創造論全般であり、創造科学のみではありません。創造科学は創造論のほんの一部分に過ぎないと理解しています。私の意見では、一般的な創造論と比べて、創造科学のほうは科学的なアプローチや証明された事実に対する理解に乏しいと思っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B...
ミッシングリンク - Wikipedia
[質問 1]
信教の自由を謳っている国家で、何故特定の宗教の教義を学校で教えねばならんのか?
という理不尽を感じています。
そういうことは教会や家庭に任せて学校では科学を教えてほしいと思います。
私自身は幼少から聖書や福音に親しんでいますが、創世記の始めの方に書かれていることは
おとぎ話であって、いちいち真に受けるのは馬鹿げた事だと思っています。
[質問 2]
人間は今後進化できるのかどうか。
というか、する必要はもう無くなったのか。
ありがとうございます。学校で特定の教義を教えることへの疑問にはわたしも同感です。それと同時に、完全に証明されていない進化論を事実のように教える教え方も問題だと思っています。
創世記の話がでたので、次の地質学者のコメントを載せておきます。このページを見ている人にとって興味深いかと思って。Motamotaさんのご意見と幾分ぶつかる内容ですがお許し下さい。
地質学者Wallace Pratt: 「地質学者としてのわたしが仮に,地球の起源および地球上の生命の発展に関する現代の考えを,創世記が語りかけた諸部族のような,素朴で牧歌的な民に手短に説明するように求められたとしたら,わたしは,創世記 1章にある表現法の多くに固く従う以外の良い方法を考えつかないであろう」
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/index.html
進化論と創造論 〜科学と疑似科学の違い〜
私は先祖代々の浄土真宗東本願寺派の門徒です。私自身高校で西本願寺派の教育を受けていますが、少なくとも私は仏教の視点から創造論を学んだ事はありません。
それはさておき、
大学時代は分子遺伝学を専攻していました。んで、宗教にもある程度興味もありましたのでものみの塔の信者さんやカトリックの信者さんらともこの件については議論をする機会を得ました。
私がこの件に関心を持ったのは生物学を専攻していて、進化論にも興味があり、アメリカの事象も聞いていたから、です。
進化論とは、すべてが仮説であり、追証できない学問分野であると考えています。
個人的には木村進化論(分子進化の中立説)と今西進化論(棲み分け説)、ドーキンス進化論(延長された表現型・利己的な遺伝論)が妥当ではないかと考えていますが、その辺りは人それぞれでかまわないんじゃあないかと思います。
意図的汎スペルニア説なんかも否定できない話でありますし。
進化論が論ぜられる時、それはその論が説明しようとしていた部分を越えて比較され、その是非が検討されることが多いように思えるのですが、私はこれはナンセンスだと思っています。
例えば、インフレーション理論(共産主義の社会進化論を生物の進化論に当てはめた論・生物は来るべき局面において自ずから進化を遂げる)というのは生物進化の局面のみを説明しているだけで、その仕組みを説明している訳ではなく、木村進化論は小さな突然変異が積み重なって大きな進化に繋がる~そしてそれは生物にとって有益にも不利益にも関係なく起こるというのは進化機構そのものを説明しようとしたものだと思うのです。
ですので、それらは分離検討されるべきではないか、とも。
ありがとうございます。おっしゃるように進化論のそれぞれの節の数は生物学者の数だけある、とも言われているようですね(もちろん誇張ですが)。分離検討はいいと思います。ただ、解となる過去に起こった出来事は一つですので、一世紀以上の研究、議論の結果としてもうすこし各論が収束してきてもいいんじゃないかとも思います。
http://d.hatena.ne.jp/gettoblaster/
gettoblasterの日記
僕自身は標準的日本人で、宗教は冠婚葬祭用としか認識できません。なので世の中の宗教は排他的で原理主義になってしまうのかというのが理解できず、その一つの現象として、進化論vs創造論の議論に興味があります。また、ネオコンの人たちなど、現代の政治としてどうなの?と思う派閥が支持される、アメリカ中南部メンタリティの表れの一つとしても興味があります。
疑問としては
・進化論を支持する敬虔なキリスト教徒っているんですかね?そのひとって矛盾に悩んだりしないのですかね?
