■さよなら「パソコン通信」、最後のサービスが19年の歴史に幕
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20099874,00.htm
ああ、今日で完全に終わってしまいますか。
阪神大震災の時。あの頃まだインターネットは、
全く一般には普及していませんでした。
新潟中越地震ではネットを活用した情報ボランティア活動が
盛んに展開されましたが、阪神の時はニフティが、
その中心を担っていましたよね。
現地の様々なライフライン情報をニフティに集めて、
それを整理して、当時は無線アクセスなんて出来ませんから、
アマチュア無線のデータ通信を使って現地に送り返す。
そんなことが行われていたと記憶しています。
私は当時、ただ見ているだけで何も出来ませんでしたが、
そんなことをリアルタイムで体験したことがひとつのきっかけになって、
後に赤十字の救急員資格を取ることにつながりました。
そして阪神から数ヶ月後、様々な防災関係のパティオができて、
そこに私も参加もさせてもらいました。
今でこそ当たり前のように認知されている災害救助犬も、
ニフティで立ち上がった救助犬を育てる会が、
おそらく日本で最初のシンポジウムなどを開催していたと思います。
それからしばらくして時代は一気にインターネットに移っていきましたが、
そうですか・・・・。
今日で全てのサービスが完全に終わってしまうのですね。
ニフティは、確実にひとつの時代を作ってきました。
全ての資産が現在に継承されないのは残念なことですが、
それも時代の流れなのでしょう。
ありがとう、NIFTY-Serve。
ニフティとの出会い、そしてそこで出会った様々な人、様々な出来事。
私がニフティにいたのはその後期のほんの僅かの時間でしたが、
それでもきっと、私はニフティのことを忘れません。
NIFTY-Serveは小学生の頃、僕のあこがれでした。
(WOWOWで放映されていたパソ通を通じた視聴者参加型番組は数河斬新でしたし)
インターネットの原点……たぶん僕の身の回りの人たちに聞いても
あまり知ってる人はいないかもしれないけど。
遠く離れた人と交流できる喜びは、インターネットに引き継がれ、更に発展していくと思います。
久しぶりに接続してみたくなりました。まだだいじょうぶかな?
ありがとうございます。
わたしはどちらかというと「青春」でした(^^;
NIFTY-Serveを利用していた当時、テレホーダイなる固定料金サービスが始まるまでは、毎月数万円の電話料を払うほどチャットやフォーラムに夢中になっていました。
利用しなくなって10年近くなりますが、無料だったので退会もせずに放置していたら、@niftyがはじまったのを機に毎月210円を徴収されるようになりました。
IDは失念、住所は変わり、カード引き落としのため未だに払い続けていますが、サービス終了に伴い、この呪縛から解放されるのでしょうか?
ありがとうございます。
わたしもずいぶん納税したものです。
NIFTY-Serveといえば、初めてパソコン用のモデムを買った時に付いていた接続キットが最初の出会いでした。
当時はまだローカルな草の根ネットで小さな世界で楽しんでいたのですが、高速モデムを買ったのをきっかけに全国展開しているのはどんなんだろう?と思い、接続してみたらもう抜け出せなくなってしまいました。
自分の欲求に答えるフォーラムが必ずあり、しかもユーザー数も段違いに多いので情報を取るので一生懸命でした。まだテレホーダイとかも無く、APも隣町にしかなくて電話代が6万と超えたこともあります。
新しく出来たフォーラム(ゲームデベロッパー関係)の記念懸賞では、応募者が少なかったのか当てまくった事もありました(ちょっと有名になりました^^;)。
