会社の飲み会の後でしてね。幹事を頼まれたせいか、いろいろ気をつかっちゃってゆっくり飲めなかったのですよ。
で、何か飲み足りないけど、付き合ってくれる奴がいなくて―嫌われているわけじゃないですよ、たぶん―一人で来ちゃいました。
実のところ、外で酒を飲んだのは久しぶりだな。うちが出産騒ぎでいろいろ大変だったんで。
ええ、もうだいぶ喋れるようになりましたよ。意味は不明ですけどね。
やっぱり子供は可愛いもんです。
そうそう子供と言えば、このあいだ不思議なことがあったんです。
お盆の時だったかな。先祖の墓参りとは別に、隣市の寺に墓参りに行ったんです。
そこは3年前に死んだ私の高校時代の友人が葬られているんですよ。
事故?いや・・・自殺です。あいつが30になる数日前の夜だったな。
ゴメン、あまりそのことは詳しく言いたくないんだ。複雑な事情があったんで。
ともかく友人としてあいつの自殺を止められなかった罪滅ぼしというか、そんな理由で毎年墓参りに行っています。
今年は、子供も連れて3人でね。
その日はどういう具合か、こどもが車の中からむずがっていましてね。
参ったなぁ、って思っていたんですよ。ちょうとお盆の時期で人が結構いるんだけど、寺の敷地内だけに静かで、泣き声が響いちゃってね。
せっかく来たのだから、手早く墓参りだけ済ませて帰ろうと思って、あいつの墓まで来た時です。
急にこどもが泣き止んで、きゃっきゃっ笑いだしたんですよ。
まるで誰かにあやしてもらっているみたいに。
まわりを見渡したのですが、たまたま近くに人はいなくて不思議だなぁーと思ったんですが。
とりあえずこっちはほっとして、ゆっくり墓参りができて良かったわけで。
家に帰ってから思ったんですよ。
もしかして、あいつが来ていて、子供をかまってくれたのかなと。
乳幼児の頃って、大人には見えない霊とかが見えているって話聞いたことありません?
でも大きくなると、誰しもそんな記憶は忘れてしまっているとか。
嘘か本当か知らないですけどね。
ただ、私だって生きているあいつにもう一度逢いたかったな、とまた思ってしまったのは事実ですよ・・・。
ゴメン、何かしんみりさせちゃったな。
もう帰るね。お勘定をよろしく。
ねぇ、マスター聞いてくれる?
今私はね、新婚4ヶ月。
そう、幸せそのものよ。
新しい仕事も見つかったし、それも昔勤めていた会社に比べたら、穏やかなこと・・・。
旦那は在宅の仕事だから、夕飯も作ってくれる。
ああ、もちろん休みの日は私が作るわよ。
二人とも、料理好きだから、太って困っちゃうわ。
でも、一つだけひっかかっているの。
これは、旦那にも友達にも言えないの。
聞いてくれる?
ありがとう。
実はね、結婚する前に、長く同棲していた人がいるの。どれくらいかって?
10年よ。
すごいでしょう?
なんで結婚しないのかって、みんなに聞かれたわ。
でもね、何か不安で、その人との結婚には踏み切れなかったの。
そんな時にね、出会ったのが・・・そう、今の旦那。
包容力があって、やさしい彼にすぐに夢中になったわ。
それで理由は言わずに、同棲していた彼と別れたの。
その後も彼は、復縁したいと言って来たけど、私はこばみ続けた。そして、彼が納得しないままに、旦那と結婚したの。
その後、彼はどうしたかって?
私が聞きたいくらいだわ。
怖くて連絡とれないし、友人に調べてもらうわけにもいかないもの。
弱い人だったけど、なんとかやっているとは・・・思う。
でも・・・
夢を見るの。
彼とあう夢、彼にあわないように逃げている夢、彼の友人に彼がどうしているか尋ねている夢・・・。
さいわいな事に、全ての夢が、もう彼と別れたという前提なんだけどね。
でも・・・
繰り返し見るの。
最初は毎日。
それでも最近は減って・・・週のうち5日くらいかしら?
