自明のことだというのはナシです。
頭悪いのでわかりやすくお願いします。
危険に遭遇すればいいんです。本能的に必死で危険からのがれようとすれば、
という客観的な証明になります。
あるいは息を止めてみる。それで我慢が出来なくなれば、それは外呼吸の停止によって代謝の根幹である細胞呼吸が危機的状況に陥っているということの証明ですから、客観的に個体が代謝を行っている、すなわちその個体は生きているという証明になります。
意識が無く昏睡の場合も、呼吸を断って状態に変化が現れる(と合理的に予測できる)とすれば、同様にその個体は生きていると結論づけられます。
存在の証明については、物的な存在の証明なら、満々とお湯を張ったバスタブに浸かってお湯がこぼれるなら、少なくともそのお湯と同様の条件下において存在していることが確認されます。
生きている存在としての証明をしたければ、そのまま潜ってみれば、水面から顔を出して呼吸を再開した時に、物的存在と生命の存在が同時に証明できます。
まずは、この質問の回答を見ていること。
これだけで、自分は生きているという証拠になります。
証明する方法、つまり『相手に自分が生きていると見せる』方法はただひとつです。
まず、証明したい人に写真を添付し送ります。
同時に、待ち合わせ場所と時間、暗号を決めます。
その後、決めた時間に決めた場所へ行きます。
そして、相手を見つけ暗号を言います。
最後に、相手に自分の肌を触ってもらいます。
肌のぬくもりを相手が感じてくれれば、完全なる証明になります。
以下余談。
仮にただ待ち合わせて会っただけの場合。
「なりすまし」の可能性があります。
そのため、自分が生きているという証明にはなりません。
また、「今呼吸している」と言われても、何の証明にもなりません。
理由は、証明する側にしてみれば、本当にあなたなのか、全く分からないからです。
そのため、この場合も生きているという証明にはなりません。
誰に対して証明するのでしょう?
自分自身に対して自分の存在を証明するのなら、
自分の存在を否定する事が出来ないので、
自分が存在することを証明できます。
「我思う故に我有り」という奴で、
「俺って存在しないんじゃない?」と思ってる自分を否定すると、そもそも疑問に思ってるのは誰よ?となり、
疑問に思ってる自分自身が否定出来ません。
つまり疑問を持った時点で存在することが証明されます。
自分が生きていることと、存在することは少々違う気がします。
水に潜って苦しければ生きていると思います。
街中で大きな声を出してみんなが振り返りしかもその振り返った人たちと目が合えば存在しているんだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90
恒星である太陽の周りを惑星が回転しています。これは原子核の周囲を電子が回転してる図式と同じです。
宇宙が無から偶然に発生したのなら、このようなマクロとミクロの配列が似ることは起こり得ません。
原子生物が偶発的要素のみによって人間にはなり得ません。
プラスとマイナス、光と影、男と女、これらは、全て片方がなくてはもう片方が存在し得ない関係にあります。
あなたが存在していることは、あなたが偶然では発生し得ないということを理解すれば解明されます。
http://homepage3.nifty.com/waraji/shumi/uranai/reikai/sweden/ind...
http://members.jcom.home.ne.jp/stolatos/spirit/swedenborg.htm
このようなページに創造主が存在する証拠が書かれています。
誰に対して証明するのでしょうか??
