そんな案はない・殺さずに済ませなければならない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。
乗馬用の馬などでは顕著に西欧との違いが出てきます。
西欧は原則的に牧畜の国ですので、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、オーストラリア、アメリカ、などなど、乗馬用の馬に対して持ち主は「友人」「パートナー」と捉えます。馬を常に全身シャンプーしていたり、精神的なケアも欠かしませんので、欧州馬の血統も本来は大きいのですが(競馬用サラブレッドと、乗馬用の馬とは血統が異なる。アラブ世界の馬もまた現在では別種。競馬用の馬は、異常な血統配合によって生まれた血統なので、精神的には非常に危うい)、馬が逆に人間をパートナーと思うような美しさがあります。
一方、もともと牧畜が無く、米作農耕文化の日本では、さらに江戸時代には、牛馬を食べてしまって農耕に困らないようにする目的として、牛馬を食べる者は劣等民であるというような劣った文化を形成しました。もともと牧畜が盛んであれば、江戸時代の人が人を食う巨大飢饉も凌げたであろうにと思うと少々情けない話ではあります。そのような中で、家畜は「友」であり「パートナー」であるというような文化が全く形成されず、家畜が単なる「モノ」でしかないというような文化が長年に渡り形成されました。ですので、モノである以上は殺そうが、去勢しようが、持ち主の自由でしかないわけですね。
例えば以前、ドイツ流馬術の旗手であった武田さんという方(宮様のご子息ですが)、このような日本とドイツの家畜に対する文化の違いを学んで貰おうと、なにか、留学援助などなどをしていたと思います。
このようなわけで、日本の文化素養というものが、家畜を非常に低く蔑み、モノ、所有物として扱うという素養があると考えますので、ならば、一方逆に、所有権から所有権者責任を追及して、所有権者責任(車の車検や車庫証明のように)から、動物愛護的な部分に関する責任を設定し、例えば酷い話では、南米のワニや危険な亀をため池に放すなどの行為、ブラックバスを勝手に放流して、日本古来の鮎やタナゴなどの生態系を破壊する行為までを、取り締まり、義務化する、ということは、妙案かもしれませんね。。。
生き物を飼う時には「免許資格」を持っていないと飼えないという制度を作る。
その中で「飼い猫を殺す」ことに関して言及する。
そもそも日本の法律は「ペット」を飼い主の「所有物」と定義している国家ですから、
自分で殺しても他人が殺しても「器物損壊」扱いですよね。
そういう国の現状や常識の中で即効性があるとしたら、
あくまで所有者が「所有物」に対して責任を負う形にすることかなと思ったので。
(刀剣や自動車に近いイメージ)
正直倫理や宗教、感情に照らし合わせても、その人間が自分に理や利があると判断している以上、聞き入れる可能性は低い気もします。
そしてそういう人を根本的に改善する方法があるなら、
もっと他の犯罪も減るように思いますが、今のところ私にはわかりません。