国防という観点から(例えば米国海兵隊が沖縄にいることで人質になり手出しできないとか)、この辺の問題について解説しているサイトを教えて下さい。
または、この辺について詳しい方、解説お願いします。
URL駐沖縄大使の講演で、直接の回答ではありません。
日本の国防という点で、最近話題となっている中国、朝鮮、韓国やロシアとの直接対決という範疇で問題はありません。
海兵隊のミッションですが、基本は上陸作戦と上陸作戦完了後の上陸拠点の維持です。つまり、防衛を想定した部隊ではないのです。日本に駐留しているのは第二次朝鮮戦争勃発の際に韓国支援を素早く行うためです。
日本の国防上影響があるのは以下の2点においてです。
①第二次朝鮮戦争が勃発する可能性が高まる。その場合、北朝鮮が牽制球を投げてくる可能性が元々あるので、国防上影響が全くないとは言い切れない
②最近のテロリスト、特殊部隊によるゲリラ攻撃に対し、海兵隊の存在は脅威である。北朝鮮および中国の場合そういった攻撃を仕掛けてくることが予想されており、その点において脆弱性が高まったとは言える
北朝鮮と韓国の間で紛争が勃発した場合のシナリオを考えると、
①両国の国境付近を監視中の衛星からの情報で異常を検知
②北朝鮮が先制攻撃で国境を突破
③韓国が反抗を開始
④駐韓米軍韓国政府の支持を表明ただし、本格的に反抗しない(戦線の維持に留める)
⑤米国国連において緊急制裁決議案提出。可決
⑥駐韓・駐日米軍を核とした多国籍軍反抗開始
となります。
海兵隊の登場シーンは④の段階で米軍拠点の警備、⑥の段階で中国国境付近に揚陸作戦を展開(中国からの輸送ラインを絶つ)といったことが考えられます。
グァムに移転したところで④の段階で警察および陸自の特殊部隊で半日の警備は可能です。半日あればちゃんと海兵隊が戻ってきています。
>グアムからは半日で来るんですか。それって飛行機ですか?
>何千人何万人単位の戦闘員は必要ないってことでしょうか・・。
当然航空機により、基地防衛の強化ですから数百人と個人装備で十分です。
で、数日後輸送艦により数個師団が日本に到着することになります。その間は政府が国連で交渉していますから到着しても作戦活動はできません。
ところで、C5AとB747の違いはご存知ですか?
B747はC5Aの開発計画を知ったボーイング社が設計、強引に売り込みを掛けた機体です。空軍は最初からロッキード社に発注を予定しており、仕様をB社に教えなかったということもあります。
結果ベイロードはB747の方が大きいものの戦車の搭載数が少なかったC5Aの採用が決まったそうです。
>ところで、海兵隊ってのは、どこからどこまでのことを指すんでしょうか?輸送機とか空母とか戦闘機とか戦車とか、軍って色々あるわけですが、単に海兵隊という場合にはどう人たちで、どんな装備か、っていうのは決まっているのでしょうか?
重装備および基本装備は決まっていますが米陸軍と比べて米海兵隊は個人装備は結構自由なようです。というのも、上陸作戦は長期戦になりません。沿岸部の守備兵をさっさとやっつけて、後は陸軍に譲りますので。
陸軍の場合、敵にやられた仲間の装備を使って戦う可能性が高いので弾倉など同じでないと困りますが、海兵隊はそんな暇はありません。
そんな暇はないから自分の使いやすい装備を使えということだと推測します。
有名な所でAV8Bハリアーが米国海兵隊独自で採用でしたね。
アメリカの海兵隊の移転以前に日本の国防は極めて危ういと言えます。(海兵隊が移転しても余り変わらないでしょう。)
簡単に書きますと、要するに行き過ぎた平和教育が国民一人一人の国防意識を駄目にしたといえるでしょう。
具体的には
・僅かでも武器、兵器に知識を持っていると、オタクとレッテルを貼られます。皆話聞いてくれないし。挙句の果てには兵器は人殺しの為のもの、そんなものに興味を持っていることなど許されないと言う人も要る。(結構かっこいいのに)
・国防は国民の義務だ、こんなことをいえばたちまち右翼と言われます。
・憲法九条は世界に誇るものだ、日本が軍隊を持つことは許されない、と言う人がかなりいます。(自分が使っている漢字練習長に「憲法九条を遵守する。」ていう例文があったし。)
・社民党が存在していると言う事実。
・自虐的な歴史教育。
・朝日新聞がやたらと自衛隊を軍国主義だと煽る。
などなど挙げるときりがありません。この様な状況で他国とかが攻めて来たらどうなるんでしょう?
