「帯久」って、いい噺だと思いますか?

こちらの質問を見てから、回答お願いします。
http://q.hatena.ne.jp/1151323699

・米朝師匠のファンとか、志の輔最高!とか、そういうのは抜きでお願いします。
・世の中に義理も人情もねぇんじゃ寂しいじゃねぇか、おい。というのも抜きでお願いします。

そういうことではなくて、「帯久」を聞いて、噺の筋を見て、いい話だと思いますか?

噺の筋
http://www6.plala.or.jp/kmgt/uda/uda-026.htm
(噺家さんによって、サゲや細かいところ等少し違いますが、だいたいの筋は同じだと思います。)

(「いい」の基準は人それぞれだと思いますが、人情味の溢れた、そういった方向でお願いします。)

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Q01いい話だと思いますか?(択一)

ええ噺やと思う。68
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その他83
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  • id:yokikotokiku
    ページ内で「意味不明」とされている語句の解説
    サイトオーナーのメルアドかBBSくらいあるだろうと思って書いてしまってから連絡の取りようがないことがわかってガクゼン。
    せっかく書いたのですみません、ここに貼ります。

    「しもくだし」
    上方から江戸に来た加工品を「くだり物」と呼んで江戸のものより品質がいいので珍重したのは江戸も初期のころの話ですが(下らない」の語源がこれですよね)、
    上方ではずっと江戸に送る荷物を「くだしもの」と呼んでいたと思われます。
    なので「しもくだし」はおそらく江戸、またはそれ以外の地方都市に「くだす」荷物を指すはずです。
    呉服屋は江戸の有名な越後屋なんかもすべて本店は上方にあり、江戸にあるのは「支店」でした。
    この帯屋さんも儲けたので江戸支店を出したのだろうと思います。商売繁盛ぶりがうかがえます。

    「たかえとくらのあわさ」ですが「あわさ」は「合わせめ」、「間」でいいと思います
    下に「倉と塀の間に」とありますから、ここは「高塀と倉の間」ということだと思います。

    「さかえ」
    「さかい(境)」には境界物、という意味があるので、塀が焦げたのだと思います。

    「しりのした」は確信がないのですが「座布団」だと思います。
    江戸時代は座布団も「布団」と呼びましたので、名称上の区別はありませんでした。
    なので焼け出されてその夜寝る布団もない、という意味ではないでしょうか。
    後ろで「しりのしたもない」と言っているのも人並みの暮らしをしていない、という意味に取れます。
    ただ、「座布団」という表現が作中にあるので違うかもしれません。
    昔から慣用的に「布団」を「座布団」と同一視して「しりのした」と呼び、さて、現代語としてふつうに「座布団」という単語を作中に使った、という考え方もアリかなとは重います。

    「はいりすど遅れて」
    「すど」は「数度」ではないでしょうか。
    「数度」を挿入句として見ると「入ろうとするが何度か気後れして入れず」というかんじになって意味が通ると思います。

    「ねんしゅう」は「年始」ではなく「年首」か「年初」かもしれません。「年初」で「年初のあいさつ」を表すのはわりとアリだと思うので、こちらが有力かなと思います。
    「落首」だと歌(狂歌のたぐい)の意味になってしまうのでちょっと違うような気もします、落書?落称?

    「ふんじつ」は歌舞伎でも言います。当時はこの発音が正しいのです。鑑定書の事を言う「折紙」も、今は「おりがみ」ですが、正確には「おりかみ」です。
    「百鬼夜行」も正確には「ひゃっきやぎょう」だったり、けっこう今の日本語はてきとうです(すでにこれが「正しい」ことになっているのでしかたありませんが(笑))
     
    「はったん」の褞袍、は「八段掛」(はったんがけ)だと思います。
    八丈紬の一種で、八丈ものと言えば黄八丈ですが、これも安いものではありませんが、これを八反買えるようなおねだんの高級品だったようです。
    ちなみにこういう太縞の大どてらに重い(大きな)煙管で大些布団にどっかり、というのはお芝居に出てくる大泥棒などの衣装です。
    ふつうの呉服屋の旦那さんは着ません(笑)。ネタであると同時に帯屋さんの悪者っぽさを視覚的に強調する意図もあると思います。

    お金を借りに来るのが三月、五月、七月、九月、十二月、となっているのは
    これが当時のいわゆる「節季」で、「締め月」だからです。
    当時の売り買いは「掛け」がふつうでしたが、毎月末に精算するのでなく、節季ごとの精算でした。
    で、年の途中の節季は、じつは許してもらえるのですが、師走の「締め」は問答無用でした。
    このへんは西鶴の作品に詳しいですよね(笑)。

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