Aircraftなどを導入して快適なNIFTYライフを数年続けました。
そういえば初めてインターネットというのに出会ったのもNiftyでした。
その後WWWが普及しだし、あまり見なくなったんですが、時々WWW上のNiftyで接続してました。
しかし、それももう終わるんですね。
ネット関係で10年以上お金を払い続けているのはNiftyだけです。
今から思うとあの頃が一番楽しかったような・・・(いま某掲示板にいるようなアラシはほとんどいなかったし)。
懐かしいですね。
フォーラムのアクティブとはかなりのつわものですね。わたしも、創作系のアクティブでしたが、ああ、SFファンタジーフォーラムの方々、今はどうされているのかと思うと、懐かしくなってきます。自治がしっかりできていて、本当に楽しかったです。
ニフティで通信をしていた十数年前。当時、高校生でした。
パソコンはなかったので、親のワープロを借りて、ファミアカ取って。
住んでいた県から電車で3時間半くらいかけて、都内のオフ会によく参加しました。
普段、家族、高校の友達や先生、バイト先の人くらいしか接点のない生活を
していましたが、ニフティを通じて知り合える人たちは、いろいろな仕事をしている大人で、
そういう人たちと趣味を通じて友達になれるのは、とても新鮮で勉強になりました。
高校生では普通出入りしないような場所にも連れていってもらったり
未成年の視点ではわからないことを教えてもらったり。
一緒に遊んだ社会人たちにしても、普段あまり交流のない
私のような高校生と知り合うのは、楽しかったのだろうなと
自分が成人してから思いました。
もう交流がなくなってしまったけど、みんな今何をしてるんだろうと懐しく思います。
文字だけのコミュニケーションって、面白かったですね。
インターネットのような、マルチなメディア(死語?)も便利ですが
画像などに頼らない文字だけの世界でも、工夫次第でいろいろできて楽しかったです。
チャットのおかげでタイピングも上達しました。
しかし、当時のパティオ開設費って高かったなー。1万円でしたっけ。
そういえば最近、古本屋で「パソ婚ネットワーク」を見つけて、つい買っちゃいました。
あれは、考えようによっては、「電車男」などのネット本のハシリとも言えますね。
その後も@ニフティのお世話になっていますが、今月でプロバイダを変更する予定です。
ありがとう、さようならー。
ありがとうございます。
わたしも散々言い合った挙句、実は二十歳の若造だったと知れた際に、えっーっとびびられたのを覚えています。
うわー、懐かしくて涙が出てきます。
ああ、今日で完全に終わってしまいますか。
阪神大震災の時。あの頃まだインターネットは、
全く一般には普及していませんでした。
新潟中越地震ではネットを活用した情報ボランティア活動が
盛んに展開されましたが、阪神の時はニフティが、
その中心を担っていましたよね。
現地の様々なライフライン情報をニフティに集めて、
それを整理して、当時は無線アクセスなんて出来ませんから、
アマチュア無線のデータ通信を使って現地に送り返す。
そんなことが行われていたと記憶しています。
私は当時、ただ見ているだけで何も出来ませんでしたが、
そんなことをリアルタイムで体験したことがひとつのきっかけになって、
後に赤十字の救急員資格を取ることにつながりました。
そして阪神から数ヶ月後、様々な防災関係のパティオができて、
そこに私も参加もさせてもらいました。
今でこそ当たり前のように認知されている災害救助犬も、
ニフティで立ち上がった救助犬を育てる会が、
おそらく日本で最初のシンポジウムなどを開催していたと思います。