予備自衛官制度ってご存知ですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%85%B5%E9%9A%8A
#a1、#a2で回答した者です。
#a2で貼り付けたのが表示されていないので、再度貼り付けておきます。確認漏れです。申し訳ございません。興味があれば、リンクもありますがアメリカ海兵隊の項もご覧下さい。
若干付け加えておきます。#a2でも述べましたが、陸軍の歩兵部隊と比較した場合、陸軍は敵奥地まで侵攻することになりますが、海兵隊は沿岸部への強行揚陸がミッションとなりますので、個人携行火器は重装備となります。揚陸作戦を一旦開始した場合、退却は死を意味しますし、時間が掛かった場合でも補充はありません。少なくとも橋頭堡を確保して陸軍の上陸があるまで。
逆に車輌は海を渡るわけですから、水陸両用つまり軽量で小型の方がいいということになります。
また、航空機は地上部隊の支援が最大のミッションとなります。また、海軍と違い本格的な空母は持てません。それは揚陸作戦の際は沿岸部に近づく必要があり、砲台から撃たれる可能性があるからです。だから、航空機は小型の空母に発着艦可能で爆弾の搭載量が大きく、対空砲火に強い機種が望まれます。対空戦闘能力は空軍なり海軍に協力して貰うという考えです。
ここまでが揚陸作戦の装備。ここからは警備任務の装備になります。警備になると、非常時及び前線ではタコツボを掘って重装備で警備しますし、できますので、揚陸作戦と同じ装備で可能ですが、平時は軽装備にします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%...
yumekosoさん、沖縄、軍事、国防、、私は去年末、イラク派遣で驚き、少し、昔の本を紐解いたりして分かったことがあります。yumekosoさんにはもうご存知かもしれないと、思いつつ、、多分、私より若い次世代を引っ張っていく方と思い、お節介でこういう視点もあったのをお伝えしたく思い、まとめてみました。
国内的には、佐藤首相が政権の総仕上げとして「沖縄返還なくして戦後は終わらない」として取り組みますね。
当時の日米関係・・・・
沖縄にはソ連の沿海州や中国を射程に置く「メースB」という中距離核ミサイル基地がありました。
しかし、当時はすでに核戦力の主力ははミサイル原潜(ポラリスミサイル)に移行しており、地上核
基地は時代遅れのものでした。
したがって、①沖縄県民の「核基地撤去」運動の高まりが、日米の外交問題として大きくなることは、
その他の通常の基地機能に障害が出ることにもなりかねず、アメリカにとってはアジア戦略における
重大問題でした。
これに加えて、②日米の間では巨額の(日本)貿易黒字(71年度だけで25億ドル)という「貿易
摩擦」が生じていました。特に問題になったのは「繊維製品」です。
↓
ですから、アメリカは「基地機能は堅持しつつ、沖縄問題を繊維問題解決のカードとして使う」こと
にします。
この問題は第二回佐藤・ニクソン会談(1970.10)
↓
田中角栄通産大臣・ケネディ特使との「了解覚書」仮調印(1971.10)、
↓
「日米繊維協定」正式調印(1972.2)という経過を経ますが、
結果として日本は、かなり厳しい対米輸出規制を行うことを余儀なくされます。
この過程で、アメリカが取引材料に使ったのが「沖縄返還」でした。
したがって、日本国内では、繊維で譲歩して沖縄を返して貰った、として「糸で縄を買った」
という批判が起こります。
(沖縄返還協定調印は1971.6.13ですね。
なお、屋良朝苗琉球政府主席は「基地撤去」「核抜き」の保証があいまい、ということで調印式出席を
拒否します。)
当時の佐藤栄作首相は、ノーベル平和賞を非常に欲していたと言われています。
はたして平和賞受賞にいたる彼の功として、
↓