たまらないわよ。
不眠症になるところよ。
誰にも言えなくて、頭がおかしくなりそう。
・・・
今日は酔ったわ。
こんな事を言うなんて、どうかしている。
マスター、もちろん内緒にしてくれるでしょう?
ありがとう。
じゃぁ、また来るわ。
(^^)(^^)おやすみなさい。ありがとうございました。
あれは、夏の日だった。一本の電話がかかってきた。うちの○○知りませんかって、そいつの母親からだった。いや、今日は会ってないですけどと言うと、死にますみたいな置き手紙をしたまま、行方が分からないって言うんだな。
俺はびっくりして、友達に電話をかけまくって、みんなで探しに出た。そいつ、めちゃくちゃツッパってたやつでね。みんなに嫌われてた。でも、みんな、必死になってそいつのことを探し回った。
俺達、まだ中坊だったんだけどさ。チャリかっ飛ばしてさ。隣町まで探して回ったよ。そして何時間も経って、日が落ちてどっぷり暗くなった校舎の裏で、そいつを見つけた。結局、中坊が立ち寄れる先なんて、そんな所くらいだったわけだ。丸一日探し回って、見つけたのは歩いていける場所だったなんて笑っちゃうよな。
そいつは俺の顔を見たとたん、何しにきやがったと殴りかかってきた。俺も、てめえ上等だ、死にてえならぶっ殺してやる、なんて言いながら大げんかだ。
すぐに警備員らしい人影が走ってきたのが見えた。俺達はケンカを中断して、チャリにまたがって2ケツで逃げた。逃げながら二人で大笑いしたよ。もう死ぬなよと言うと、そいつは、おう、てめえをぶっ殺すまでやめといてやる、なんて言ってさ。
いい感じだと思ったんだ。これって、青春じゃねえか?友情じゃねえか?みたいに。そして、そいつを家に送り届けて、俺も家に帰った。
夏休みが終わってすぐの夜、また家に電話がかかってきた。担任の教師からだった。やつが亡くなったと。バイクで大事故を起こしてと。中坊のクセにバイクかっ飛ばして、派手にいっちまったと。みんなで道路に花を供えに行ったよ。
でも、やつはけっして、逝き急いで自分で死んだわけじゃない。ただノーヘルの無免でバイクを転がして、頬を撫でる風を思いっきり楽しみながら逝っただけだ。
そうか。今夜あたりが命日だったかもしれないな。乾杯してくれ。俺の友達に。
ありがとうございました。
ドアの音がする。BGMにはジャズ
「いらっしゃいませ」
「あんちゃん、タクシー呼んでくれ。」
「お急ぎでしょうか。」
「やかましい。呼んでくれればいい。」
「かしこまりました。少しお待ち下さい。」
「スグに来るかな?」(背景にダイアルプッシュの音)「悪いが急いでるんだ。」(話し声・・)
「5分程で来るそうです。」
「そうかい助かったぜ。」(男座り込む)
「ついでだ。水割りを頼む。」
「はい」
「うちの社長の気まぐれにも、勘弁してくれ。」
(グラスと氷の触れ合う音。無言の時間が流れる)
「どうぞ。薄くしておきました。」
「ありがとう。気が利くな。」
「あそれいります。」
男グラスに口を付け啜る。ジャズの音が盛り上がる。突然車の音。男、残りの水割りを一気に飲み干す。「いくらだ。」「1500円です」「釣りは取っといてくれ。」
タクシーの運転手、入ってくる。
「まいど~。神風タクシーですが~。」
椅子から立ち上がり、ドタドタ歩く音
バーテン「ありがとうございました。」
男「ああ。ありがとう。」
ドアの音。同時に次の曲が始まる。・・・
こんなもんで良かったでしょうか。ジャズの曲はお好みで。ベイシー辺りがお勧めかな~。
(^^)(^^)ありがとうございます。ちなみに今はヨーロビアンジャズドリオかけています・・。
俺のことはほっといてくれよ。マスター。
眠いんだよ。
えっ? もう一杯だめなの?
お願いですよー。ね、ね?