それからしばらくして時代は一気にインターネットに移っていきましたが、
そうですか・・・・。
今日で全てのサービスが完全に終わってしまうのですね。
ニフティは、確実にひとつの時代を作ってきました。
全ての資産が現在に継承されないのは残念なことですが、
それも時代の流れなのでしょう。
ありがとう、NIFTY-Serve。
ニフティとの出会い、そしてそこで出会った様々な人、様々な出来事。
私がニフティにいたのはその後期のほんの僅かの時間でしたが、
それでもきっと、私はニフティのことを忘れません。
うわー、ほんと人生ですね。
わたしの人生にもかなり影響を与えましたが、こんなにもみなさんの人生の一部になっているなんて、ほんとうに大きな功績ですね。
私も大学時代にほぼゲーム専用に近かったPCにモデムを買ったのは、Niftyの競馬フォーラムを覗いてみたかったからでした。
競馬ブームだったこともあって競馬フォーラムはかなり盛況で、最終的には三つくらいのフォーラムに分かれたと思います。その中で「海外競馬フォーラム」で始まって数回目だったブリーダーズカップの英文資料をみんなで分担して訳すというプロジェクトに参加して分担分を一生懸命約したのがいい思い出です。
大学卒業くらいの頃からインターネットの爆発的普及が始まり、だんだんとモデムはJRA-PAT専用になってしまいましたが、通信の面白さを教えてくれたのは他でもないNiftyだったと思います。
そういえば、海外に行ったときに、本来はネットからは遮断した旅行をしようと思っていたにも関わらず仕事の都合でどうしてもメールを見なければいけなくなって、結局Niftyが提携していたCompuserveからつないだような記憶もあります。
やはりちょっと寂しいですが、自分も使っていないわけで仕方ないですね。
ありがとうございます。
しかし、Niftyは知らないところで、いろんなプロジェクトやってますね。
初めて、電話や手紙以外で、目の前にいない人とやりとりしたのがNIFTY-Serveでした。シェアウェアを買ったりパッチをトロトロダウンロードしたり、中古のPSプリンターやCPUのドーターカード買ったり、人の書き込みを見て「ふむふむ、そうだよね。」と頷いたり、「そんなわけないやろ。」と思ってみたり。
情報漏洩や詐欺的な行為、誹謗中傷合戦も、(多少は)あったにせよ今ほど酷くなかった気がします。回線スピードや、ファイルフォーマットの拡充、圧倒的なユーザーと端末の普及の代わりに、失われた物も多いような。匿名ではあっても、ある種の「道徳」のようなものが確かに存在していたのを感じます。
文字が流れてくるだけなのに、あの感覚は、最初に自転車に乗れた時や、初めて免許を取って公道に出た時のような感じに通じるものがありました。「行こうと思えば、これでどこにでも行けるんだー!」って(錯覚でも)。ありがとう、NIFTY-Serve。ニフティーのスタッフの皆さん、シスオペの皆さん、お疲れ様でした。
ありがとうございます。
そうですね。あのどこにでも行ける感は、本当にもう一つの世界でしたね。
ワープロについていた通信ソフトでNiftyをはじめたクチです。
やはり課金は2万くらいとられた月もありました。
あれから十数年、インターネットは匿名の無法地帯とは
なりましたが、Niftyのころは匿名ではあっても同一性が保証されて
いたので、こういうことにはなりませんでした。
インターネットが改良されていく際のひとつのモデルとして
Niftyはありえると思います。つまりまたNifty的なものは
新しいテクノロジーの元でまた復活してくると思います。
たぶんNiftyを経験していた人、ああいうものを知っていた人
だけが、このモデルを思いつけるのではないでしょうか?