核拡散防止条約の調印とともに、
平和的な方法による『沖縄返還』があげられるのですが、実はお金で米国から買い戻していたことが後に暴露
され、激しい批判の対象となりました
戦後から振り返ってみると、、
昭和26年1月、トルーマン大統領の講和特使、ダレスは史上初の寛大な講和を結ぶ代わりに日本の再軍備を要求したのに対し、
↓
吉田茂は憲法九条を盾にこれを拒否。
Why? その本心はで世界『経済』戦略で『対等に』攻防できてこそ、扱われてこそ、軍備の存在意義があることを彼は実体験として又、島国・小資源国日本が世界で生きていく為に、政治家としてかつて、日英同盟での軽率な政治判断がきっかけで、負け戦をせざるを得なくなった窮地に陥った轍を二度と踏まない強い意志を感じます。。名相、その後の日本を成功に導いた立派な政治家だと振り返られる由縁もここにあるのを思う。。
小国日本が大英帝国の世界中の豊かな植民地からの富の分配にあずかるため、大国と同盟を結び、彼らの敵“大”国ロシアを英国の思惑に反して、世界に疎い小国日本が簡単に日露戦争で勝って、ⅠWWにも勝って、田舎から出てきた初心な小国日本が一等国の地位を勝ち取ってしまう。。英国の予想では日本の善戦で大国ロシアは傷を負い弱くなるだけで良いと思っていたのに、日本は陸海ともに連勝し、ロシアが負かされ、日本海軍が英国艦隊より強大となるや、イギリスにとって今度は、日本が脅威になる。。そこで米国とワシントン軍縮会議で大正十年、日本主力艦の対英米比率を6割に押さえ込む。
このように、日英同盟の矛先(はじめロシア、後、ドイツ)を打ち負かした途端、日本が英国の飼い犬を脱却し、対等の国になった途端、英帝国からは追放されてしまう。軍事力がいくら大国並になっても、世界経済戦略で同盟国、イギリスに依存していた為、大きな戦艦を持っても、それを動かす燃料、資源が断たれる。そもそも、日本が英国同盟を結んだ目的、資源、食料を得る事だったのだが、今度は、一匹狼で資源を求める亡者と化していかざるを得ない。。世界大国覇権主義とは大国が世界の富を一手に掌握することの為にあることを思い知らされる。英帝国(世界中のイギリス植民地をめぐると、日が沈むことがないといわれるほど広大で豊かだった)から追放された日本は孤立し自らの軍事力だけで“死に物狂いで!”『大』日本帝国なぞと自らを奮い立たせ、生きる為の石油、食料を求めて、満州征服、北支侵略、長江、、ついに大東亜共栄圏をめざすに至る。。あとは、戦後日本で結論づけられてる道をたどる。。
しかし、、戦後、日本は裁かれたが、英国同盟を軽々に結んだからなのか、自国の世界経済戦力に対し、幼稚すぎたのか、あまりに今までの島国、鎖国国日本らしく、『共生思想』に疑いを持たず、ひたすら、親分(英国)に従順、忠誠を身を粉にして尽くし過ぎたのではないか。自国は自国としての、国益を見つめてこそ、対等に扱われるのではないか。。
戦後yuの裁きで、潔しと出来ない部分、『起因』、きっかけ、を政治家はじめ国民はもっと苦々しく受け止め、二度と同様な環境下に引きずり込まれるのに用心深くなるべきではないだろうか。。
ロン康、ブッシュ小泉、、これは本当に日米が対等に親しい共生、協力関係にあると、真に受けていいものか。ついこの間までNHKワシントン支局長だった方が先日日曜の田原氏の朝番組で、日本の国益を実際代表して対米に当たってる人物がこの2年間、たった!一、二度しか会っていない、会ってもらっていない、、真実を突く。
国民はマスコミでコマーシャル用?プロパガンダ用?に撮られた小泉ブッシュとの握手場面に疑いを持たないこと、これは日英同盟での失敗を忘却してしまってるのではないか。。
英国大国覇権主義が米国に変わっても同じに思う。。(以上、参照小室直樹氏)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%...