・その逆に、クリスチャンでもないのに、創造論を信じている人ってのもいるんでしょうか?
ありがとうございます。米国の保守的な層の動きは日本人から見て真に理解するのが難しいことがありますね。
ちなみに回答して頂いた疑問点ですが、私の推測ですが、新訳聖書のみを信じているクリスチャンの方は進化論を信じている場合もあるのではないでしょうか。
二番目の疑問に関しては、クリスチャン以外の宗教で神を信じている人は少なくありませんし、それらの人が創造論を信じていても不思議ではないと思います。
http://eco.goo.ne.jp/nature/unno/photo/mimicry/mimicry.html
擬態 - 海野和男のデジタル昆虫記 - 環境goo
[質問1]
ある意味、米国における一般の科学知識の水準を示す議論であるなぁと思いますね。多くの日本人は、なんとなく米国を日本と同じような国と考えがちですが、実は米国の一般識字率って80%くらいだし、創造論どころか天動説をいまだに信じてるひともぞろぞろいるくらいだし(^^;)。
[質問2]
私の意見ではないんですが、とある本で昔に読んだ記述が心に残っています。あまり詳しくは覚えてないですが、こんな感じでした。
例えば一部の昆虫が身を守るために擬態することを指し、その擬態のあまりの精密さに「こんなものが自然な進化で生まれることはありえず、創造主がいるとしか思えない」と言われることがあります。しかし、本当に創造主がいるとすると、つまりその昆虫を他の生物に対してひいきして創造した事になるわけですが、その理由は何なのかという事です。
真に創造主なるものがいるなら、特定の生物だけをえこひいきするなど考えられません。擬態を始め、多くの生物達が見せる驚くべき生態こそが、生物進化の長い歴史の中で生き延びるためにしのぎを削ってきた結果として生まれてきたことを示す最大の証拠ではないでしょうか。
ありがとうございます。米国では宗教対科学という構図が強すぎるように感じます。あまり深く考えない人が、この点は二者択一であると錯覚しているように感じます。私の意見では、宗教もそれが真理であれば、証明された科学と一致すると考えています。
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この欄をお借りして、この問題に対する私の見方を簡単にお伝えします。
進化論は、証明されるまでは、科学者の「信仰」の域を出ないと思います。つまり創造論が宗教的であるのと同様に、進化論も現時点では宗教的である、と考えます。私の抱く疑問は、なぜどちらの論に対してももっと公正に事実だけを学校で教えられないのか、というものです。(主に米国での話です。)もちろん理科の時間に創造論を教える必要はありません。「生命の誕生には進化論という説明があるが、これはまだ証明されていない」とはっきりと教える必要があると思います。証明されていることとそうでないことの違いは科学では重要であるはずです。
URLはダミーです。
米国での議論は大変興味深く見守っています。
私が関心を持った理由は二つ。
ひとつは米国は中世時代のように宗教が再び力を盛り返し科学的検証を行う力が弱まってきたのかな?と米国経済終焉の予兆なのでは?という疑いを持って。
二つ目は、現状の科学技術では説明しきれない進化論に対する疑問や反発の向かった先が創造論でこれは宗教と言うよりも学問そのもののありようを議論しているのではないか?と興味を持ったからです。
質問2ですが、私個人は進化論というものは、未だに発展途上であるのかな?と考えています。物理で言えば、ようやく古典力学の入口まで整理されてきたのかな?という程度のレベルなのではないか、と。
そもそも進化論で論じられるのはほとんどが動物であり、脳などの神経系を持たない植物は論じられる機会は少ないですよね。もっと植物の研究も進めば、新たな学説が生まれ、より強固な進化論に発展していくのではないかな、と個人的には考えます。
今のところ、進化論とは直接関係ありませんが、「植物に意思や感情があるのか?」という研究が今後進展していくと解決の糸口になるのかなと。
それを解決するのが科学か宗教かでだいぶ方向が変わる気もしますが・・・
ありがとうございます。植物との関連は考えたことがありませんでした。米国の動きに関する私の考えは以下のようなものです。もともと米国は信仰ベースの考え方が色濃く、この問題に関してはそれは強く表面化した結果なのではないかと思います。米国が科学ベースに対して信仰ベースが強いことは米国の歴史学者が認めており、例えばすべての硬貨や紙幣に”In God We Trust”と書かれているのもその象徴です。これがどのような方向に行くのかは興味深いところです。m2tsuchiさんのおっしゃるように経済に悪影響があってもおかしくありませんね。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/profile.html
NATROMのプロフィール
[質問 1] の答え: もともと進化生物学に興味があり、進化生物学の本を多く読むうちに、特に海外の著作において創造論をめぐる教育論争にふれているものが多くあったから。
[質問 2]の答え: この議論についての疑問はいくつかあります。たとえば、
・いわゆる中間型の化石は見つかっているのに、「過渡期の生物の化石が見つからないのは進化論の大きな穴の一つですね」などと言う人が後を絶たないのは一体なぜだろう?どのような化石が見つかったら、彼らは納得するのだろうか?