しかし、気がついたら、Niftyにも過去のログはもうないのですね。
回収しておきたかった文章があるのですが。諸行無常。
ありがとうございます。
ああ、過去ログは、惜しいですね・・・。
うわー、わたしの青春が・・・。
パソコン通信ですかぁ……余り、良く知らないんですけど、
パソコンの歴史の中ではすごい歴史の有るものに入るもの
なんですね。なんだか、SLが無くなる、なんて昔のテレビ
をやってたりしますけど、そんな感じがします。
なんかもったいないって思います。
ありがとうございます。
センチメンタルを感じるものなのです(^^;
Nifty-ServeをやりたくてMacintoshを買いました。
当時、Windows95が発売されるちょっと前で、読みたいところを巡回して切り分けて…というソフトがMac界隈に揃っていると聞いたこともあり、ちょっと前に知人宅で見せてもらったColor Classic(と、そこで貯めていたNiftyのログ)が印象に残っていたので。
最初は開通するまでかなり苦心したのを憶えています。開通してからも、途中で読み込みが止まっちゃったり。
最初はMac関連のフォーラムを中心に巡回していただけでしたが、次第にサッカーやバレーボールのフォーラムへ顔を出すようになっていきました。当時、仕事の時間帯は不規則だったのですが、ログは読み込めば(確か、タイマー仕込んで、テレホタイムに自動で読み込むようにしていたと思います)いつでも読めましたし、濃い話もいっぱいしましたし、充実していました。
メインマシンをWindowsPCにしてから(だったか、回線がISDNに変わってからだったかは忘れた)、Niftyとは疎遠になってしまったのですが、ネットでのコミュニケーションのベースはこの時期にあったのだろうと、今でも思うことはあります。
ありがとうございます。
ああ、Macユーザもいたのですね。
ログが命でした。
毎日、何時間もログを読んでいたものです。
自分が初めて実際にニフティを見たのはまだ高校生の頃、従兄の部屋でした。
大学生の従兄が嬉々として掲示板で発言していた姿が懐かしいです。
> インターネットが改良されていく際のひとつのモデルとして
> Niftyはありえると思います。つまりまたNifty的なものは
> 新しいテクノロジーの元でまた復活してくると思います。
と仰られていますが、新しいテクノロジーの萌芽がこの"はてな"のコミュニティや
"mixi"なのではないかと感じています。
(はてなの近藤淳也社長id:jkondoやCTOの伊藤直也id:naoyaさんは
ニフティ経験あるんでしょうかね?気になりますf^_^;)
ありがとうございます。
じつは、ryo_zinさんとまったく同じ考えをわたしも考えておりまして、とりあえず電車の中で書いたものですが、トラックバックに考察を残しておきます。
しかし、わたし、はてなのダイアリー残していたんだ・・・。ライコスからの流れでメインが楽天日記なのですが、こっちに書いていたのが判明してびっくりです。
これで、三つアクティブなブログあることになる・・・。それはそれですごい。
NiftyのフォーラムにFUNIXというのがあって、Linuxの草分け的でした。そこのシスオペだった生越さんはもはや有名人ですし。
12、3年前でしょうか、Linusさん(Linuxのカーネル設計者)が来日したおりのことです。年末でしたがFUNIXのオフ会が秋葉であって、そこにLinusさんが参加したことがありました。仕事の都合で行けなかったのが今だに悔やまれる。
ありがとうございます。
あー、そうか。
unixのフォーラムもあったのですね。
(当然か・・・)
Linusさんが来日するのをもてなすNiftyのフォーラム。本当に、あの時代、Niftyのアクティブは日本代表でしたね。
メダカを飼っていて、10何年も前はメダカなんて、だれも見向きもしなかった時代なので、FAQUAのメダカ会議室で情報のやり取りがしたいがためだけに、大学の卒業祝いにはPC(98シリーズ!!)を買って貰いました。
最初の数年間はフォーラムに出入りするだけでしたが、必要に迫られ掲示板を覗いたり、チャットをしたり、オフに出席したりして・・・。
更に必要に迫られ、DOSからWin(3.1!!)に乗り換え、画像も表示できるようになり、データライブラリからデータや画像やアプリやゲームをDLするようになり、やがてこちらからもデータをアップしたり、それで商品をもらったり、掲示板を通じて売買をしたり、詐欺にもあったり(^^ゞ
現在のインターネットの雛型は、ほとんどがNifty-Serveにあったような気がします。そこで、ある程度の仮免許をとって、インターネットの世界に出て行ったので、それからはほとんどネット社会で大きなミスをしたことはありません。
ある意味、パソコン通信は、私の学校みたいなものでした。
ありがとうございます。
メダカ会議室なるものがあったのですね。
うーん、高嶺の花だったのですね、パソコン通信は。