URLが必須とのことですが、これで良いのでしょうか?
何の話です?国防の話ですが。
文章も読みにくく、論点も何を言っているのかわかりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%...
yumekosoさん、沖縄、軍事、国防、、私は去年末、イラク派遣で驚き、少し、昔の本を紐解いたりして分かったことがあります。yumekosoさんにはもうご存知かもしれないと、思いつつ、、多分、私より若い次世代を引っ張っていく方と思い、お節介でこういう視点もあったのをお伝えしたく思い、まとめてみました。
国内的には、佐藤首相が政権の総仕上げとして「沖縄返還なくして戦後は終わらない」として取り組みますね。
当時の日米関係・・・・
沖縄にはソ連の沿海州や中国を射程に置く「メースB」という中距離核ミサイル基地がありました。
しかし、当時はすでに核戦力の主力ははミサイル原潜(ポラリスミサイル)に移行しており、地上核
基地は時代遅れのものでした。
したがって、①沖縄県民の「核基地撤去」運動の高まりが、日米の外交問題として大きくなることは、
その他の通常の基地機能に障害が出ることにもなりかねず、アメリカにとってはアジア戦略における
重大問題でした。
これに加えて、②日米の間では巨額の(日本)貿易黒字(71年度だけで25億ドル)という「貿易
摩擦」が生じていました。特に問題になったのは「繊維製品」です。
↓
ですから、アメリカは「基地機能は堅持しつつ、沖縄問題を繊維問題解決のカードとして使う」こと
にします。
この問題は第二回佐藤・ニクソン会談(1970.10)
↓
田中角栄通産大臣・ケネディ特使との「了解覚書」仮調印(1971.10)、
↓
「日米繊維協定」正式調印(1972.2)という経過を経ますが、
結果として日本は、かなり厳しい対米輸出規制を行うことを余儀なくされます。
この過程で、アメリカが取引材料に使ったのが「沖縄返還」でした。
したがって、日本国内では、繊維で譲歩して沖縄を返して貰った、として「糸で縄を買った」
という批判が起こります。
(沖縄返還協定調印は1971.6.13ですね。
なお、屋良朝苗琉球政府主席は「基地撤去」「核抜き」の保証があいまい、ということで調印式出席を
拒否します。)
当時の佐藤栄作首相は、ノーベル平和賞を非常に欲していたと言われています。
はたして平和賞受賞にいたる彼の功として、
↓
核拡散防止条約の調印とともに、
平和的な方法による『沖縄返還』があげられるのですが、実はお金で米国から買い戻していたことが後に暴露
され、激しい批判の対象となりました
戦後から振り返ってみると、、
昭和26年1月、トルーマン大統領の講和特使、ダレスは史上初の寛大な講和を結ぶ代わりに日本の再軍備を要求したのに対し、
↓
吉田茂は憲法九条を盾にこれを拒否。
Why? その本心はで世界『経済』戦略で『対等に』攻防できてこそ、扱われてこそ、軍備の存在意義があることを彼は実体験として又、島国・小資源国日本が世界で生きていく為に、政治家としてかつて、日英同盟での軽率な政治判断がきっかけで、負け戦をせざるを得なくなった窮地に陥った轍を二度と踏まない強い意志を感じます。。名相、その後の日本を成功に導いた立派な政治家だと振り返られる由縁もここにあるのを思う。。