遠く離れている人に対して証明するのは、かなり難しいと思います。
目の前の人に対して証明するには、動いて見せたり話をしたりすればいいでしょう。
では、自分が生きていることを自分自身に証明するには。
あなたが今、これを読んでいるのであれば、生きていることの証明になります。
逆に、死んでるか存在してなければ、これを読むことはないでしょう。
読んだなら、絶対存在してますよ。あなたが生物じゃなく機械だったとしても、
存在はしてる事になりますね。
友達に電話して「今俺って生きてるよな?」
って聞くことです。電話ごしに話をできているんだから
友人は当然生きてると答えてくれるでしょうし、
それがあなたがこの世に生きている証拠になるはずです。
人を証明するのは、他人である。
人は、関係性がなければ存在できない。
誰かに認識してもらって、初めて存在してることになる。
誰も認識できない状況で、わがまま言える親もなく、引きこもりをしてる人は、認識が存在していないので”いない”のでる。
なので、
自分が生きていることを証明するのは、
自分を認識している人がいることを証明すること
だと思います。
それは、知人に一筆かいてもらっても、
友達と一緒にとった写真でも、ケンカ相手でも、
はたまた自分を見て(認識して)笑う飼い犬でもいい。
以上。
この前、あるラジオでお医者さんが話していたのですが、
人間、みんな変わらない確固たる自分と言う物があると
信じているが、体は、次々と新しい細胞に生まれ変わっている。
極端に言えば、細胞が集まって、人間になっているのに
その細胞は、生まれ変わっている。
ある程度時間が経てば、いつかの自分と今の自分では
体としては、(細胞が生まれ変わるから)そう入れ替えしている
ことになる。
そしたら、自分と信じていた物は、なんだろう?と
なってくるが、心、魂、はどんだけたっても自分らしい
ずーっと入れ替わらない、自分の原型だと言う事を
お話していました。
なるほどなぁーって思いました。
だから、やはり、心、何かを感じたり、思ったり、考えたり
できている。だから、自分が存在するという証明になると
思います。
我思う故に我有り、そのままのような気がします。
「自分が生きていること(存在していること)を確実に証明する方法を教えて下さい。」と言っているあなたが存在していますのは間違いありません。
そうじゃなくて、映画「マトリクス」みたいなことが現実に起こってるんじゃないかってことですか?
それならモーフィアスに出会わない限り、証明できないでしょうね。
自分が存在しているなんて、自分では自覚していてもどうなのかは他人からは分かりません。
自分でが周りの事を変えてみれば、自分の存在が周囲を変化させたという
存在の証明になるのでは無いでしょうか?
社会存在としての自分を証明するとしたら、戸籍謄本を確認してください。登録されることで社会的に存在します。
認知的な意味での自分を証明するとしたら、まず自分の存在を疑ってください。疑ったという思いそれ自体が紛れもなく自分です。
あなたが、人に尋ねて、最後まで聞く耳をもたれることを祈ります。
自分の眼で見て、もっとも感じたことです。
内視鏡を入れて、そのカメラからの映像を見ます。
細胞が赤く染まって、飲み物や食べ物を欲しているように、うごめいているのが、みえます。
上も下も、同じでしょう。
細胞たちに、感謝したい気持になります。
家族、友達、人と話す。
一人でいるとき、外国で誰ともしゃべれないときなど、自分が本当にここに存在しているのだろうかとふと思いますが、誰かと話していれば、まぎれもなくそこに存在していることになる、と感じます。
戦場には死んだらどうなるかの見本がリアルタイムで生産されていますから、傭兵かになって最前線にいったらどうでしょうか?また、あなたの手で生きている人間を死んでいる人間にすることもできます、合法的に。
生を実感できるのではないでしょうか?
傭兵は捕虜の扱いを受けないのでより効果的に実感できるでしょう。
いわゆる、経験的な証明というか・・・
ケガをする、病気をする、入院する、細胞が体を治そうとする感覚を感じる。
何かに殺されかける、私まだ生きてる?と自分に問いかける。
写真を沢山取る、友達などといろんな場所に行き思い出の写真を沢山撮って自分の時間を見返す。
彼女など大切な人をつくる、自分の存在を大切に思ってくれる人をつくる。
1番いいのは動画ですね(ビデオ)録画では、日付入力の操作が出来るかもしれないから、そうだね・・・・。ネットから自分の映像を配信するのがいいでしょう。特定の方だけという場合、そうだね。あとは携帯で動画撮影して相手に転送するとか(転送する方法は詳しいことはわからないけど可能だと思う。)
深く考えなくても単純に、まず第一に心臓に手を当ててみてらください、それで心臓が動いていたら、それだけでもれっき自分が生きているということの証拠になり、それを実感できます。
他者との関係も含めて実感を持ちたいなら、パソコンなど電話などでなく、実際に自分のことを友人だと思ってくれている人に会い自分がその人にとってどんな存在なのか聞いてみればよりいっそう実感が持てると思いますよ!
実は僕まだ14だからこんなこといえる立場でもないかも知れませんが参考にしてください~
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