そうそう、こんな話を考えたんだ。面白かったらツケにしてくれよ。
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2015年
何もかもが夢のようだった。
あれほどの栄華を極めた日本は戦争の最中、全てを失った。
あるのは残骸を集めたバラック小屋だけだ。
ある男がいた。やつれ、髭も伸ばし放題。明日のメシを食う金すらない。
この時代はみなそうだ。
男は自分の住む町が、かつて何と呼ばれていたかを必死に思い出そうとしていた。
思い出せない。
ずいぶん昔のことだし、残骸ばかりで都市の形跡もいまや残っていない。思い出したところで、所詮は男の親の世代の話だ。
一人、灰色の風景の中を彷徨った。空は雨が降るでもなく、晴れるわけでもない。
この街の色と同じだ。
いつもの路地を曲がり、廃墟と仮したビルの谷間に進み。男は普段通る道に見たこともない看板を見つけた。
“Blue Apple”
バーの看板らしきそれの下には、この時代に似つかわしくない豪勢な、よく磨かれた木製の扉があった。
なんだこれは。
男はしばらく立ち止まってその扉と看板を凝視した。この時代に荒らされずに残っている建造物を見たことがない。正確には、ビルは滅茶苦茶に破壊されているのだが、そのバーの入り口だけが、まるで別世界のような空気をかもし出しているのだ。そう表現していいほどバーの入り口は時代錯誤な清潔さを保っていた。
店内はジャズが流れていた。静かなピアノを基調としたやつだ。
なんといったかな。そうそう、ジャズピアノ。そのままだな。
何という静けさだろう。外にいる中国駐留軍の連中の喧騒も聞こえない。
客は男一人のようだった。
別に、客入りが悪い時間帯ではない。それなのに、この男一人しか客はいなかった。
「いらっしゃいませ」
物静かな店長、――いや、この場合はマスターか――が男を迎えた。
「何になさいますか」
男は呆然と入り口付近で突っ立っていたが、
「あ、ああすまない」
そういうとカウンターへと向かい、そして腰掛けた。
「ここはなんで客がいないんだ、いや、そのなんだ、それ以前にここは何なんだ」
「バーでございます」
空気が止まってしまった。それはそうだ。ここはバーなのだ。だが、そういう意味じゃない。
「なあ、マスター。ずいぶんと羽振りがいいようだが、軍人どもに手厚くしてもらってんのかい?」
マスターは答えない。
「ご注文はどのように?」
何を聞いても無駄なようだ。男はとりあえず茶色の液体を指差した。
「あれは何だ」
「ウィスキーという飲み物です。ただし、当店のものは特別ですが」
「じゃあそいつをくれ」
そういうとマスターは棚からそれを取り出し、透明な塊の入ったグラスに注いだ。
「なあ、その透明なやつはなんだい」
「これは氷というのです」
なにもかも分からないことばかりだ。実はとんでもなく高い店に入り込んじまったと思ったのだが、もう引き返すこともできない。そうこするうちに、男の目の前に、ウィスキーのロックが運ばれた。もちろん男にとってみれば、酒に透明のトーフが浮いているようなものだが。
「どうぞ」
言われるままに流し込んだ。
なんだここは。男が気がつくと、廃墟はなく、壮大なビルが立ち並ぶ場所にいた。やや黒目のパシッとしたスーツ姿のサラリーマンたちが交差点を足早に通り過ぎる。
だが、彼らから男の姿は見えないようだった。男は空を舞い、上空からその町を眺めた。
なんて高度な文明を持った街なのだろう。
男は思い出していた。ここは・・・・・・
「ここは東京だ」
見たこともない東京の上空で、男は郷愁を覚えていた。なぜか奇妙とは思わなかった。
そして、ふっと目の前の景色がかすんだ。
気がつけば、ある部屋の中にいた。そこにはある家族が団欒の時を過ごしていた。家族からは男の姿は見えないようだった。楽しそうな光景だった。ふと、男の目に、ある小さな子供が飛び込んできた。その子は父の膝に乗り、何かを食べさしてもらっている。
