説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。
>自身の精神構造にダメージを与えることになりかねない
なぜそうなるのかを考えると、なぜか((合理的には説明できないのでこの表現にしました))人間は一般的に「殺す」ことに対して生理的嫌悪感を持っているからだと思います(参考リンク)。
参考リンクの例は人ですが、当然子猫を「殺す」ことに対しても人間は生理的嫌悪感は十分に持っているのは既に常識でしょう。
で、それが「いけない」という規範にまでなるのは、「ペットを飼えなくなったら殺すことを選択肢に入れなければならないこともある」という責任論的な価値観を、前述の「殺す」ことに対する生理的嫌悪感や自分が子猫を可愛がる感情によって受け入れることができない人々(もちろん統計上の、です)が、何らかの理由で子猫を殺すことを「自分はしない」ではなく「してはいけない」という規範にまでしているのではないかと思います。
付記:「何らかの理由」と書きましたが、子猫の場合、大多数の人間が子猫を「殺す」ことに対して生理的嫌悪感や子猫を可愛がる感情を持っていること、それらの感情は非常に強いものだと観察されること、そして子猫を殺す行為自体の敷居は低いことあたりを考えると、「なぜ猫」を規範にまでする(ひとがいる)理由は見えてくるのではと思います。強いて言えば、バランスを保とうとする心理なのでは。そういえば、猫って可愛いですよね。
ご意見に同感です。:-)
人間が人間をということであればこれは然りかと
(例:帰還兵のトラウマ
相手が昆虫であってもそういうことに敏感な人はおり
(例:「次郎物語」
愛玩動物になると統計的にそういう人は多そうです…
(例:各種動物愛護団体
いけない、という点について言えば
仮に自身の精神が何の影響も受けないとしても
(本件はそうではないことを坂東さん自身が認めていますが
統計的多数の他の人の精神にある程度の衝撃を与え
「人騒がせ」なのでやめた方がいいということもあり
しかしながら実を言えば
倫理/宗教/法律/情とは無関係に
この種の行為は個人の自由の範疇内でありながら
人間の精神構造への容易ならぬ影響力を孕んではおり
今日が仔猫であれば明日は仔犬でしょう
間引きをそのように行なうというのがやがて普通にはならずとも
恐らくは今後これを契機にそうする人がいるのではと推断…
これはお互い(する方も見聞きする方も)
心臓に悪いのでやはりやめた方がいいような気が
#一方でこうした報道がヒントとなって
(ないことを願いたいのですが
もしかしたらある子供たちは考えもなくただ面白がって
学校で飼育されているウサギを屋上から投げ落としたりするかも
仮に「処分」と称してもっと重大なことに手を染めてしまったりすれば
精神的ダメージもそうですが社会的ダメージが
余談:
グーグルアドセンスもこの論点を支持しているような(なんて
人間の精神構造というものは(特に良心)普通、すべてのことを平気で行なって平然としていられるほどキャパシティーが広くありません。事例としてよく取り上げられるのは、血も涙もない犯罪に手を染める人の中には、一方でなぜか人のためになるようなことを行なう人がいるということです(つまり罪滅ぼし)。
なぜ子猫を殺してはいけないか→自身の精神構造にダメージを与えることになりかねないので
人によって個人差はあるでしょうが、食肉用動物の職業的な屠殺行為でさえある人にとっては何らかの影響があるのかもしれません(本来は無宗教であるのにわざわざ供養を行なったりお参りを行なったりする場合等)。件の子猫殺しの事例の場合、その行為を行なっているご本人が「殺しの痛み、悲しみ(を)引き受けて」いると仰っておられるように、明らかにある程度のストレスを身に招いていると考えられます。