説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。
こう言っちゃあ何だけど、たぶん質問者は「公理」なんていう言葉、理解できませんよ。
出来る人なら、「回答ポイント:1000ポイント 」なんていう馬鹿げたこと、やらないはずです。
・・・かも知れませんね。
子猫は殺してはいけない。
親猫も殺してはいけない。
では、泥棒猫は? 動物園から逃げ出した山猫が暴れたら?
それとも、子ねずみは? どぶねずみは?
何処に線を引くかは、普通は、法律や倫理や感情との相談で判断します。
逆に言うと、倫理とは、そのへんを煮詰めた、エキスのようなもので、
法律はさらに、「いけない」を、はっきり文書化したものです。
また、その法律や倫理を形成し支持するのは、経済や情、文化や世論、
政策などでしょう。
敢えてその正当性を、法律や倫理に求めないなら、それは(勝手ながら)
決めたことにすぎません。「決めたから」決まっているという訳です。
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合法違法は、法律があっての判断です。良い悪いを判断することが倫理
です。悲しいとか気持ち悪いは情でしょう。
それをあえて外せば、違法とか非倫理的とか不快感を説明に入れなければ。
単に「決めたから」決まっている。「いけない」からいけない。
となるでしょう。実際そういったものは色々あるわけで、数学の公理は
有名で実用的なものです。家訓なんかも同様かも知れません。
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平行線は交わりません。何故ですか? 公理だからです。
大食い大会にでてはいけません。何故ですか?家訓だからです。
この原っぱで遊んではいけません。何故ですか?ジャイアンの命令です。
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「子猫は殺してはいけない」は普通は、倫理で判断すべきことでしょう
そこを敢えて、倫理を外すと、理由は、
そう「決めたから」、公理だから、家訓だから、ジャイアンだから・・・
その場合は「子猫を殺してはいけない」ことが公理である示す必要がありませんか? でなければ「それはあなたの公理です。わたしの公理ではありません」という水掛け論になってしまいます。
数学の例をなぞると、子猫を殺すことを禁じた結果(或いは子猫殺しを許可した結果)、社会の論理が破綻すると証明しないと説得力に欠けます。子猫を殺したために滅亡した社会の例を観測して記録するとか。
そもそも公理に、社会的拘束力はありません。わざわざ、公理など
という単語を持ち出したのは、そのためです。
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数学の公理は、証明を要する定理ではありません。万有引力物など
の自然科学や社会科学の法則でもありません。
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また、ユークリッド幾何と非ユークリッド幾何のように、あるいは
連続体仮説のように、ある公理の体系の中では矛盾ないが、他の公理
の体系とは、単なる水掛け論しかできない、元来そういうものです。
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社会的拘束力を持たせようとするなら法律でしょう。
しかし、元質問者さんは、法律による説明はして欲しくない。
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豊かな数学の体系を作ることの出来る公理もあります。その数学の
おかげで社会が豊かになることもあるでしょう。
しかし、ある公理を使わなければ、やがて、その社会が滅びるなん
てことを、導き出し証明しようとすると、それは宗教と呼ばれるで
しょうね。
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通常、良い悪いを決める基準を倫理と呼びます。
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人を殺していけない。同様に、
動物も殺してはいけない。しかし目的がある場合は除く。
ただし、その目的が快楽である場合は、認めない。
がしかし、次の時は特別に・・・・。
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倫理の底には、感情が含まれると思いますが、感情を優先し途中を
省略して良い悪いを決めると、情に訴えたことになるでしょう。
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元質問者さんは、いずれの説明も望まない。
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1+1=2 とし 1+1+1=3 とする、(1+1)+1=3 だから 2+1=3 とも書く
ことができる、こんな感じの積み重ねをすること無しに、
「子猫」と「殺す」と「いけない」だけ持ってきて、
子猫 + 殺す と いけない がなにゆえ = で結ばれるのか説明せよ。
そんな説明を望んでいるなら、
それなら、それだけで「公理」として取り扱えばよいと。
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ペアノの公理から証明できるとは言っていません。
新しい公理を作ってしまえ。そんなのもありだ。と。
子猫 <- 殺す= いけない。これを、1+1=2 と同様のレベルで成立
する公理「子猫の公理」とする。と。
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言葉の遊びと言えばそれまでです。
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情に訴えるつもりはありません。
倫理や法律といった、社会的な支持も拘束もありません。
家訓のような、ご先祖様の権威もありません。
ジャイアンの腕力もありません。
でも、
ケースバイケースでなく、1+1=2 と同様に絶対に成立します。
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赤いリンゴと、青いリンゴ、違いを無視して、1+1 すると、
リンゴは、2個になります。この世に完全に同じリンゴが、存在し
なくても、あなたはリンゴが2個あると、納得できるでしょうか?
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リンゴが2個あると納得できるなら。
子猫を殺すことはいけない。も納得してください。
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リンゴが2個あれば、2倍の代金を払うかどうかは、交渉の余地が
あるでしょう。腕力を使えば、只になるかも知れません。1+1=2
に納得しても行動は別です。公理とはそんなものです。
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かなりすっ飛ばしています。詭弁も混じっています。
しかし、倫理も法律も宗教も情も抜きました。
子猫を殺すことはいけない。これは公理です、納得してください。
。
敢えて答えれば、それを「公理」として採用しているからです。
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通常「よい」とか「わるい」とかは、倫理や法律から導かれますが、それらに立脚しない
とか「いけない」とか「いけなくない」ですからそれ自体が、立脚点となります。
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ユークリッドの公理は、多分、きっと何処かで耳にされたことのあると思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%...
公理を読んでも、なんじゃこれは?ですが、通常の幾何学は、この公理に基づいて構築されており、
その中では矛盾も無く、また折り紙から産業にいたるまで様々な分野で有益に利用できます。
しかし、その公理の一部を変えたものから導かれる、非ユークリッド幾何学というものも考えられており、
その中では矛盾も無く、宇宙論など特殊な用途では、これまた有益です。
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ペアノの公理と呼ばれるものあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%...
1+1=2 といったものを公理とするものです。
これは、1+1 が 2 であることを証明するものではありません。
1+1 を今後、2と呼ぶ。同様に1+2 を 3と呼ぶ。というように「決めておけば」その後に続いて、しっかりとした
実りのある数学を構築してゆくことが出来ます。そういう公理です。
こちらに関しては、例えば、1+1=2 で 2+2=3 であるという公理を用意しても、恐らく実りあるような体系は作れな
いでしょう。
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繰り返しになりますが、通常「よい」とか「わるい」は、倫理に基づくものでしょう。
法律に基づく場合は、「合法」とか「違法」と呼ぶ方がよいかもしれませんし、経済に基づく場合は「損」か「得」
でしょうか。「いけない」という単語を使うと、混乱し易くなってしまいますね。
倫理・宗教・法律・情には無関係に「禁止」することは、「わがまま」って呼んだ方がよさそうですが、
「子猫を殺してはいけない」を公理に採用しても、多分あなたの日常生活に大きな問題は生じないでしょう。
(宇宙の曲率が十分大きければ)ユークリッド幾何でも非ユークリッド幾何でも、日常生活に違いはありません。
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「子猫を殺してはいけない」のは、そう決めた公理を選んだから。です。