しばらくその風景は何事もなく続き、男はその光景をぼんやりと眺めていた。
しかし、その平穏な光景も長くは続かなかった。
その部屋の窓から見える景色は見る間に赤く染まっていった。
「空襲だ!」
父親が言うや否や、窓ガラスは割れ、爆音が鳴り響いた。
一瞬だった。本当に。
父親は子供をかばうと、吹き飛ぶガラスの破片と爆発の衝撃で床に倒れこんだ。しかし、子供は離さなかった。
「あいつら! 中国軍の奴らだ!」
一瞬垣間見た戦闘機の機影は、男にははっきりと分かった。
父親は血みどろになり、男の子をかばったまま即死した。
母親の姿はバラバラになり床に肉片を晒した。
男は反射的に手を差し伸べたが、すり抜けるばかり。どうしても助けることが出来ない。
男の子はかばった父親の下から這い出し、地獄と仮した部屋の状況を見た。
「あれは、あの子は俺だ!」
目が覚めた。何もない灰色の空が広がっている。バラックの一角から男は呆然とした面持ちで顔を出した。いつもの廃墟と、えらそうに街を闊歩する中国軍人の姿があった。
路地を抜け、あのバーがあった場所へと男はとぼとぼと歩いた。看板は――。
なかった。
そこには「aoi_ringo」とだけ書かれた。うらぶれた骨董品の店があるのみだった。
男の目から一筋の涙が流れた。
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どうよ、マスター。いい話だろ? ツケにしてくれよぅ。
(^^)(^^)(^^)ありがとうございます。
会社の飲み会の後でしてね。幹事を頼まれたせいか、いろいろ気をつかっちゃってゆっくり飲めなかったのですよ。
で、何か飲み足りないけど、付き合ってくれる奴がいなくて―嫌われているわけじゃないですよ、たぶん―一人で来ちゃいました。
実のところ、外で酒を飲んだのは久しぶりだな。うちが出産騒ぎでいろいろ大変だったんで。
ええ、もうだいぶ喋れるようになりましたよ。意味は不明ですけどね。
やっぱり子供は可愛いもんです。
そうそう子供と言えば、このあいだ不思議なことがあったんです。
お盆の時だったかな。先祖の墓参りとは別に、隣市の寺に墓参りに行ったんです。
そこは3年前に死んだ私の高校時代の友人が葬られているんですよ。
事故?いや・・・自殺です。あいつが30になる数日前の夜だったな。
ゴメン、あまりそのことは詳しく言いたくないんだ。複雑な事情があったんで。
ともかく友人としてあいつの自殺を止められなかった罪滅ぼしというか、そんな理由で毎年墓参りに行っています。
今年は、子供も連れて3人でね。
その日はどういう具合か、こどもが車の中からむずがっていましてね。
参ったなぁ、って思っていたんですよ。ちょうとお盆の時期で人が結構いるんだけど、寺の敷地内だけに静かで、泣き声が響いちゃってね。
せっかく来たのだから、手早く墓参りだけ済ませて帰ろうと思って、あいつの墓まで来た時です。
急にこどもが泣き止んで、きゃっきゃっ笑いだしたんですよ。
まるで誰かにあやしてもらっているみたいに。
まわりを見渡したのですが、たまたま近くに人はいなくて不思議だなぁーと思ったんですが。
とりあえずこっちはほっとして、ゆっくり墓参りができて良かったわけで。
家に帰ってから思ったんですよ。
もしかして、あいつが来ていて、子供をかまってくれたのかなと。
乳幼児の頃って、大人には見えない霊とかが見えているって話聞いたことありません?
でも大きくなると、誰しもそんな記憶は忘れてしまっているとか。
嘘か本当か知らないですけどね。
ただ、私だって生きているあいつにもう一度逢いたかったな、とまた思ってしまったのは事実ですよ・・・。
ゴメン、何かしんみりさせちゃったな。
もう帰るね。お勘定をよろしく。
お客様、ありがとうございました。お気をつけて。
・・・・・・
こんばんわ。
今日もあのカクテルをくださる?
