説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。
壊しても元に戻せるのであれば自己の責任において壊すなりしてもいいと思うのだけど、、、
例えば、他人の作り上げた積み木を崩すことは、積み木は元に戻せたとしても作り上げた人が積み木を壊されたという心傷までも補うのはよほどの労力が必要となります。
積み木ですらそんななのですから命においては言うべくもありません。
・・・。
人間の命ですら積み木以下に扱われる状態のところもありますが・・・。なんにせよ、ぬるま湯にっぽんから見ればなんとも余裕のない悲しい出来事です。
私は「特に後者が時間の流れという点から問題です。」と書きましたが、kuippaさんは「不可逆だから」と述べておられます。同じことですね。これは、時間の矢(エントロピー増大の法則)を、人間が知らないうちに理解しているからかもしれません。卵子と精子の段階、受精卵の段階、胎児の初期段階、胎児が発育した段階、胎内から出て生まれた段階、成長して自分ひとりで生活できる段階。それぞれが連続的ものではなく、全く別のものへと変わったと我々が理解しているからかもしれません。日本における中絶では、妊娠12週未満に境界をもうけ、カトリックは卵子と精子の段階から命とみています。一方、坂東眞砂子さんは成長して大人となった段階からを命とみているのかもしれません。
ただし、宗教に関係なく自然的な問題として、ノミ・蚊等を殺すことには心に抵抗を全く感じず、昆虫を殺す時は少し抵抗を、猫などの小動物を殺す場合はかなり大きな抵抗を、イルカ・鯨・象・キリンを殺す場合はたとえ合法でも新聞に載るような話題となり、人間を殺すことは一般生活ではタブーとなります(戦争をのぞく)。つまり「自然状態」では、目に見える形が問題となるのではないでしょうか。
2006年3月頃に話題になった「なんで人を殺しちゃいけないのか説明してください」を思い出します。
(参照)「小娘が何か言ってます。」はあちゅう主義。
身体的回答としては、大脳皮質の発達したホモサピエンスは倫理を持つから。大脳皮質の発達が乏しい子供は、動物をいじめることが多々見られます。倫理の源は謎ですが、言語ゲームと関係あるのかもしれません。
心因的回答としては、弱いモノに危害を加えることは、回りまわって自分に危害が来ると考えるから。反例として、情けは人のためならず、という諺があります。
社会的回答としては、共同体内におけるルールが、無駄な動物殺しことを禁止しているから。これは、未開社会においては無視されることがありますが、日々の生活にゆとりが出てきた場合は重視されます。人間社会では精神的階級が高い位置をしめますが、形のあるモノの命をいじるのは肉体的階級の最下層に位置します。豊かになれば、肉体的階級は減り精神的階級が増えます。よって、社会全体においてモノの命をいじることは忌避すべき行為となります。
これらのことが、先天的なものか後天的なものか、はっきりとは分かりませんが、動物に育てられた人間が大人になった時どのような行動をとるのか文献を調べてみればよいと思います。
ちなみに、話題になった坂東眞砂子さんの行動に皆が違和感を感じるのは、彼女が共同体のルールを犯していることと、彼女が形が現れる前の避妊手術を非難する一方、形の見える子猫を殺していることの2点が問題であり、特に後者が時間の流れという点から問題です。