アナログモデムのキュルキュルーという
接続音とともに、パソコン通信は、高校時代の
懐かしい思い出です。
掲示板にはじめて書き込みをして、
レスをもらったときのうれしさが懐かしいです。
今、ネット上の掲示板はたくさんありますけど、
10年以上過ぎた今、どんどん言葉が乱暴というか、
暖かみがなくなってしまって、それが寂しいところです。
ありがとうございます。
そうですね。他利よりも、自利が圧倒的になりました。
11番目のご回答のryo_zinさんに伝言も兼ねて回答します。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0508/18/news023.html
はてなCTOの伊藤直也氏はもともとココログの開発者ですね。上記記事にありますが、当時の草の根BBSは使っていたそうなので、NIFTYについてもご存知かと思います。
また、はてな代表の近藤さんご夫妻は、
http://d.hatena.ne.jp/reikon/20041202
にありますように、Niftyが出会いの場所でした。ですので、「Niftyがなければ『はてな』も無かった」ということはいえるのではないかと思います。
さて、私個人のことですが。
ニフティは姉がやっていたので、飛び入りでフォーラムに参加させてもらったことがあります。(もちろん、他の参加者さんにきちんと了解を取って、ですね)パソコンの「通信機」としての使い方を教えてもらうためでもありました。当時はタイピングがめちゃめちゃ遅かったので、苦労しながら入力し、こうやってテキストで話が出来るということに素直に驚いたものです。ちょろっと触らせていただいただけであれだけのことがありましたので、普段から使い慣れていた方には重要なツールだったのでしょうね。
当時、相手をしていただいた皆さんには今でも感謝しています。インターネットは大学で常時接続的に使えましたが、通信の楽しさはやはり家のMacでのニフティ会議室で覚えたのだと思います。
当時のMacを起動すると、いまでもニフティのツールは入っていますが、あの近未来体験的摩訶不思議な空気は戻ってきません。
一つの時代が終わったのでしょうね。
ありがとうございます。
一時代が終わりましたね。
2回目失礼いたします。
id:yyok wrote:
>12、3年前でしょうか、Linusさん(Linuxのカーネル設計者)が来日したおりのことです。年末でしたがFUNIXのオフ会が秋葉であって、そこにLinusさんが参加したことがありました。
これ私参加しました。
さきほど触れた回収したいログというのは、FUNIXにそのLinus歓迎会の模様を
紹介した文章なのです。(95年12月)
あのとき、IBMのミニPC(弁当箱半分ほど)にLinuxを入れて持参した方が
おられまして、Linusさんに大受け。プレゼント!プレゼントと私が言った
のですが、実現しませんでした。若いLinusさんは一瞬期待に目を輝かせて
いたのですがね。
後年Linus自伝に日本訪問のことがまったく触れられてなくてがっかり
したんですが、実はあのIBMをもらい損ねたことで機嫌を悪くしたのでは
と想像している次第なんです。
今だったら、Linusさんの機嫌をとるためにPC100台くらいプレゼントする
企業はいくらでもあるでしょうにね。
うわー、ありがとうございます。
歴史の証言者です。
http://b.hatena.ne.jp/af/interviewや
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0508/18/news023.htmlを見ると
はてなのCTOの伊藤直也id:naoyaさんはニフティ経験あるみたいですね。
(元々ニフティの社員出身ですし…)
直也さんの見解・感想も見てみたいような気がします。
知りませんでした
そうなんですか
初期の頃、数年間、お世話になっていました
最初はPCからではなく、ワープロから通信ソフトを使ってつないでいました(通信キットが高かった・・・)
あそこでネチケットを教わったような気がします
初心者の私にみんな親切にしてくれたなぁ
どうもありがとう!さようなら!ながいことご苦労様でした!!
ありがとうございます。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/02/16/6484...
このニュースから1年寂しいかぎりです。
これが時代の趨勢というものでしょうね。
パソコン通信ならではのコミュニケーションのスタイルというのがあったと思うのですが、いい部分はのこしていきたいと思いますね。
ありがとうございます。
リンク先のロゴを見ると、あのときから避けられない未来だったのだなあと感じます。
うわー、ほんと人生ですね。
わたしの人生にもかなり影響を与えましたが、こんなにもみなさんの人生の一部になっているなんて、ほんとうに大きな功績ですね。