毎晩おじゃましてごめんなさい。
あの人は来てないのね。
たしか今日まで出張だと言っていたかしら。
そう、秘書よりもスケジュールに詳しいのよ。(笑)
妻でも恋人でも、仕事でもストーカーでもないの。
なんというか、ご縁が、ある。
高校でも、大学でも、職場でもずっと一緒なの。
実は中学も一緒だったんだけどそのときは知らなかった。
ありがとう。おいしいわ。
あの人のブログも仕事も見てる。
でも、顔を眺めるのはここだけ。
決して交わらない平行線に、橋をかけて、
はしごにしたみたいに・・・ね。
このはしごって、いつかDNAみたいな転移はおこるのかしら・・・・・・。
もういいわ。
またくるわね。
ありがとうございました。
最後の客 ~ わけあり女たち ~
きょうは、同窓会の帰りなんだ。
なぁに、二次会も三次会も行くもんか。
どうせカラオケ歌って、ゴルフの話ばかりだもんな。
なんとなく歩いていたら、表の看板が目に入ったんだ。
もう何十年になるかな、この店は変わらないね。
あいかわらず、女っ気もないや。
マスターも変わりがなくてよかった。
他の客もいないから、昔噺をしても聞いてくれるよな。
黙ってればそれきりだが、ときどき思いだすことがある。
どれもオチがあるわけじゃないから、誰にも話してないんだ。
あいまいな記憶だが、とてもリアルでね。
いつごろか順序もはっきりしないが、情景は覚えているよ。
◇ 放浪期
その店のあるじが「どの女に酌をさせましょうか」とたずねた。
客が、だまって左腕を指すと、あるじは大きくうなずいて、女を招く。
その女は、なぜか左腕を失くしていた。
だれもが、同じような身の上話をしたがるわけではない。
すこしづつ聞いているうちに、同じような話に聞こえてくるのだ。
だから客は、なぜ片腕を失くしたのか、聞こうとはしなかった。
なじみになると、女は云った。「どこか遊びに行きたいわ」
男にとっては、たやすいことだが、片腕の女を連れて歩くのは難儀だ。
知った者に出合ったりすると、誰彼なしに云いふらされるだろう。
あるときは、左手首に傷跡のある女に出合った。
その女は、ふだんは並の顔立ちだが、ある角度から見ると美形である。
さらに、ある状態で笑うと、とてもしあわせそうに見えた。
◇ 少年期
女に「なにか面白い話をしてちょうだい」とせがまれた。
他の女の話をすると面倒だから、おかまにだまされた話を思いだす。
むかし夜の街で、和服の女に声をかけられたときの話をした。
「お兄さん、あたしと遊ばない?」
少年は、とびきりの美女に誘われて、わが目を疑がった。
「お金なんか要らないわよ。あたしの店には二階もあるの」
いつのまにか手をとられて、ふらふらと付いて行くと、たしかに店が
あった。ドアの隙間から嬌声が聞こえた。そのとき、はっと気づいた。
この女は、男なのだ! 女がドアの内側に消えた瞬間、走って逃げた。
疑わしい目つきで聞いていた女が、すこし笑った。
「ほんとかな、二階まで上がったんじゃない?」
男は、とくに答えなかった。なにしろ昔々の記憶なのだ。
◇ 青年前期
このエピソードを十年後、ゲイバーで語ると、ママが云った。
「それはきっと、○○のママよ。そうやって若い男を漁るのよ」
そこで聞いてみた。「客としてか、ゲイ・ボーイとしてかい?」
「あんたなら、ナイス・ゲイかもね」
「それは、おれをおだててるのかい」
「もちろんよ。でも、ちょっとその気になったんじゃない?」
ゲイバーは、会話だけなら面白いのだが、困ったことに彼らはすぐに
触ってくる。油断していると、こちらの口の中に舌を入れてくるのだ。
いつも誰彼なしにこんなことをするかと思うと、とても不潔である。
彼らは何かにつけ、指先に唾液をつけて(睫毛を)いじったりする。
初期のエイズ患者に、同性愛者が多かったのは、たぶんこういう性癖
が原因ではないか、と疑われてもやむをえない。
◇ 青年後期
ゲイバーは、女にもてる男よりも、もてそうにない男を狙っている。
ひょっとして、その気になれば、手綱をつけたように操縦しやすい。
したがって、ゲイバーでもてても、決して他人に自慢しないことだ。
