1.
ローマの繁栄ぶりを表わす言葉
2.
ローマ街道、ローマ水道などなど大規模な土木国家だった。
これから、結果として経済流通が盛んとなる。
そして、属州のローマ帝国への同化も進む
故にローマ帝国は何世紀にも及び繁栄することができた
3.
来の役割は「ローマ街道」、すなわちローマ帝国がヨーロッパ各地を支配するために建設した道路です。すべての道はローマに通ず、というわけですね。
フランスの詩人ラ・フォンテーヌが言った言葉です(『寓話』の中で)。古代ローマ帝国はあまりに巨大で、交通が発達し、経済も活性化していた。地方の産物が首都ローマに集まることから、このようにいわれた。富はローマに集まると。また交通インフラが国の発展に最も重要であることを表わす言葉でもある。ローマはイタリア半島の中央にあり、海も近く、陸路・海路ともに発達していた。北アフリカや中東からは海路で、北からは陸路で、西のスペイン方面からは陸からでも海からでもローマに至れた。地中海の中央、北アフリカを含めた当時のヨーロッパ世界の文字通り中心。そういう意味。
http://www.coara.or.jp/hiramatsu/message/hassin/12.htm
そこから派生して、ルート(手段)はさまざまでも目的(地)は一緒という意味とか、真実(中心、大事なもの)は一つである(中心に集まる)という意味に使われるようになったわけです。
http://www.asahi-net.or.jp/~wf3r-sg/ntzshiono2.htm
これまでは単にローマの繁栄ぶりを表わす言葉という程度にしか受け止めていませんでした。ところが、本書を読むとまるで違うのです!
ローマ帝国が土木国家でもあったことは認識していましたが、これ程までに社会基盤整備に熱心だったとは、思ってもみませんでした。その象徴ともなるものが、ローマ街道であり、ローマ水道です。
共和政時代より石造りの堅固なローマ街道敷設を進め、ローマ帝国拡大に合わせて帝国領土内へネットワークのようにローマ街道をはりめぐらせていく。その労力たるや想像もつかない規模ですが、その結果として経済流通が盛んとなり、属州のローマ帝国への同化が進む。故にローマ帝国は何世紀にも及び繁栄することができたと、塩野さんは説明しています。ですから「すべての道はローマに通ず」は象徴的な言葉だったのではなく、事実そのままにローマ街道の存在を語った言葉なのです。この事実には、感動に近い興奮を覚えます。
そして、ローマ水道。これまた、素晴らしい。
ローマ街道が軍用道路としての目的を第一に建設されたのに対し、水道はローマ市民に資するもの、まさに社会基盤整備そのものに他なりません。ローマが水に不足していた都市という訳ではなく、ティベレ川、井戸もそれなりに確保できていた都市であるにも拘わらず、さらに水道を建設したということが凄い。
その根底に、人は人らしく生活する権利がある、という考え方がしっかりあったというのですから、その面では、現代国家よりはるかにローマ帝国の方が上だったのではないか、と感じざるを得ません。
そして、それはローマ本国内に留まらず、属州各地に対しても適用された訳ですから、ローマ人のオープンな考え方には驚くばかりです。
http://www.kankogaku.com/kankogaku/travel/travel_06.html
>植民地とローマを結ぶための軍道が起源
http://www.kankogaku.com/kankogaku/travel/travel_06.html
>広大な占領地を支配するための軍事的意義を考えてのことであるが、兵士たちに常時仕事を与えるためでもあった。
>六世紀のスペインの大司教は「ローマ人は道路をつくったのは、ほとんど全世界をまっすぐ旅行できるためと、住民の失業を防ぐためであった」と述べている。
http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/europe/europe-south/ital...
http://ikijibiki.blog3.fc2.com/blog-entry-146.html
17世紀のフランスの詩人、ラ・フォンテーヌが残した格言。
「ローマ帝国の全盛時、世界各地からの道がローマに通じていたことをいう。転じて、どんな方法をとっても同じ目的のところに達すること、真理は一つであることのたとえにいう」
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/html2/shiono_roman_p10.h...
>ローマ人の考えていたインフラには、街道、橋、港、神殿、公会堂(バジリカ)、広場(フォールム)、劇場、円形闘技場、競技場、公共浴場、水道等のすべてが入ってくる。ただしこれはハードとしてもよいインフラで、ソフトなインフラになると、安全保障、治安、税制に加え、医療、教育、郵便、通貨のシステムまでも入ってくるのだ。これらすべてをとりあげないかぎり、ローマのインフラを論じたことにはならない。
>すべての道はローマに通ず、の「道」とは、道路の意味だけではないことを、そしてそれが、ローマ人の真の偉大さであることを、あなたにわかってもらえることだけは約束できる。
質問の趣旨とはずれますが、ローマ街道にまつわる、【「ローマ風の」が語源になった】という面白い情報の載っているサイトがありました。
参考にならないかもしれませんが、一応「ローマつながり」なのでURL載せておきます。
http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/iclk?sa=l&ai=Bh-...
アドレスはダミーです。
ローマの広大な地域に存在する属州と首都を結び合わせたのは街道でした。
ガリアの森林とギリシャの諸都市を結び付け,ユーフラテス川とブリタニアの海をつないだのも街道でした。
更に,ローマの覇権を広めたレギオンが帝国内を自由に行き来できるようにしたのは街道でした。
それらの舗装された幹線道路からは複数の道が属州内へと分岐してゆきました。
「すべての道はローマに通ず」ということわざはそのような背景から生まれたそうです。
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