小国日本が大英帝国の世界中の豊かな植民地からの富の分配にあずかるため、大国と同盟を結び、彼らの敵“大”国ロシアを英国の思惑に反して、世界に疎い小国日本が簡単に日露戦争で勝って、ⅠWWにも勝って、田舎から出てきた初心な小国日本が一等国の地位を勝ち取ってしまう。。英国の予想では日本の善戦で大国ロシアは傷を負い弱くなるだけで良いと思っていたのに、日本は陸海ともに連勝し、ロシアが負かされ、日本海軍が英国艦隊より強大となるや、イギリスにとって今度は、日本が脅威になる。。そこで米国とワシントン軍縮会議で大正十年、日本主力艦の対英米比率を6割に押さえ込む。
このように、日英同盟の矛先(はじめロシア、後、ドイツ)を打ち負かした途端、日本が英国の飼い犬を脱却し、対等の国になった途端、英帝国からは追放されてしまう。軍事力がいくら大国並になっても、世界経済戦略で同盟国、イギリスに依存していた為、大きな戦艦を持っても、それを動かす燃料、資源が断たれる。そもそも、日本が英国同盟を結んだ目的、資源、食料を得る事だったのだが、今度は、一匹狼で資源を求める亡者と化していかざるを得ない。。世界大国覇権主義とは大国が世界の富を一手に掌握することの為にあることを思い知らされる。英帝国(世界中のイギリス植民地をめぐると、日が沈むことがないといわれるほど広大で豊かだった)から追放された日本は孤立し自らの軍事力だけで“死に物狂いで!”『大』日本帝国なぞと自らを奮い立たせ、生きる為の石油、食料を求めて、満州征服、北支侵略、長江、、ついに大東亜共栄圏をめざすに至る。。あとは、戦後日本で結論づけられてる道をたどる。。
しかし、、戦後、日本は裁かれたが、英国同盟を軽々に結んだからなのか、自国の世界経済戦力に対し、幼稚すぎたのか、あまりに今までの島国、鎖国国日本らしく、『共生思想』に疑いを持たず、ひたすら、親分(英国)に従順、忠誠を身を粉にして尽くし過ぎたのではないか。自国は自国としての、国益を見つめてこそ、対等に扱われるのではないか。。
戦後yuの裁きで、潔しと出来ない部分、『起因』、きっかけ、を政治家はじめ国民はもっと苦々しく受け止め、二度と同様な環境下に引きずり込まれるのに用心深くなるべきではないだろうか。。
ロン康、ブッシュ小泉、、これは本当に日米が対等に親しい共生、協力関係にあると、真に受けていいものか。ついこの間までNHKワシントン支局長だった方が先日日曜の田原氏の朝番組で、日本の国益を実際代表して対米に当たってる人物がこの2年間、たった!一、二度しか会っていない、会ってもらっていない、、真実を突く。
国民はマスコミでコマーシャル用?プロパガンダ用?に撮られた小泉ブッシュとの握手場面に疑いを持たないこと、これは日英同盟での失敗を忘却してしまってるのではないか。。
英国大国覇権主義が米国に変わっても同じに思う。。(以上、参照小室直樹氏)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%...
URLが必須とのことですが、これで良いのでしょうか?
しかも2回・・・
へーお詳しいですねぇ。勉強になります。
グアムからは半日で来るんですか。それって飛行機ですか?
何千人何万人単位の戦闘員は必要ないってことでしょうか・・。
ところで、海兵隊ってのは、どこからどこまでのことを指すんでしょうか?輸送機とか空母とか戦闘機とか戦車とか、軍って色々あるわけですが、単に海兵隊という場合にはどう人たちで、どんな装備か、っていうのは決まっているのでしょうか?