うそかまことか、全盛期の東映の若手俳優たちは、とても品行不良で、
たいがいの女優がしりごみして出演しなくなった時期があるそうだ。
そこで退屈した連中が、こんな評定をしていたという(真偽不明)。
誰かが「カルーセル麻紀の、あそこはどうなってるのか」とつぶやく。
「小柳 ルミ子が一晩300万で、カルーセル麻紀なら150万」石原
慎太郎が「見せろ」と云い、吉行 淳之介は「触らせろ」と云ったとか。
最後に誰かが、女の謎について、しみじみと語る。
「男の一物を好ましく思うような女を、どうして他の男は許すのか」
「他の男は、おれの一物を好ましく思う女を、なぜ狙うのだろうか」
◇ 中年期
水商売の女ばかりではない。あるとき素人の娘を動物園に誘ってみた。
なにげなくライオンの檻に来ると、なぜか雌雄が交尾していた。
「やぁ、ライオンが交尾してるね」と云って、通りすぎた。
このときの対応は、いま思いだしても適切だった。
のちに動物学に詳しい男に、ライオンの生態を教わる。
百獣の王は、恐れるものがないので、傍若無人に交尾するという。
♂ライオンは、子連れの♀ライオンを求めて彷徨するそうだ。
♀ライオンを見つけると、仔ライオンを噛殺してしまう。
子ライオンを失った♀ライオンは、すぐに発情するらしい。
そして、交尾して出産する。
わが子を見た♂ライオンは、ふたたび旅に出てしまう。
ふたたび子連れとなった♀ライオンを、次の♂ライオンが見そめる。
◇ 壮年期
女にもてるには、じっと機会を待つのがいちばんだ。
女は、先着順よりも後着順を優先する。
前の男をケナすことがあっても、ホメることはしない。
女が左手でかばうときは脈があり、右の肘鉄は見込みがないそうだ。
しからば右に坐るべきか、左に位置すべきか、自明である。
かといって、いつも同じ側では芸がない。絶妙の間合いが必要だ。
帰りがけ、それまで他のボックスでおとなしく座っていたホステスに、
とつぜんドアの影で抱きつかれるのは、なかなか気分がいい。
口紅や香水が移らないよう気づかわれるのも、乙なものである。
こういうときは、ひとことも語らないのが上等だ。
うかつに、心にもないことを云うと、あとあと言質にとられる。
他人の目があるから、すぐに離れなくてはならないのが残念だが。
◇ 初老期
五十歳が近づくと、多くの男たちは、忘れものを思いだすらしい。
このまま平凡な人生を終るのは、いかにも残念だ。
せめて人並みに、大人の恋を経験してみたたかった、と考える。
その年配になると、なぜか身のまわりに寡婦が増えている。
場末の酒場女とか、浪費癖の独身女とか、四十後家などである。
どれもこれもつまらない女ばかりだが、最後のチャンスに思える。
思いきって声をかけると、あんがい簡単に手に落ちる。
困ったことに、その手の女たちには恥じらいがない。
平気で金をせびるので、たちまち家計にヒビが入る。
おきまりの、夫婦の危機が通過するには何年もかかる。
たった数ヶ月間の不貞が、十年以上も責めつづけられる。
娘も女房の味方をするので、家の中で話し相手がいなくなる。
◇ 老年期
早期退職を勧められ、退職金にイロがついて、上役に感謝される。
最後の日には、若い女子社員から花束を贈られる。
どうして今まで無愛想だったのか、残念ながら聞くわけにいかない。
退職直後、保険と仏壇と墓石のダイレクトメールが相次いだ。
退職した翌年の年賀状は、現役時代の一割しかなかった。
はじめて自腹で買った手帳に、ほとんど書きこむ予定がなかった。
パソコンを買ってみたが、さっぱり分らない。
電話サポートも、知ったかぶりしたため、よけい分らなくなった。
女房と娘は、ケータイを見せあって、キャッキャ騒いでいるのに。
同窓会に出席してみると、定年のない自営業の連中が群れていた。
現役時代の名刺を出すたびに、話し相手が去っていく。
会場を出ると、たった一人きりになっていた。
◇
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050720
舶来居酒屋 ~ いそやんは死なず ~
ありがとうございました。
お客様、ありがとうございました。お気をつけて。