説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。
ねじれた論理は質問者さんの望むところでしょう。
質問から回答がずれており反論する必要もないのかもしれませんが、
あえて反論を2つ。
1.実際日本の都市部においては自ら求めて動かなければ子猫に全く遭遇することなく生きられます。この場合、思念においては出合って即殺し続けていても実際の行動においては殺していない。これを言っているのであれば、できないことをやれている。
腹はいつだって減ります。
2.どこか、たとえばタヒチが猫に埋め尽くされそうになったら、
逆に「猫に餌をとられて腹が減るし猫は殺しつくせないほど存在するからどんどん殺す」のが当然の行動になるだろうと思います。
元の回答が成り立つには「子猫同士は等価で可換である」という仮定が必要だと思います。
質問文からは "the kitty" なのか "a kitty" なのか、それとも "kitties" なのか読み取れないので、「子猫を殺す」という文言を拡大解釈しました。それは認めます。
neocup さんがおっしゃるのを正しいとすれば、質問文に子猫はそれぞれ唯一無二の存在で不可換だという前提が隠れていることになりますが、それを万人が受け入れている事実だということを誰が証明してくれますか?
ええっと、私が子猫を殺したいとします。
どんな子猫でも構いません。(ケースバイケースという回答は拒否されていますから)
目の前に子猫がいます。
殺そうとします。
殺しました。
しばらくするとまた子猫が現れました。
私は子猫が殺したいのですから、子猫を殺します。
しばらくするとまた子猫が現れました。
それも子猫ですから私は殺したいです。
なので殺しました。
でもまた子猫は現れます。子猫を殺したいのに殺しても殺しても子猫は死んでくれません。
つまり、私は子猫を殺せない。
できないことをやるもんじゃありません。腹が減るだけです。