・「完全に証明されていない進化論を事実のように教える教え方も問題だ」などという意見を言う人もいるけれども、彼らは他の科学の学説も教えるなと言いたいのだろうか?それとも、彼らは他の学説は「完全に証明されている」とでも思っているのだろうか?
・「一世紀以上の研究、議論の結果としてもうすこし各論が収束してきてもいいんじゃないかとも思います」といった意見も多くみられるが、少なくとも基本的な部分では進化生物学者たちの意見は一致している。彼らが何を根拠に「各論が収束してきてもいいんじゃないか」と思っているのかを知りたい。えてしてこういう人たちは、木村やドーキンスに並べて今西を挙げていたりするところからみて、彼らは質の悪い一般書を根拠にそう誤解しているだけのようにも思われるがそうなのか?もしそうだとして、彼らが信頼できる文献にあたらないのはなぜなのか?
あらら、すべて私のコメントですね。わたしが上記のように考えるようになったソースを挙げておきます。どれも進化論を擁護する学者に権威として受け入れられているソースです。
[過渡期の生物の化石について]
”Unfortunately, the fossil record does not meet this expectation, for individual species of fossils are rarely connected to one another by known intermediate forms. . . . known fossil species do indeed appear not to evolve even over millions of years.” New Scientist誌
[進化論者の意見の分裂について]
”The doubt that has infiltrated the previous, smugly confident certitude of evolutionary biology’s last twenty years has inflamed passions.” ”Things really are in an uproar these days . . . Sometimes it seems as though there are as many variations on each evolutionary theme as there are individual biologists.” これは進化論者であるNiles Eldredgeという古生物学者がNatural History誌のなかで語ったものです。
[学校での教え方について]
これは、「学説は学説として教えるべき」という意味で書きました。
NATROMさんのサイトを拝見しました。この件について真剣に考え、かつ深い知識をお持ちである方とお見受けしました。一方私のほうは、これが専門ではありませんし、NATROMさんと十分に議論するだけの知識も持ち合わせておりません。また、私がこの質問をしたのは、米国でのこの議論について日本にはどのような意見があるか、ということを調べるためであり、この質問ページで議論をするつもりもありません。どうかご勘弁を。
とはいえ、いろいろな意見を聞くのは勉強になりますので、私のコメントに対する反論や、質問の直接の答えとはならないご意見はいわしの方で書いて頂ければ、ありがたく拝見いたします。
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1。米国で問題になって両方の議論を軽くおってみたことで、ダーウィン進化論の無根拠性が指摘され、高校生物学の一面性に気づいたから。
2。なんといってもグールドの早川文庫で、先カンブリア爆発が化石で発見されたときの話は興奮します。どうしてそうなったのか全くなぞです。神という外部擬人化をするとしないにかかわりなく、「何か」はあったのでしょう。
また、昆虫という多様でいて6本か8本の足、頭胸腹な生物がどこから来たのか(先カンブリア爆発と直接的なリンクがあるのか)。
それにほぼ日のアースダイバーできいた「ホモサピエンス(と原人)の特徴のひとつにプレゼントとか慈悲の心みたいなものがある」みたいな話も含めて。
わからないことがまだこんなにあるということが着々と明確にされているのが楽しい。
ありがとうございます。
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終了します。皆さんありがとうございました。
いつもありがとうございます。
過渡期の生物の化石が見つからないのは進化論の大きな穴の一つですね。